最終話 天文部の夜はいつ明ける
「ふっふっ」から始まる部活動紹介
高校生の本分は勉学と部活動である。
「世迷言はやめい。恋愛第一に決まっておろうが。勉学も部活動も二の次でよいのじゃ」
などというおまんさんの言葉に惑わされるようなボクではない。脳機能は二十才頃から低下し始める。この時期に脳を鍛えないでいつ鍛えるというのだ。恋愛は脳が衰えてから始めればよいのだ。
「地学教室はここか」
本館四階西端にある教室の前に立つ。本日は入学オリエンテーション最終日。午後の二時間は部活動紹介に当てられている。新入生は自由に部室を訪ね、どこに入部するかを決めるのだ。
「おまんさんと興味が合わなくてよかった」
ボクの希望は天文部だ。実家のある田舎の星空を見れば、その美しさの虜にならない者はいないだろう。ボクもそうだった。小学、中学はサイエンスクラブに所属して星空ばかり眺めていたっけ。
「ふっ、星など見て何になる。あれは穴じゃ。雨を降らせる穴に過ぎぬ。わしは別の部を見て回るぞ」
入学以来、まるで保護者のようにボクについて回っていたおまんさんも、自分の好みを他人に合わせることはできなかったようだ。久しぶりの解放感を味わいながら地学教室の戸を開けた。
「失礼します」
「ようこそ地質部へ!」
威勢のいい声が返って来た。えっ地質部? 驚いて配布された資料を見ると地質部の部室も地学教室になっている。
「嬉しいな。最近は理系クラブの人気がなくてね。君もやっぱり岩石大好き少年? これなんかどう、方解石の結晶」
大歓迎じゃないか。これを否定するのはさすがに心苦しい。
「いえ、見学に来たのは地質部ではなく天文部です。すみません」
そう謝った瞬間、先ほどまでの熱烈歓迎な雰囲気はただちに消失し、村八分のよそ者に対するような冷めきった空気が教室を漂い始めた。
「あっそう。あいつらはここにはいないよ」
「えっ、そうなんですか。どこにいるんですか」
「いつもは屋上だけど今日は部員勧誘のために本館と北館の間の渡り廊下にいる。ふっふっ」
「でも、関わらないほうがいいと思うよ、ふっふっ」
「君自身のためにもね、ふっふっ」
「ふっふっ」
不気味な笑いが部員の間を伝播していく。「ありがとうございました」と礼を言って渡り廊下のある二階へ下りる。この高校の渡り廊下は屋根がないので空の観察にはもってこいだ。屋上よりも目立つしな。
しかし気になる。さっきの笑いは何だ。運動部ならシゴキやイジメとかあるかもしれないけど天文部だぞ。評判を悪くする要素なんて作ろうとしても作れないだろう。
「あっ、あれか」
渡り廊下に出ると中ほどに天体望遠鏡が置かれていた。その近くには女子一名と男子一名。どちらかが部長のはずだが、恐らく女子のほうだろう。
(な、なんだ、あの男子。文科系クラブには不釣り合いすぎるぞ)
女子を部長だと判断した理由は簡単だ。メガネをかけてポニーテールという、いかにもリケジョな雰囲気を漂わせているからだ。しかしそれよりも大きな理由は男子の容姿にある。異常なまでにガチムチ系なのだ。
身長は二メートル近くある。上着を脱いでシャツをまくり、そこから見える盛り上がった前腕筋とシャツに隠れた上腕筋がヒマラヤ山脈を形成している。顔はゴリラのように
(きっとあいつも見学に来た新入生だ。部長が女子なのを見て、入部するつもりもないのに冷やかしているんだろう。よし、追い払ってやる)
ズカズカと二人に歩み寄る。弱気になったら駄目だ。かと言ってワルぶるのもよくない。礼儀正しくなおかつ強気にいくんだ。
ボクは二人の間に割って入ると、女子に一礼して挨拶を述べた。
「失礼します。入部希望の一年一組
「あらヤダ、入部希望者なの? 感激っ!」
腰が砕けそうになった。それが女子の言葉ならまだ許せる。が、違った。野太い声でそう言ったのはガチムチ猛者のほうだ。
「え、えっと、もしかしてあなたが部長さんですか」
「そうよお~、あちきが部長の
「ようこそ。歓迎します。名刺です」
高校生なのに名刺を持っているのか。部員勧誘のためにそこまでするとは、かなり気合が入っていると言わねばなるまい。
「あ、ありがとうございます」
礼を言って受け取った名刺を見る。『天文部部長
う~む、どちらも愉快なお名前の持ち主だな。副部長は普通だが部長は相当な変わり者のようだ。地質部の皆さんの「ふっふっ」はこういうことだったのか。
「えっと、それで普段はどんな活動をしているんですか」
「本当は毎晩天体観測をしたいのよ。だって天文部ですもの。星を見ずして何を見るって感じよね。でも高校生が毎晩夜更かしなんてできないでしょ。だからメインの活動は太陽の黒点観測なの」
太陽黒点か。聞いたことはあるけど実際に観測したことはないな。
「黒点って言っても黒い点があるわけじゃなくて、そこだけ周囲より温度が低いから黒く見えるだけなのよ。陽キャラは明るく陰キャラは暗いけど同じ人間に違いはないでしょう。それと同じね」
例え方が独特だな。性格だけでなく思考方法も変わっているようだ。それにしてもこの喋り方なんとかならないかな。声質が野太いだけに聞いていると背筋がぞわぞわしてくる。
「太陽活動は周期的に変動するから黒点も周期的に変わるの。それを地球上の様々な出来事に結び付けて考える人も大勢いるわ。黒点が多くなると景気が良くなるとか。他にも地震とか天候とかに関係あるとか」
「へえ~、面白そうですね」
黒点なんぞに関心はなかったが話し方が上手いせいだろうか、次第に興味が湧いてきた。菊門部長が両腕ガッツポーズをしながら尻を振っている。乗り気になってきたボクを見て嬉しくなったようだ。尻を振るのはやめろ。
「そしたら次は望遠鏡の説明をするわね。一般的な十五センチ屈折式よ。黒点観測の時には日よけ板と投影板を装着するの」
太陽に向けられた望遠鏡の接眼レンズの下に黒い板がついている。さらにその下には白い板があり、大きな丸い像の中に黒い点がいくつか映っている。これが太陽黒点なのだろう。
「凄い、像が全然ぶれませんね。モータードライブですか」
「そうよお~、自動追尾装置付きだから操作も簡単。気に入ってくれたかしら」
これなら写真やスケッチも楽にできるだろう。部長は難ありだが、観測機器は立派なものが揃っているようだ。
「はい。高校の天文部だけのことはありますね」
「ふふっ、嬉しいこと言ってくれるじゃないの。それならさっそくだけど入部届を書いてもらおうかしら。善は急げって言うでしょ」
菊門部長が紙を差し出す。受け取ろうとしたら、いつもの居丈高な声が聞こえてきた。
「あいや待たれよ、内クンよ。早まるでない」
いつもいつも何が楽しくて時代劇がかった台詞回しをするんだろうな、おまんさんは。昭和一桁生まれなら普通に現代の言葉を喋っていただろうに。
「どうして来たんですか。天文部は興味ないから別の部を回るんでしょう」
「ふっ、すでに回り終わった後じゃ。茶道部と華道部に入部を決めてきたわい。わしはどちらも免許皆伝の腕前じゃからな。部長が平伏して持て成してくれたわ」
さすがは花嫁修業の鬼。こんな所で役に立つとは、おまんさんの親御さんも想像だにしていなかっただろう。
「ああ、そうですか。で、早まるなとはどういう意味ですか。どこに入部しようがボクの自由でしょう」
「普通のクラブならば何も言わぬ。が、
「ちょっと待ちなさいよ。失礼な物言いはやめてくれない。そもそもあんた何? 生徒なの、それとも先生、用務員のお婆さん?」
「誰がお婆さんじゃ! どこをどう見てもJKじゃろうが」
いや、どこをどう見てもお婆さんだろう。若作りのために見るに堪えないセーラー服を着た変態老婆にしか見えない。
「菊門部長、もしかしたらこの人……」
仏右副部長が耳打ちしている。どうやらおまんさんの噂は他の学年にまで広まっているようだな。菊門部長は話を聞きながらふんふん頷いている。
「ああ、そうなのね。あなたが今年話題の新入生、古希女子高生の鶴亀おまんさんなのね。それはわかったけれど、普通ではないってどういう意味なのかしら」
「まだシラを切るつもりか。ならばわしの口から言ってやろう。この高校には天文部など存在せぬ。おぬしらは天文部員ではない。そうであろう」
また何を言っているんだ、このもうろく婆さんは。自動追尾機能付き十五センチ反射式天体望遠鏡が見えないのか。こんなもの、天文部以外に使い道がないじゃないか。
「ど、どうして、それを……」
菊門部長が両手を口に当ててブルブル震えている。滲み出る汗の量が尋常ではない。えっ、ちょっと待って、まさか本当に天文部じゃないのか。地質部の皆さんの「ふっふっ」の本当の理由はこれだったのか。
「ふっふっ、悪事はいつかばれるもの。次期生徒会長を狙うわしに隙はない。生徒会に所属する全ての部活動の全容はすでにこの頭の中に叩きこんであるのじゃ」
「菊門部長、こうなっては言い逃れできません。素直に白状しましょう」
「わかったわ、乃子ちゃん」
「う、嘘だろ、おいおい何だよ、この茶番劇は」
急転直下の展開を前にして、ただ立ちすくむしかないボクであった。
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