第19話 手加減なしのフリースラント、グルダを出し抜く

「いいじゃないの。たいしたことにはならないわ。ここはハブファン様の直轄地よ。とんでもないことなんか、絶対起きない。店にはハブファン様の手の者が必ず目を光らせている。あんたの若様だって、ここなら安心よ。ここを外れたら、どうなるか知らないけど」


 グルダもそれは知っていた。


 ゴーバーが繁栄を誇っているのは、こんな遊び場であるのにもかかわらず、きわめて厳しい監視の目が行き届いているからだ。


 客は安全だった。それゆえに、面白味は少なく割高だったが、大繁盛だった。


 その代わり、この区画を一歩外へ出ると、さまざまな、あまり芳しくない連中がはぐれたカモを狙っていた。


 まあ、いいか……とグルダは考えた。

 宿に戻ったら叱っておこう。

 あの性格で、場所がゴーバーなら、大したことにはならないだろう。


「仕方ないな。ここらで、若様をちょっと待つか」


 女たちは、嬌声をあげて、身なりのいい、羽振りのよさそうなグルダを店に引っ張り込んだ。




 フリースラントは目を丸くしたまま、あたりを見回した。


 グルダと違い、彼は隙がないので、女たちは腕をつかみたくてもつかめなかったし、声をかけても気が付かない様子だった。


 本当に珍しい場所だった。


 だが、彼は、女たちを見ていたわけではなかった。彼より相当年上の、化粧を塗りたくった大勢の女たちは、むしろ恐怖を感じるくらいだった。

 中にはフリースラントより、若い女達もいたが、彼女達はまだ十代前半で、どうしたらいいかわからないと言った所在無げな様子だった。


 こんな場所で、女を見ない男は人目につく。


 店の奥の用心棒たちは、フリースラントに気が付いた。


 目立つのである。いや、目立つと言うより、フリースラントは知らぬ間に、彼独特の気配、殺気のようなものを放ってしまっている。


 フリースラントも、彼らの存在に気付いた。


「警備しているわけか……」


 彼も用心した。

 彼にはわかるのだ。店の中や外に、目立たないように警戒している用心棒たちの存在が。そして、ひとりに気付くと二人、三人と、次々に気がついていった。


 こういう男たちは厄介だ。


 本能的にフリースラントは理解した。

 彼は面倒を起こさないよう、何食わぬ顔をして通りを行き過ぎてしまった。


「よく支配された街だ」



 提灯の明かりで照らされたその区画を過ぎると、もう夜中だから、町は暗い。


 暗い街はずれからキラキラ輝くゴーバーの通りを、ぼんやり見ていると、人の気配がして、誰かが彼をつかもうとした。


「おい、若いの。良いなりしてるじゃないか」


 だみ声が、暗闇からささやきかけてきた。


 フリースラントは素早く振り返り、汚いぼろをまとった男に向き直った。


 男は思いがけず素早いフリースラントの反応に驚いたようだったが、彼がとても若い顔をしていることに気付くと、強気になって


「金を出せ、小僧。金さえ出せば、命は取らない」


 と言って、フリースラントに手を伸ばした。


 フリースラントは、素早くその手を掴むと、すさまじい力で握り、ねじ上げた。


 手の中で、めきめきと音がする。男の手が、変な、あり得ない格好に変形していく……。


 暗闇の中でフリースラントは、思わずニヤリと薄ら笑いを漏らした。


「うぐわぁ……」


 薄汚いその男は妙な声を上げて、体をひねって、なんとかフリースラントの鋼鉄のような手から逃れようとした。


 そうだ。今まで、彼はずっと自制してきた。


 グルダにだって、学校の先生にだって、決して本気でかかったことはない。


 何回か事件を起こしてから、彼は学習したのだ。手加減しないといけないことを。


 だが、今日は手加減の必要がなかった。

 声が出ないように、フリースラントは腹に軽くけりをかまし、男は地面に崩れ落ちた。


「手の骨を折っちまったかもしれないな……」


 どうせ暗闇に紛れて、歓楽街を外れた旅行者から金を脅し取って生活している手合いだろう。遠慮はいらない。



 立派な服を着た若者は、あたりを見回した。

 ほかには、こんな男は見当たらなかった。ちょっとばかり残念だった。


「とりあえず宿にかえるか」


 今日はいろいろなことが学べた。

 明日は、この町を出る。


 フリースラントは早めに宿に戻り、出立の準備を整えた。


 夜中をだいぶん過ぎた頃、グダグダに酔っぱらったグルダと、もう一人の従者が別々に戻ってきた。


「あ、ああ、フリースラント様! はぐれてはダメじゃないですか! 危険です」


 いや、グルダの方がまずいだろう……。寝ていたフリースラントは、しぶしぶグルダを迎えに出た。


「いけませんな。ま、でも、説教は明日にしましょう。今晩は休みましょう。きっとお疲れでしょう」


 疲れているのはお前だけだ。


 しかし、フリースラントの突っ込みは声にならなった。グルダが聞いていないことは明白だったからである。彼はすっかりいい調子だった。


「では、おやすみなさい」


 かろうじてそう言うと、グルダは自分の部屋に引き取った。5分後には大いびきが聞こえてきた。

 フリースラントは、続きを寝に行った。明日は早い。グルダは足手まといだ。好きなだけ、ベルブルグで遊んでいればよい。彼は、フリースラントは、そんなことのために旅に出たのではないのだ。



 翌朝、かなり寝過ごしたグルダは、ややあわてて宿の亭主のところにやって来た。


「うちの若様を見なかったかね?」


「フリースラント様ですか?」


「そうだ。もう部屋にいないんだが。遊びに出るにはまだ早すぎる時間だし……」


 宿の亭主はグルダの顔を見た。


 彼は、もうずいぶん長いこと、この商売を続けてきていたし、人を見る目は確かだった。


「朝早くに出立されましたよ」


 グルダは心底びっくりした。

 腹の中をひやりと冷たいものが走った。


「ど、どこへ? どこへ行かれたのだ?」


「知りません。何もおっしゃっていませんでした」


「あんたは、なんで勝手に行かせたんだ」


 宿の亭主はいわれのない非難に少しむっとしたが、そこは客商売なので、何の反応も見せず答えた。


「お客様がどこへ行かれるつもりなのか、手前どもは存じません。ですが、馬に荷物を全部乗せて、出て行かれるご様子でしたよ。ここの宿泊代は清算して行かれましたから。」


 グルダは真っ青になった。


 この体たらくを公爵に聞かれたら……貴族の若様の監督役は全くの失敗で、公爵は激怒するに違いなかった。


「清算て……いくらだったのだ?」


「120フローリン。今日の朝までの全額です」


 グルダの分も含まれている。つまり、グルダは帰れということだろうか。


「で、どっちの方角に行ったのだ。そして、それはいつごろだった?」


「方向はわかりかねます。街道に出たのやら、船に乗ったのやらわかりません。時間の方は、朝早くでした」


 もう昼近い時刻だった。


 すでにかなりの距離を行っているに違いなかった。


 フリースラントは素晴らしい乗り手だった。フリースラントが行ってしまっていたら、グルダでは追いつけない。ましてや、行き先がわからないのだ。


 グルダは頭を掻きむしった。

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