第18話 歓楽街ベルブルグ
ベルブルグに着くと、グルダは、なかなか立派な宿を選び出した。
「ここがよろしゅうございましょう。歓楽街からも近く、近くには賭場もございますし、あちらが市の立つ場所でございます。その向こうにはショウ川が流れていて、多くの船着き場があります」
ヴォルダ家の御曹司が武者修行の旅に来たと聞いて、宿の主人が揉み手をしながら現れた。
「まだ、15歳の若殿でござる」
グルダは得意そうに紹介した。
「ほう、それはそれは……」
と言いながら、やって来た宿の亭主は、彼の顔を見て、用意した歓迎の言葉を飲み込んだ。
なんと怜悧そうな、そして鋭いまなざしの美しい少年だろうか。女だったら、いい値段で売れただろう。だが彼は男だったし、この国で最も裕福な貴族の家の御曹司だった。
だが、ちっとも御曹司らしくなかった。
彼には矛盾が存在していた。
素晴らしい美貌と身分なのに、全くそれを気にしていないらしい。
ぼんやりで理解できていないわけではないのだろう。宿の亭主のこともチラと観察していた。
「世話になる。よろしく」
御曹司は言った。
宿の亭主はまたちょっと驚いた。
15歳にしては落ち着いている。しかも、全く冷静だ。遊びに来た若者は、普通、もっとそわそわしているものなのに。
「フリースラント様、私もこの町には何回か来たことがあります。明日は簡単にご案内いたしましょう。お気に召した場所があれば、ごひいきにされればよろしいでしょう」
グルダがにこにこしながら提案した。フリースラントは何か違うことを考えていたらしいが、ふと我に返った。
「そうだな。頼む」
「ご家来衆は、すっかり遊ぶつもりらしいが、あの若殿様にはそんな気はまるでないように見える。何しに来たんだろうな、こんな街に」
「でもさ、あんなシュッとしたイケメン、見たことないよ。それに子供に見えないよ。背の高い姿の良い兄ちゃんだねえ」
「バカ、手を出すんじゃねえ。ヴォルダ公爵様の御曹司だ」
「……はあ、それでこの宿なのか。1泊30フローリンするのに。やっぱり大貴族は違うねえ」
もう遅かったので、彼らは宿で、贅沢な夕食をとり、部屋に引き取った。
フリースラントは、広い立派な部屋に泊まることになり、グルダともう一人は、もっと狭い、しかし十分に立派な部屋をとっていた。
フリースラントは、あの総主教様の庭で会った僧侶の言葉が忘れられなかった。
もし、何らかのヒントを見つけることができるなら……知りたいと思った。
僧侶に言われなくても、彼は父を助け、父同様に王に仕えなくてはならないことを知っていた。
この国の大貴族に生まれた以上、それは宿命だった。
だが、後1年ある。
それまでは彼は自由だった。
有難いことに「武者修行の旅」と言う、学校を首尾よく卒業した若い貴族たちがよく使う、うまい言葉もあった。遊ぶのも楽しいことだろうが、彼の場合には誰にも言えない別な目的があった。
きれいに飾り付けられ、寝心地の良い立派なベッドに横たわって、絵が描かれた天井をぼんやり眺めながらフリースラントは考えた。
グルダは邪魔だ。
フリースラントはウマを買うつもりだった。
後は、持参した立派な弓と切れ味鋭い剣がある。
いかにも良家の御曹司然とした今の格好では、どこへ行っても丁重に迎え入れられてしまって、聞きたいことも話してもらえないかもしれなかった。
できるだけ目立たない服の方がいいだろう。この町ならどんな服でも手に入れられるだろう。
やはりグルダは邪魔だった。
それにグルダは、ベルブルグに滞在するのをとても楽しみにしているようだった。北の果ての田舎の地方に行きたいと言ったら、大反対するに決まっていた。
「グルダには金を半分残しておけば、十分遊んで帰れるだろう」
監督不行き届きで叱られるかもしれなかったが、家来をまいてしまう御曹司はざらにいる。たいてい、何か悪いことを仕出かすのに、お目付け役の家来が邪魔でごまかすためにやっている。フリースラントの場合は、目的が少し違うが、似たようなものだろう。
翌朝、グルダは、とても張り切って、宿のこぎれいな食堂で、豪勢な朝食を注文していた。
若様は特に文句は言わなかった。
「さて、フリースラント様、まずはどこへまいりましょうか?」
「まず、服屋だな」
グルダは、ちょっとあっけにとられた。
若様は、どんな服でもとても似合う方だったが、自分がどう見えるかには関心がない方だと思っていた。
しかし、ベルブルグはファッションの町でもある。言われてみれば、もっともだ。最新流行の服なら、この町で買うに限る。
「な、なるほど。さすがにお目が高い。で、そのあとは?」
「ウマだな。ウマが欲しい。家の馬車は返すから」
これも意外だった。
ウマや馬車は、宿が貸してくれる。遊びに行くなら馬車を使った方が楽だし、手軽だろう。だが、自分専用のウマを確保しておけば、いつでも自由に動ける。宿の馬車やウマは使われている時もあるからだ。金はかかるがこの方が確実だ。さすがは金持ちの発想だ。
「そうでございますか。さっそく宿の者に申し付けて、夕方までには良いウマを連れてこさせましょう」
「ウマの良しあしは自分で見たいからそうしてくれ」
必要な手配をすませると、彼らは街に出た。
「では王様もご利用になることがある、有名店を……」
「あれでいい」
若様が指さしたのは、貧乏人ばかりが出入りするような貧相な店だった。
服屋ばかりが並んでいる通りで、若様は勝手に、貧乏人に混ざってそこらの商人が着るような服を選んできた。
グルダもひやひやしたが、店にいた貧乏人どもは、豪華な服を着た、どう見ても金持ちの若者が入ってきたので、じろじろ見ていた。特に彼がむぞうさに金貨を出してきて、驚いた店主が釣りがないと言ったときは一層視線を集めた。
「グルダ、この金は使えないのか?」
「額が大きすぎるのでございます。このような店に釣りがあるわけがございません。宿で両替してまいります」
「早くしてくれ」
グルダが目を離したすきに、フリースラントは粗末だが丈夫そうなカバンや、頑丈そうな靴も選んで買い込んでいた。
「お言葉ですが、若様、なぜそのようなものばかり?」
「秘密だ」
グルダとしてはあまりお勧めしたくないような、貧乏人が買うようなものばかりだった。
フリースラントはトマシンが来ていた服を思い出していた。
丈夫で、着やすそうだった。そして、全く目立たなかった。
「あれを着ていれば誰にも見とがめられるまい」
それは間違いだった。トマシンだから目立たないのである。
フリースラントの背の高さ、やたらに目立つ容貌、鋭い目つきは、後ろ姿さえも人目を引いた。
「一体どこで遊ぶつもりだろう? 素人好みなんだろうか。変装して、素人の娘を騙して遊ぶとか?」
グルダは首をひねったが、若様のお好みの問題なので、彼としては口の出しようがなかった。
「まあ、俺なら、とにかくキレイどころだな。若い方がいいが、子供過ぎてもよろしくない。ま、これは若様にはどうでもいいことだろうが……」
そして、夕刻、ついに彼は、ゴーバーへフリースラントを案内した。
こここそが、ベルブルグを有名にした、最もにぎやかで、男なら誰しも顔をほころばせずにはいられない場所だった。
両側にぎっしり若い女たちでいっぱいの飲食店が軒を連ねていた。彼女たちは通りに出てきて、行きかう男たちの腕をなれなれしくとってみたり、声をかけたりしていた。店に入れば、酒や食べ物を出してくれる。裏小路に少し入ると、また違うタイプの女たちが潜んでいて、通は裏小路の店に詳しくなければならなかった。
「いかがでしょう。大変有名な観光地です」
グルダは、まるで自分のお手柄のように自慢げにフリースラントに言った。
さすがに、フリースラントも驚いたらしい。
通りは、余すところなく提灯で照らされ、まるで昼間のように明るかった。数限りない女たちが、店の中や通りで客を引いていた。
彼はびっくりした様子で、グルダのことも忘れて、中に踏み込んだ。
「ああ、ぼっちゃま、お気をつけて……」
グルダはニヤリとした。
若い男がこんなところにやってきて、興味がないはずがなかった。
フリースラントが興味深げにどんどん通りへ入っていくのを、グルダは生暖かく見守った。
坊ちゃまの世話をしに来て以来、とにかく、手に余る人材だった(グルダにとって悪い意味で)。不出来だとか、教え甲斐がないとかではない。教える余地がなかった。グルダの上ばかりを行く、家庭教師にとっては、まことに始末の悪い人物だった。
それがどうだ。すっかり、夢中になって、グルダのことも忘れて進んで行っている。
「世の中を、まだ知らないガキだからな」
今回ばかりはグルダの方がうわてだった。
「ねえ、ちょっと飲んでかない?」
するりとグルダの腕をつかんだ者がいた。
忘れていた。グルダだって、ここでは立派なカモである。
「どんなお酒がお好み? 一緒に飲まない?」
「いや、今日は、ちょっと仕事で来ているだけだから」
「仕事? こんなところへ?」
女はけらけらと笑い出した。
「いやいや、本当に今日は仕事で来てるんだよ。若様のお付きなんだ」
「まあ、すてき。若様って、どこかの大貴族様?」
「まあ、そうだ。私はその監督だよ」
グルダは胸を張った。
「若様だって一人で遊びたいでしょう? 付きまとわれたら、嫌われるわよ? ほうっておおきなさいよ」
「そうよ、そうよ。好みも違うんだろうしさ」
反対側の腕も別な女が掴みに来た。
「これ、離しなさい。困ったなあ、もう」
「それに、若様って、どこにいるの? 誰もいないじゃない」
グルダは、はっとした。
フリースラントの姿が見えない。
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