第2話 肉食系女子

「ちょっと。五時間目始まっちゃってるんだけど」

 陽気な春の日差しの中、正気とは思えない金髪に、陰気な僕は連行されていた。

 平日の真っ昼間ということもあって、歩道にも車道にも、誰もなにもいなかった。

 いつもはこんな寂しい道ではないはずなのに。狙い済まされたかのように、嫌でも二人きりになってしまう。

 都会とは言えないがド田舎とも言えない場所だが、珍しいこともあるもんだ。

 そんな誰の助けも期待できない状況。目的地も知らされずに、ただひたすら右手を引かれる。

「平気平気。五時間目は自習だから」

「そんな嘘に騙されるか」

 ただでさえ五時間目の数学は苦手なのに、一回でも授業が抜けてしまったら悲惨なことになる。

「嘘じゃないって。数学の先生、今日出張だから自習になったんだよ」

「だからって授業サボっていいわけじゃないでしょ」

「一回ぐらい平気なのに。お馬鹿のくせして真面目だなー。っていうか、東雲くんって自習の時間いつも寝てるよね?」

「確かに、そうだけど……」

「ね? 出ても出なくても変わらないから、自習なんて。それに東雲くんがいなくても、クラスの人も先生も気付かないんじゃないかなー、なんて」

「先生は気付くだろうけど、クラスの連中は気付かないだろうね」

「それ、自分で言っちゃうの?」

 どうやらこの金髪、僕のことを多少なりとも知っているらしい。僕の下駄箱の位置や、自習の時の過ごし方など。

 僕は金髪のことなんて知りもしなかった。こんな目立つ外見をしているのに。

 さすがに少しぐらいは周りに目を向けようと思った。

「余計なお世話。それより僕らはどこに向かってるの?」

「秘密! だけど任せて。絶対楽しいから! それじゃ、スピード上げるよ!」

「ちょっと!」

 理由は全くもって不明だが、右手を握られたまま突然の小走り。

 金髪の金髪が、春の風で揺れる。後ろ姿しか見えないが、きっとうざったらしいぐらいに笑顔のはずだ。

「風が気持ち良いね!」

「まだちょっと冷たいよ!」

「それが良いんじゃん!」

「なにが良いの!?」

「あはは! 分かんなーい!」

 金髪の笑い声と共に、シャンプーの甘い香りが春の風に乗ってくる。女の子とかいう生物は、どうしてこんなに良い香りがするのだろうか。

 しかし、どれだけ良い香りがしても風は冷たいし、息は上がってきたし、金髪の言動は理解できない。

 僕は今さらになって、なぜ馬鹿正直に金髪に付いてきてしまったのだろうと後悔した。校舎裏で手を振り払って走って逃げればよかったのに。

 そうすれば、誰にも見られずにこの金髪との関係が断ち切れたはずだ。

 僕にとってそれが最善。いや、それしか道はなかったはずだ。

 それなのに、どうして。自分でも分からない。きっと、春の虫に脳を一かじりされたのかもしれない。そうしておこう。

 そして五分ほど走った後、呼吸を乱しながら金髪が告げた。

「ここっ! ここでさっきのお金使うよ!」

 ここ、と言った場所で急ブレーキ。かなりの危険運転、思わず追突しかけた。

 そんな金髪は目を大きく見開いて、嬉しそうに指をさす。

 僕も肩で息をしながら視線を少し上にあげ、指をさされたであろう看板に目を向ける。

「食べたいねー、ハンバーグ」

 それは全国チェーンで有名な店の看板だった。テレビのコマーシャルでも見飽きたやつだ。味は、まぁ保証されているはず。

「ここ、ファミレス?」

「そうっ。ファミレス。好きでしょ? こういう所」

「別に嫌いじゃないけど。ていうか、そもそもの話。どうして僕のお金を勝手に使おうとしてるの?」

 疑問に思っていたことを訊いてみる。正直な話、まともな回答は期待していない。

「どうせカツアゲされると思ったんでしょ? だったら実質私のお金じゃない?」

 やっぱり。

「……頭痛くなってきた」

「え、大丈夫? ハンバーグ食べたら治るよ」

「……それ、本気で言ってる?」

「お婆ちゃんが言ってた」

「……日本語の参考書を買うことをオススメするよ」

「そんなのいらないよー。日本語得意だし」

「そう? 悪いけど、高校生と話してるとは思えない気分だよ」

「まぁまぁ、せっかく食べに来たんだし、この辺にしとこ?」

「……まぁ、それもそうか」

 せっかく来たんだし、どうせなら食べていくか。お昼ご飯は毎日コンビニのおにぎり一個だし、たまには贅沢してもいいだろう。

「念のために訊いておくけど、本当に僕のお金で食べるの?」

「もちろんっ!」

 そんな満面の笑みで答えられたら、さすがに断ることはできない。

 なんでだろう、この金髪からは邪な気持ちを全く感じない。

 この金髪になら、少しは奢ってしまってもいいんじゃないかと錯覚してしまう。

「はぁ……そっか。それじゃあ、今日だけは僕がご馳走するよ」

「わーい! 東雲くん、ありがと!」

 さすがに右手は解放してもらってファミレスに入店。実を言うと、僕はファミレスという施設が初めてだ。両親はいつも仕事で忙しいし、友達もいないし、一人で入店する勇気もない。僕は十七年間の人生でファミレスというものに無縁な生活を送ってきた。いつも横目で見つめるだけだった。

 嫌に高鳴る鼓動を抑えて、二人で自動ドアをくぐる。店内は暇そうにしている店員が数名いるだけで、客の姿は一人も見えない。初めてのファミレスだが、これなら初心者にも優しい。

 入店と同時に席に案内される。案内された先は日当たり良好のテーブル席。

 半円形のテーブル、それに沿った形状のオレンジ色のソファ席。いかにもファミレスって感じがする。こんなに良い席なら、一人でゆっくり食事をしたいものだ。

「さーて、なに食べようかなー」

 僕たちはソファの切れ目、つまり端と端に腰を下ろす。

 テーブルを挟んで正面に座った金髪は、慣れた手つきでメニュー表を広げる。目が異様に輝いている。見た目を考慮しなければ、お子様メニューを頼みそうな勢いだ。

「ファミレスに来ただけなのに、なんでそんなに楽しそうなの?」

「楽しいから楽しそうにしてるんだよ」

「どういうこと?」

「東雲くんがいるから」

「反応に困るんだけど」

「あー、ちょっと言い直すね。友達と食べに来てるから」

「僕たちまだ友達じゃないでしょ?」

「えー、一緒に授業サボった仲なのに友達じゃないの? 東雲くんの友達のハードル高そうだねー。越えられるかな?」

「僕のは越えなくていいよ。別のレーンのハードルを跳んでくれ」

「東雲くん、知ってる? 別のレーンの跳んだらルール違反だよ?」

「初めて知ったけど、その知識を生かす機会はないかもね」

「どうして?」

「運動とは縁がないから」

「そうなの? 卓球とかしてそうだけど」

「ラケットに触ったことすらない。まぁ、どっちみちハードルは関係ないね、卓球じゃ」

「陸上部の助っ人に行けば関係あるよ」

「ああ言えばこう言う……」

「日本語得意だから」

 金髪がしたり顔でお冷やを口にする。無性に腹が立つが、このまま金髪の相手をしている方が面倒なので、視線をそらして無視をする。

 って、今気付いたけど、いつの間にかお冷やがある。ちゃんと二人分。会話に集中し過ぎてて、店員が来たことにすら気付かなかった。

 金髪に振り回されている。ペースを乱されまくっている。僕が僕じゃないみたいだ。

「それで、東雲くんはどのハンバーグにするか決めた?」

「どうしてハンバーグ限定なんだ。……まだだけど」

「早くしないとハンバーグに逃げられちゃうよ」 

「それ多分まだ生きてるよ」

「活きがいいねー。新鮮な証拠だー」

「冗談はさておき、ちょっとそれ見せて」

「はーい」

 金髪が独占していたメニュー表を一緒に見せてもらう。ちなみに、どれを注文するか決められなかったのは、独占が原因だったりする。

 それで、一緒に見せてもらうのはいいんだけど。

「どうして隣に来たの?」

 歩くことを放棄した金髪が、座ったままソファを伝って器用に隣に移動して来た。

「ここにいた方が一緒に見やすいでしょ?」

「それはそうだけど、近いって」

「照れてるの?」

「べ、別に……」

「東雲くん、嘘下手だね。耳真っ赤だよ」

 恋愛に興味がないとは言え、僕はまだ思春期真っ只中の高校生。この距離に異性がいたらさすがに緊張してしまう。

「暖房で火傷した」

「耳だけ?」

「うん、耳だけ」

 なんとも悪そうな笑みをする金髪。なにかを企んでいるに違いない。

「本当に騙す気あるの? まぁ、そんな嘘つきの東雲くんには、罰として、どれにするか決めるまで離れてあげない刑を執行します」

 また面倒なことを……。さっさと決めてしまおう。

「えっと……じゃあ、これで」

 適当にページをめくり、適当な所で、適当に指をさす。

 そんな適当に適当を重ねた結果、選ばれたのは鉄火丼だった。

「えー、ハンバーグじゃないの?」

「火傷を治すには鉄火丼が効くって、おじいちゃんが言ってた。だから鉄火丼」

「……東雲くん、なに言ってるの?」

「う、うるさい! ちょっとトイレ!」

 無駄にコミュニケーションを取ろうとしたら、本当に火傷をしてしまった。慣れないことはするもんじゃない。

「あはは! 顔まで真っ赤になってる! それじゃあ注文しておくから、ゆっくりしておいでー」

 大きく手を振って見送ってくれる金髪。行き先が男子トイレではなく、出口だったらどれほど素敵なことだろうか。

「はぁ……。本当に疲れる」

 店内の奥に位置するトイレに向かって、一目散に逃げ込む。

 男子トイレで久しぶりの一人の時間が訪れる。

 だが、清潔感溢れる内装でむしろ落ち着かない。トイレなんてちょっと汚いぐらいがちょうど良いのに。

 まぁ、特にやることもないけど、お言葉に甘えてゆっくりしていこう。

 行儀は悪いが、洗面台に寄っかかりスマホをいじる。

 そこで初めて時間を確認して驚く。教室で金髪に話しかけられ、今にいたるまでに三十分しか経っていない。

 人間って、三十分でこんなに疲れるものなのか。フルマラソンを完走した気分だ。走ったことは一度もないけど。

 そんな疲れた自分を労うように、ゆっくりとスマホをいじって、一人の時間を謳歌する。

 世間を騒がせている芸能人のスキャンダル、掲示板、お気に入りの作者の新刊、いろいろなことを調べた。

 今日で一番有意義な時間だと思う。

(あっ、これいいな)

 そしてネット通販サイトをさ迷っている時、気になっていたゲームが売られているのを偶然見つけた。しかも若干だが割引されている。これは買うしかない。

『東雲くーん! 注文来たよー!』

 購入手続きに差し掛かろうとした瞬間、外から金髪の呼ぶ声が聞こえた。それに、かなりの大声。トイレ中に響き渡っている。

 どうやらそこそこの時間トイレにいたらしい。

「ちょっと! なんて大声出してるんだ!」

 急いでスマホをポケットにしまい、男子トイレを後にする。

 当然、トイレの扉を開けた先で金髪が待ち構えていた。なんの悪びれもしない、きょとんとした顔で。

「あっ、東雲くん。迷子になってないか心配したよ?」

「トイレで迷子になるわけないだろ!」

「いや、人生の迷子になってないかなって」

「……真顔でなにを言ってるんだ」

「まっ、つまんない冗談は置いといて。早く食べよ? 私、お腹空いちゃった。あっ、その前にドリンバー寄ってこ。東雲くんのも頼んでおいたから、一緒にね」

「人のお金だからって……まったく」

 この金髪の生き物は僕の財産を自分のものだと勘違いしている。

「まぁまぁ、先行投資だと思ってよ」

「それは将来大物になる人間の発言だ」

「うーん。私なんかじゃ大物になれないだろうけど、そのうち分かるよ! さっ、早く行こ! ハンバーグが冷めちゃう」

「はいはい……」

 金髪の後に続いてドリンクバーに向かう。僕はファミレスのドリンバーのシステムを知らないから、金髪の見よう見まねでコップにジュースを注ぐ。

 僕がスイッチ一つで炭酸飲料を注いだ隣で、金髪がスイッチを押しては少量のジュースを注ぎ、また別のスイッチを押しては少量のジュースを継ぎ足していくのを繰り返している。

 それを六回繰り返して出来上がった泥水みたいな色のジュースにストローを立てた。どうやら完成したらしいけど、とてもじゃないけど美味しそうに見えない。それどころか食欲を削がれる。

「それ、本当に飲むの?」

 僕は口の端を痙攣させながら訊いた。

「飲むから注いだんだよ?」

 前髪を揺らしながら小首をかしげる金髪。僕の方が非常識みたいな扱いをされている気がする。

「そんな色のをか……」

「どんな味だか気になる? 一口ならあげてもいいよ」

「慎まずにお断りします」

「えー、そこはせめて慎みなよー」

 ツッコミ所はそこなのか、と声には出さすにツッコミを入れておく。

 僕は炭酸飲料に氷を二個だけ浮かせてテーブルに戻った。隣を歩いていた金髪は、大切そうに両手でコップを握りしめていた。

 僕たちは入店したときと同じように、それぞれソファの切れ目に座って注文が揃っているのを確認する。

 僕が適当に頼んだ鉄火丼がまず目に入る。金髪が頼んだであろうデミグラスソースハンバーグも。そして、金髪が頼んだであろう包み焼きハンバーグ。さらに、金髪が頼んだであろう特大ハンバーグ。どのハンバーグも熱々のプレートの上で、じゅうじゅう美味しそうな音を立てている。

 ……ん?

「なんでハンバーグが三つもあるの!?」

「いやぁ……どれか一つになんて決められなかったよ」

「だからって三つは食べ過ぎじゃない?」

 ハンバーグ三つを完食するには金髪の体は華奢だ。食べる量と不釣り合いだ。

「二つだったらよかった?」

「……ごめん、もういいや」

「あはは! 呆れた顔も素敵だね」

「……僕のことはいいから、早く食べたら? 冷めるよ?」

「それもそうだねー。それじゃあ、いただきまーす」

「……いただきます」

 すでに満身創痍で食事どころじゃないが、せっかくの鉄火丼を無駄にするわけにもいかない。でも、どうせなら好物のオムライスを頼めばよかったと、今さらになって後悔している。

 とりあえず一口いただく。

「……美味しい」

 なんとも安っぽい味だが、それが逆に庶民の僕の舌にマッチしている。食レポの才能が皆無なので、うまく表現できないが、なんとなく幸せの味がする。後悔が一瞬で消え去ってくれた。

 そんな一人で余韻に浸っている中、目の前では形の良かった唇が野獣のごとき大口に変化し、次々とハンバーグを飲み込んでいく。

「ちゃんと味わってる?」

「…………んっ。も、もちろん!」

 ちゃんと口の中の物をなくしてから応える金髪。ナイフとフォークの持ち方も綺麗だし、大口を除けば行儀は良い部類だろう。

「そっか、それならいいんだ」

「あっ、東雲くん、一口」

 金髪が口を開け、ここにちょうだい、と言わんばかりに指をさす。

「別にいいよ。はい」

 マグロの切り身を一つ、少量の白米を箸に乗せて差し出す。

 金髪は一瞬の迷いもなくぱくりと一口。多分構図的には、俗に言う『あーん』とか言うやつだろう。

「うん、東雲くんのも美味しいね。ハンバーグには敵わないけど」

「ここ来てからハンバーグしか言ってないね」

「好きだからね、しょうがない。あっ、私のも食べる?」

「大丈夫」

「遠慮しなくてもいいのに。じゃあ全部食べちゃおー。もう分けてあげないよ」

 にひひ、と笑ってから食事を再開した。一口一口嬉しそうにハンバーグを頬張り、あの泥水みたいな色のジュースをストローで吸う。あまりに無邪気に食事を楽しむ金髪を見ていると、こっちもつられて笑顔になってしまいそうになる。

 思えば誰かの笑顔を見ながらの食事なんて久しくしていない。学校でお昼を一緒に過ごす友達なんていないし、家にいても両親とご飯を食べる方が珍しかった。最後に両親と食卓を囲んだ日なんて遠い昔の記憶となってしまった。

「東雲くん、気付いた?」

 急に食べる手を休める金髪。

「なに?」

 僕が訊き返すと唐突に金髪は顔を赤らめ、もじもじしながら「さっき食べさせてもらった時さ、間接キス……だったんだけど」と、中学生みたいなことを言い出した。

「っ! べべべべ別に! 僕らは高校生なんだし、間接キスぐらいするでしょ!」

「やっぱり気付いてなかったんだ。東雲くんぽくないなって思たんだよね。絶対に断ると思ってたのに」

 そう言われればそうだ。普段の僕なら絶対に断っている。知り合って一時間もしない人間に僕っぽさを語られるのは癪だが、その通りなのでなにも言い返せない。

 つい金髪にのせられてしまった。金髪と一緒にいると、どうも調子が狂う。

「さ、最初から気付いてただし!」

「あはは! 日本語おかしくなってるよ? 日本語の参考書でも買ったら?」

「う、うるさい!」

「ごめんごめん。お詫びにブロッコリーとニンジンあげるね」

 そう言うと、僕の鉄火丼に大量のブロッコリーとニンジンが押し寄せて来た。ハンバーグ三つ分の付け合わせなだけある。

「えっ、野菜、食べないの?」

 付け合わせの野菜は甘くて結構好きだ。それを食べないなんてもったいない。

「う、うん。ハンバーグだけでお腹いっぱい」

「ふーん……」

「な、なに? 東雲くん」

 そういえば、食べ始める時に、プレートの隅にブロッコリーとニンジンが不自然に寄っていた気がする。明らかに、意図的に。

 そして、ハンバーグを食べている最中、目もくれずに食べる素振りすら見えなかった。

 そこから導き出される結論は、もうアレしかないだろう。

「もしかして、野菜食べられないの?」

「……そんなこと、ない」

 びくっ、と肩が跳ねた。漫画のようなリアクションだ。

 そして、露骨に目をそらされる。こんなに分かりやすいなんて。

「本当?」

「……ピザのトマトなら食べられる」

「他は?」

「……ラーメンのネギも」

「それだけ?」

 俯きがちに無言で首を縦に振る金髪。

 意外な弱点が判明してしまった。

「ふっ、お子ちゃまなんだね」

「だってー! 苦いんだもん!」

 恥ずかしさからか、怒りからか、顔を真っ赤にしながら抗議する姿は、欲しいおもちゃをねだる女児のようだった。

 一つ分かることは、高校生がするような反応ではないということ。

「この美味しさが分からないなんて、悲しいね」

「一生分からなくていいよ! 私はハンバーグと結婚するから!」

「意味不明」

「うえーん!」

 涙目になりながらも、ハンバーグを食べる手を止めない金髪。

「泣くのか食べるのか、どっちかにしなよ」

「どっちもやめない!」

 どうしてそこで意地を張るのか。変なところで頑固だな。

 まっ、放っておけばそのうち収まるだろう。

 そして、泣きながら最後の一口を頬張り、ゆっくりと咀嚼して「……ぐすっ。ごちそうさまでした」しっかり両手を合わせて完食した。

 ここだけ切り取って見れば、泣くほど食べ物への感謝を忘れない良い子なんだけど。

 ほどなくして僕も鉄火丼を完食し、暇そうな店員に食器を下げてもらった。

 食後のまったりとした時間が流れる。僕はすっかり炭酸が抜けきって、ただの甘い汁になったジュースを一口飲んだ。

「東雲くん、私は怒ってます」

 まったりとした時間が訪れるはずだったけど、金髪の一言で終了した気がする。

「……どうしてでしょうか?」

「日本男児たるものですね」

「ごめん、日本男児って誰のこと?」

「大和撫子を泣かせるのはいかがなものかと思います」

「ガン無視ですか。それと、大和撫子って誰のこと?」

「東雲くんと! 私のことですぅ!!」

 どうやら僕と金髪の間には若干の時差があるらしい。

 そんなことより、今にも噛みついてきそうな金髪をどうにかせねば。

「とりあえず泣かせたのは謝る。ごめん」

「……うん。許します」

 鼻を啜りながら、案外すんなり許してくれた。

 しかし密かに高まっていた動悸は加速していき、また面倒事に付き合わされる予感がどこからともなく降りてくる。

「でも、一つ条件があります」

 はい、面倒なことになりました。

「……条件って?」

 いつものように嘘をついて、適当に、穏便に済ませよう。

「一つだけ、質問に答えてもらいます」

「それだけでいいの?」

「うん。それだけでいいよ。でも、すっごく大切な質問」

 金髪の表情がガラッと変わった。真剣そのものだ。多分、ここからはおふざけはなしだろう。答えを間違ったら、後悔することになる。金髪の真剣な眼差しが、そう訴えかけてくる。

「分かった。それじゃあ、いいよ」

 急な変化に戸惑いながらも、覚悟を決める。

「うん。それじゃあ……」

 すっ、と短い息の音。

「私のこと、好き?」

 えっ、この金髪はなにを言ってるんだ。いや、質問の意味は分かる。分かるんだけど、質問の意図が分からない。

 なぜそんなことを訊くのか、友達として好きなのか恋人として好きなのか、好き嫌いを知ってどうするのか、その結果次第でなにが起こるのか、全く分からない。

 頭も、息も、世界も止まったような感覚。自分が生きているのか、死んでいるのかも分からなくなる。

 ただ、それでも鼓動は早くなる。鼓動が思考を置き去りにする。

「………………好き」

 頭が真っ白になり、まともな思考はできていない。そんな状態で、人間はどうするのか。恐らく、本能に身を任せるのだろう。

 でないと、この僕の発言がなんなのか説明ができない。

 僕は金髪が好きでもなんでもない。むしろ、僕の日常を脅かす敵として見ている。

「本当!? 嬉しい!」

「……っ」

 そして露見した僕の本能は、嘘による防衛本能。

 どうやら僕は、僕が思っている以上に嘘つきらしい。

 酸素を吸って、嘘をはいて生きている、根っからの嘘つき。

 ただ、今回ばかりは自分で自分の首を絞めてしまった。これでは酸素も吸えないし、嘘もはけない。

 今さら逃げ道なんてない、そう思ってしまった。

 それならいっそ、僕を殺してしまおう。そのまま首を締め上げて。

「う、うん。大好き。ちょっと強引なところも、素直なところも、野菜が嫌いなところも、全部好き」

 心にもないことが、口から溢れてくる。

 本当は、大嫌い。すごく強引で、僕の気持ちなんておかまいなしなところも、自分の感情に素直すぎて見ていて疲れるところも、野菜の味も分からないようなお子ちゃまなところも、全部嫌い。

「いやー、そんなに言われると照れるなぁ。まぁ、なにはともあれ、私たち今日から友達だね!」

「…………えっ? とも……だち?」

「うん、友達!」

 ……はぁ、どうやら杞憂だったらしい。

 僕はただただ心配だった。恋人とかいう甘ったるくて気持ち悪い関係になることが。

 お互いに信頼しあったフリをして、気持ちを勝手に解釈して、幸せそうにしている自分たちは幸せだぞ、って周りにアピールするような関係。考えただけでも反吐が出そうだ。

 だけど、まだ大丈夫。友達の一人や二人増えたところで、僕の日常を守る壁は壊されない。ヒビが少し入っただけだ。

「そ、そうだね。今日から友達」

「いやー、ついにできちゃったね。友達。仕方ないよねー、好き同士なら友達にならないと」

「まだ実感ないけどね」

「あっ、それなら『RING』教えて?」

 RINGとは、老若男女問わずに愛されている、コミュニケーションアプリのことだ。メッセージの送受信の手軽さが評判で、スマホを持っている人のほとんどがインストールしているらしい。

 友達と言ったら、RINGでコミュニケーションを取るのは当然らしい。

 いかにも金髪が思い付きそうな、浅はかな発想。RINGは友達の証明、とでも言いたいのか。

 それはさておき、そのRINGのアドレスを知りたいときは『RING教えて?』と呪文を唱えるらしい。僕は当然唱えたことはない。

「ごめん……インストールしてない」

「…………えっ」

「だって……友達、いないし」

「もしかして、やっぱり私が初めての友達?」

「うん……」

 同情、そして納得というか安心したような眼差しを向けられる。心が痛い。

「あの、どうやって使うか教えてください……」

 首を縦に振り無言の肯定。なにも言わないのは金髪なりの優しさなのかも知れないけど、いっそ笑い飛ばしてくれた方がよっぽど気楽だ。

 そして、再び隣同士になり、一からRINGについて教えてもらう。

 金髪の教え方が上手なのか、三分も経たないでインストール、アカウント作成までこぎつける。

「よしっ! それじゃあいくよ」

「う、うん……!」

 人生初のRINGアドレスの交換が始まる。緊張の必要なんて微塵もないのに、妙に緊張する。

 数秒後、ピロリン、と間抜けな電子音と共に『友達』の欄に一人の名前が追加される。

『姫野大華』

 そういえば、初めて知った。金髪の名前。

 この金髪、姫野大華って言うのか。見た目のインパクトに反して、随分と可愛らしい名前だ。

 姫野、姫野、姫野……。うん、まぁ、覚えてこう。

「あっ、私のアイコンね、家で飼ってるハムスターなんだー。可愛いでしょ?」

 このRINGとかいうアプリでは、自分のお気に入りの写真や画像なんかをアイコンとして設定できる。

「食用?」

「大切な家族! 食べないよ!」

 金髪、もとい姫野のアイコンは灰色のジャンガリアンハムスター。チビっちゃくて、まん丸としていて可愛い。大切そうにひまわりの種を両手で抱えている愛らしい姿は、飼い主には似なかったらしい。

 まぁ、姫野は髪の色を除けば見てくれは悪くないと思うけど。

「そっか。名前はなんていうの?」

「この塩対応人間め……。まっ、いっか。この子、チョコって言うんだ。ちょこちょこ走り回るから」

「やっぱり食用?」

「だから違うって! 絶対言うと思ったけど!」

 名前的にやっぱり食べる気が多少あるのでは、と思わず疑ってしまった。

 ハンバーグばかり食べる肉食の姫野のことだ、お腹が空いたら食べてしまうかもしれない。

「あっ、そうだ。東雲くんのアイコンなににするの? どうせなら設定しようよ。東雲くんらしいの」

 ちなみに僕のアイコンは初期設定のままで、なにも設定されていない。

「そう言われても、特に……」

 設定したいものがない。画像フォルダには何枚か画像はあるが、過去のテスト問題、気になった記事のスクリーンショット、バスの時刻表などなど。どれもアイコン向きではない。

「東雲くん」

 画像フォルダをくまなく漁っていると、隣から急に声をかけられる。

 顔を向けて見ると、満面の笑みでピースサインをする姫野の姿。

「……良いことでもあった?」

「違うって。ほら、ピースピース」

「もしかして、撮れってこと?」

「うんっ!」

 察しが良すぎるのも玉に瑕だ。気付きたくないことも気付いてしまう。こんな状況で撮影を要求してくるなんて、答えはただ一つ。

 姫野のピース姿をアイコンにしろ、ということだろう。

 ただそうなると、名前が『東雲彰悟』なのに、アイコンが金髪の女子高生という意味の分からない事態に陥る。

 このままでは、スマホを覗き見されたときに、東雲彰悟は女装癖がある。なんて誤解を与えかねない。

 それだけは、避けなければ。

 なにか打開策を、と考えていたら気付いてしまった。姫野の背後には大きな窓がある。そしてその窓に切り取られた町並みの風景。そこに佇む一軒のお店。

 よし、これにしよう。

「それじゃあ、撮るよ。はい、ちーず」

「いえーい!」

 パシャリ。うん、よく撮れている。最近のスマホはカメラの性能も抜群に良い。細部までしっかりと描写されている。どれだけズームして見ても、画質の劣化が気にならない。

「ねぇねぇ、可愛く撮れた?」

「うん、ばっちり撮れたよ。後ろの時計屋さん」

「えっ!?」

 姫野がすごい勢いで僕のスマホを覗き込む。

「ねぇ! 今のは私を撮る流れだったじゃん!」

「いやぁ、後ろの時計がすごく綺麗で」

 背後の時計屋さんには、多種多様の時計が展示されていた。

 ぱっと見た感じ、置き時計と掛け時計を主に扱っているお店らしい。

 その中でもお気に入りなのが、大きな丸時計。ダークブラウンの木を基調とした、落ち着きのあるデザイン。

 うん、決めた。これをアイコンにしよう。

 適当にRINGをポチポチいじって、特に苦戦することなく、お気に入りの丸時計をアイコンに設定する。初めて設定するする割には、スムーズに出来た気がする。

「うぐっ……ちょっと良い感じなのが悔しい」

 僕の設定したアイコンを見て、悔しさを滲ませている。

「なかなかでしょ?」

「ま、まぁ。意地悪で嘘つきで意気地無しでお馬鹿な東雲くんにしては、悪くないと思うよ」

 ふんっ、とそっぽを向く姫野を尻目に、設定したアイコンを眺める。

 うん、我ながら悪くないセンスだと思う。

 そしてまた気付く。時間がかなり進んでいることに。アイコンの静止している時計が教えてくれた。

 かれこれ一時間程、このファミレスにいたらしい。

「六時間目! 始まる!」

「えっ!? 嘘!」

 なんて間抜けなんだろう。二人して時間を気にしていなかったなんて。

「東雲くん、急いで帰ろ! 次、歴史のテストだよ!」

「言われなくても!」

 伝票を握りしめ、大急ぎでレジに駆け込み、会計を済ます。当然、料金は全部僕が持った。最初からそういう約束だったから覚悟はしていたが、ハンバーグ三つはなかなかのお値段だった。

 だけど、好都合。財布が軽くなった分、身軽になった。これならいつもよりも早く走れそうだ。

「よーし! どっちが先に着くか競争だっ!」

 店を出ての第一声。姫野はこんな状況でも楽しんでいるらしい。さっきまで焦っていたように見えたが、僕の勘違いだったらしい。

「そんな呑気なこと言ってる場合か!」

「あはは! 負けないからっ!」

 そして僕らは、学校に向かって走り出した。


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