オオカミは時に恋をする

Namako_Fontaine

第1話 君の中へ

「ねぇ、君って東雲彰悟くんだよね?」

 昼休みに自席で突っ伏していたら、頭上から声が降ってきた。

 友達のいない僕にとって、こんなタイミングで話しかけてくるのは、おそらく何かの提出物関連のことだと思う。

 当然本当に寝ているわけではないし、顔だけ上げて声の主を確認する。

「……そうだけど。なんて名前だっけ?」

 声の主の顔を確認して数秒思案したが、クラスの大半の名前は知らない、または曖昧だったから誰だか分からない。

 唯一分かったことは、金髪の女子生徒が声の主ということ。一瞬だけ外国人かと思ったが、日本語の発音が日本人のそれだし、顔立ちも日本人だ。

 それにしても、僕みたいな根暗で友達のいない男子、そしてこの進学校の校舎とはあまりに相性が悪い。両者にとって相容れない存在だ。

「クラスメイトの名前も知らないの? 東雲くんってお馬鹿なんだね」

 呆れた目でこちらを見下ろしてきた挙げ句、名前も知らない金髪のクラスメイトにお馬鹿と言われてしまった。

 プライドなんてないからどうとも思わないけど、なんとも失礼極まりない。初対面の人間を馬鹿にできる神経の図太さに驚きだ。

「お馬鹿でごめん。それで、何か用?」

 再度名前を訊くのも面倒になったので、さっさと用件を訊いて、さっさと終わらして、さっさと寝よう。

 こんな失礼なやつに僕の時間を奪われてたまるか。僕の時間は僕だけのものだ。こんな得体の知れない金髪と共有する時間なんて一秒もない。何ならこうやってこの金髪のことを考える時間すら惜しい。

「うわー、塩対応。東雲くんって友達いなさそう」

「見ての通り、昼休みに机で突っ伏すぐらいには友達なんていないけど。そんなことはいいから、さっさと用件を言ってくれない?」

 僕には分かる。この金髪の生き物はずかずかと話を進めるタイプだ。苦手だ。

「そっか。じゃあさ、校舎裏付いてきて。一緒に」

 金髪の放った一言で教室内の動きが止まる。昼食をとっている人、勉強している人、スマホをいじっている人、みんなが僕たちの行く末を監視している。

 とてつもなく、面倒な予感。

「どうして?」

「東雲くんに話があるから」

「ここじゃダメなの?」

「ダメ、絶対」

 どこかで聞いたことのあるフレーズと共に、どうしても校舎裏にこだわる金髪。

 話すのでさえ面倒なのに、どうしてわざわざ移動までしなくちゃいけないんだ。

「……ごめん、体調が悪いからそっとしておいて」

 言ってしまってから気づく。また、出てしまった。

 自覚はしているが、面倒な事は適当に嘘をついて相手を呆れさせるのが僕の悪癖。治る気も治す気もない。

 幼い頃からこの悪癖と共に生きていた。誰かに見下されるのが嫌で虚勢を張って、自分を大きく見せるために取り返しのつかない嘘をいくつも並べてきた。いつしかそれが体の芯に染み付いて消えないものとなった。そうして僕の嘘が何気ないきっかけでバレた途端に、誰からも相手をされなくなり、いつしか天涯孤独の身になった。

 その日から僕の中で、人間関係と面倒事が等記号で結ばれた。誰かと関係を持つことが、僕の最も忌むべきものとなった。

 そして僕の嘘を耳にした金髪は眉に皺を寄せた。

 僕のことを嫌いになってくれて構わない。どう思ってくれてもいい、僕を独りにしてくれ。

「また……それ?」

 しかし、金髪から発せられた言葉は僕を罵倒するものでも距離を置くものでもない。むしろ心配をされているかのような言葉。

「……えっ?」

 また? それ? 何の話だ。

 それに何でそんな悲しそうな顔をしているんだ?

 辛うじて、『それ』の正体は分かる。おそらく僕のくだらない嘘のことだ。

 だが、『また』の意味が分からない。この金髪と言葉を交わすのは今日が初めてのはず。それどころか、僕がこの金髪の存在を確認したのが今日が初めてだ。

 誰かと勘違いしているのか? いや、その可能性は恐らくない。金髪は初めに僕の名前を確認してきた。僕が東雲彰悟であることを認識したうえで、話しかけてきた。

 つまり、僕は以前にこの金髪と話したことがあるということか。だが僕にはその記憶は一切ない。こんなインパクトのある髪の色の人間をそうそう忘れるはずがない。頭が良くないとはいえ、そこまで僕は記憶能力がないわけじゃない。

「まっ、いっか。それじゃあ付いてきて」

 さっきまでの悲しそうな顔はなんだったのか、一瞬で笑顔に戻った。

 表情も心情も読めない。

 そして、僕の右手が金髪により強引に机から引き剥がされる。

「ちょっと! 僕、体調が悪いんだけど!」

「どうせ嘘でしょ。知ってるよ」

 金髪に右手を引かれ、教室を後にする。

「秘密の話だから校舎裏じゃなきゃダメなの」

 金髪が呟く。校舎裏に執着する金髪の後頭部を睨みながら、仕方なく連行される。

 本当は今すぐにでもこの手を振りほどいて逃げたいけど、クラスメイトの視線がそれを邪魔する。

 変な誤解をされる方が僕にとって面倒だからだ。痴情のもつれ、なんてあらぬ疑いを掛けられて後ろ指をさされるなど絶対にごめんだ。

 僕はひっそりと、陰日向で誰にも見向きされることなく高校生活を乗り切るんだ。

 って、今はそんなことを言ってる暇はない。

 なぜ校舎裏で話をしなければいけないのかを考える必要がある。

 人目を憚るような話をすることは明らかだ。じゃないと校舎裏で話す必要はない。教室内で十分。

 足りない脳を必死に回転させたが、いかんせん状況が悪い。突然のことで混乱している。考えがまとまらない。

 順調に校舎裏まで連行されてしまっている間、愛の告白、またはカツアゲの二つの可能性しか思いつかなかった。この状況下で二つも可能性が思い付いたのだから上々だろう。

 前者であれば丁重にお断りしなくてはいけない。恋愛とこの金髪に興味がないからだ。

 後者であればポケットの財布にいる野口三兄弟と、樋口さんを犠牲にしなければ生きては帰れないだろう。

 いろいろ考えてはみたものの、どちらにしろ面倒な事には変わらない。

 適当に、穏便に済ませよう。

 階段を降り、昇降口に到着する。そこで靴に履き替えようとするが、なぜか金髪は僕の下駄箱の位置を知っていて、何の迷いもなく僕のスニーカーを取り出した。

「東雲くんの靴って、これであってるよね?」

「……あってるよ」

「そっか。よかった」

 そう言って僕のスニーカーをそっと僕の足元に置き、金髪は自分のローファーに履き替えた。その間も僕の手は離してくれなかった。

 僕はスニーカーに履き替えながら、一つだけ疑問に思った点がある。それは、金髪からあまり安堵の感情は読み取れないという点だ。全部知ってるうえで、念のために確認した感じがする。この学校の下駄箱には名札は付いていないから、誰がどこの下駄箱を使っているかは分からないはず。それに誰かの下駄箱の位置を把握しているなんて不自然だ。ましてや友達でもない僕の下駄箱の位置を知っているとは、怪しいにもほどがある。

 この金髪、僕の何を知ってるんだ。

「履いた? それじゃ、行こっか」

「……はいはい」

 この際だし、適当に話を合わせておこう。下手に反抗して暴力沙汰になったら嫌だし。僕は僕の血を見たくない。

 表面上はこうして金髪に従順にしているが、警戒心はよりいっそう高まっていった。

「みんな楽しそうだねー」

 校舎裏に行くには、一度桜舞う校庭を経由する必要がある。

 そんな校庭では、日頃のストレスを発散していると思われる男子生徒が数名、奇声を発しながらボールを投げ合っている。

 春にはたくさんの虫が沸くが、その虫に頭の中身を食べられたとしか思えない。

「仲間に入れてもらえば?」

「私はいいよー。ボール遊びなんてしたことないし。東雲くんこそ仲間に入れてもらえば?」

「遠慮しとく。きっと的にされるだけだ」

「身長おっきいから良い的になりそうだね」

「褒めるのと貶すのを同時にするって、器用だね」

「ふふっ、お馬鹿な東雲くんと違って天才なので、私」

「そんな見た目でよく言うよ。特に髪の色」

「あー。人を見た目で判断しちゃいけないんだよ」

「見た目は重要な判断材料だよ」

「金髪にだって頭良い人はいるのに」

「そりゃいるだろうね、外国なら」

「日本にだっていますー!」

 雲一つ無い青空の下、花見に来た老夫婦のように他愛ない会話をはさみつつ、校舎裏へと無事連行された。

 校舎裏は一日中太陽光が当たらず、地面はしっとりしていて、コケがそこらじゅうに発生している。

 こんなところで、何をされるんだろうか。

「それでは、お馬鹿な東雲くんに大切なお話があります」

 右手は解放されたが、僕は背後の壁と眼前の金髪に挟まれ、容易には逃げられないポジショニングを余儀なくされた。

 そして嫌な予感というものはよく当たるもので、おそらく愛の告白が来ると思われる前口上が飛んで来た。

「……はい、何でしょうか」

(ごめんなさい、興味ないです)

 愛の告白をお断りする予行演習を、心の内で済ませておく。

 不思議と心は落ち着いている。急なことすぎて頭の処理が追い付いていないおかげだ。鼓動を早くすることもできないくらいに余裕がないんだ、僕の脳みそは。

 そして、意を決した金髪が短く息を吸う。

 いよいよ、来る。

「友達を作りなさい」

「ごめんなさい、興味ないです」

 愛の告白ではなかったが、予行演習がしっかりと生きた。

「東雲くん? 今、何て言ったの?」

 少しだけ言葉に怒気が混じっている。

 おそらくだが、この金髪を怒らせてしまったらしい。

「興味がないって言った。友達なんていなくていいってこと」

 僕にしては珍しく、面倒事に正直に答えてしまった。

 なんでこんなことをしたのか、原因は分かる。この金髪にペースを乱されたからだ。

「興味がないじゃないよ。友達がいないとこれから困るでしょ? 学校休んだときにノート見せてもらったり、修学旅行の班だったり」

「僕は学校を休まないし修学旅行も行かない。それなら困らないでしょ? だいたい群れるのは好きじゃないんだ」

 思ったことを全部ぶつけてやった。少しだけスッキリした。思えば本音をぶつけるなんて生まれて初めてかもしれない。

 ていうかこの金髪、初対面の相手に校舎裏で説教って、どういう神経してるんだ。

 それにこれのどこが大切なお話なんだ。まぁ、こんなくだらない話を教室でされても困るけど。

「東雲くんって本当にお馬鹿だね……。私、ちょっと悲しいよ」

 なんだこの金髪、さっきからころころ表情を変えて、鬱陶しいったらありゃしない。

「……はぁ、そうですか。で、説教はおしまい? いくら払えばいいの?」

「えっ、どういうこと?」

「どういうことって、説教ついでにカツアゲしたいんでしょ? とりあえず八千円しか手持ちないから、五千円でいい?」

 僕の財布事情を告げると、金髪は途端に狂喜の表情に変わった。

 やっぱり、お金が目当てか。

「うーうん。そのお金は受け取れない」

「そっか。それならよかった」

 どうやらお金が目当てではなかったらしい。よかった、これで漫画もゲームも存分に買える。

「でも、そのお金は使うよ!」

「はっ?」

 この金髪が義務教育を受けてきたのかが怪しくなってきた。何を言っているのか、さっぱり分からない。

「もう一回付いてきて!」

「ちょっと!」

 校舎裏に連行された時と同じように、強引に学校の敷地外に連行された。

 それと同時に、五時間目開始のチャイムが鳴る。

 さながら、パトカーのサイレンが鳴り響く中、警察に連行される犯人のようだった。

「ふふっ、楽しみだね、東雲くん!」

「全然っ!」

 僕は高校生活二年目の春にして、初めて授業をサボった。

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