幸せのかたち

 ナツメ球のオレンジ光が部屋全体を薄暗く照らしていた。少しだけ開けたカーテンの隙間から窓の外を眺める。夜空を覆う雲に隠されて星は見えない。雨が降って来そうな空模様だ。


「こんな空を見ていると胸の中までもやもやしてくるな」


 今日の入学式は散々だった。おまんさんが同じ高校の新入生だなんて誰が予測し得ただろう。帰宅してすぐ実家に電話すると、


「ほう、そりゃラッキーだ。おまんさんは優秀な成績で高等女学校を卒業したと聞いている。良きライバルとして切磋琢磨すれば東大も夢ではないぞ」


 と爺ちゃんに言われてしまった。どうやら家族もおまんさんの入学については聞かされていなかったようだ。


「どうじゃ、わしのセーラー服姿は。似合うじゃろう」


 おまんさんはかなり制服が気に入ったようだ。昼食の時間になっても着替えようともせず、そのままの格好で食べている。


「おまんさんって高等女学校を卒業したんでしょう。今さら高校に入学してどうするんですか。意味ないでしょう」

「ふっ、詳しく調べもせずに大口を叩くでない。高等女学校は五年制。つまり今の高校二年までしか履修していないことになるのじゃ。しかもわしらの頃は先の大戦の真っ只中。修業年限を一年短縮されて四年で追い出されてしまった。高校一年からやり直したとて罰は当たらぬじゃろう」


 そうか。おまんさんの青春時代は戦争と共にあったんだ。爺ちゃんも危うく学徒動員されかけたって言っていたしな。


「それにしてもですよ、いい加減に制服を脱いだらどうなんですか。その頃にもセーラー服はあったんでしょ」

「ああ、じゃがこんなに可愛くはなかった。戦時中はスカートではなくモンペじゃったしな。おのことお喋りするなど考えられぬ時代であったな」


 少し寂しそうなおまんさん。当時がどれほど生きにくい世の中だったのかボクには想像もできない。ただあの頃に味わった悔しさと切なさが、今のおまんさんの行動力の源になっていることだけはわかった。


「今は本当に良き時代じゃ。正々堂々と男女が付き合えるのじゃからな。内クンよ、本能の赴くままにやりまくるがよい。何なら今から相手をしてやろうか。ひょっとしてセーラー服姿のわしに劣情を催しているのではないか、うん?」

「あり得ません。ごちそうさま」


 茶碗と湯呑を流しに片付けて二階へ上がる。おまんさんもいい気なものだ。自分にかけられた呪いを知れば、あんなに簡単に子を作ろうなんて言えるはずがないのに。


 午後は昼寝をして過ごした。おせんさんが入れ替わる今夜に備えて、昼のうちにたっぷり睡眠を取っておきたかった。

 もちろん眠る時は入り口の鍵を忘れてはいない。今はもうおまんさんも諦めて二階には滅多に上がって来ないが、壁に耳あり障子に目あり。用心に越したことはない。


「そろそろ零時か」


 さっきからずっと枕元に置いたデジタル時計を見つめている。待ちきれない気持ちを抑えてその時を待つ。

 五十八、五十九、〇〇、〇一……時間だ。

 しかしすぐには動かない。焦る必要はないだろう。六時間もあるのだ。窓の外の夜空は相変わらず厚い雲で覆われている。

 五分経った。


「行くか」


 部屋を出て一階へ下りる。おせんさんが寝ているはずの奥座敷の襖に手を掛けた時、一瞬、嫌な考えが頭をよぎった。


(まだおまんさんのままだったらどうしよう)


 最悪だ。こちらが夜這いを仕掛けたことになる。このまま何もせず戻ろうか。いや、そんなことあるはずがない。おせんさんの言葉には万に一つの嘘もないはずだ。四日に一度入れ替わる、彼女は確かにそう言った。ならば今この中にいるのはおせんさんのはずだ。信じろ、内! 襖を開けろ!


「あっ!」


 息を潜めて襖を開けたボクは驚きの声をあげた。ボクの部屋と同じくナツメ球のオレンジ光に照らされた奥座敷には誰もいなかった。布団はもぬけの殻だった。


「お、おせんさん……」


 その代わり誰かがボクの体を抱き締めていた。密着した体から伝わる温かさ。胸に押し付けられた豊かな黒髪の頭。確かめるまでもなくおせんさんだ。明るく澄んだ声が聞こえてくる。


「嬉しい。内様のほうから訪ねて来てくださったのですね」


 この屋敷に初めて来た時もおまんさんにいきなり抱き着かれたっけ。やはり双子だな。行動がそっくりだ。


「正直ほっとしたよ。もしおまんさんのままだったらどうしようかとちょっぴり心配していたんだ」

「まだ私の言葉を信じてくれてはいないのですか。疑り深いお人ですこと。さあ、致しましょう」


 おせんさんがボクの手を引っ張る。そのまま布団まで移動するとその上に押し倒された。覆いかぶさったおせんさんがボクを見下ろしている。


「ちょ、ちょっと何をするつもりなの」

「何って、決っているではありませんか。わざわざこの座敷へ参られたのは私と致すためなのでしょう。ようやく心を決めていただけたのですね。おせんは嬉しゅうございます」


 なんという早合点だ。しかも強引に布団へ押し倒すとは。単純な思考と躊躇ない行動力はおまんさんそっくりだな。さすが双子。


「ち、違うよ。そんなつもりじゃない」

「では何をしにここへ参られたのですか」


 おせんさんが布団の脇へ退いたので体を起こす。前回と同じく薄い襦袢の下は何も身に着けていないようだ。胸の谷間が見えている。


「確かめたかったんだよ。本当に四日目におせんさんに入れ替わるのか」

「そうですか。それではもう用は済みましたね」


 急におせんさんの言葉が冷たくなった。拒否されて機嫌が悪くなったのかな。


「それだけじゃないよ。おせんさんと話がしたいなあと思って」

「何の話をしたいのですか」


 そう訊かれて居住いを正す。ここからは真面目な話だ。


「四日間、いろいろ考えたんだ。どんな選択をすれば君たち二人が一番幸せになれるんだろうって。で、やっぱりボクはおまんさんが子を宿すのが一番いいんじゃないかって思うんだ」


 おせんさんの顔にあからさまな失望の色が浮かんだ。意外だった。おせんさんも納得してくれる選択だと思ったのだが。


「そうですか。内様は私より姉を選ぶのですね。わかります。セーラー服を身にまとえば五十才は若返って見えますからね。あの姿に惚れてしまったのですね。朴訥ぼくとつな内様をも篭絡ろうらくしてしまうJKの魅力、今更ながらにその破壊力に恐れすら感じてしまいます」


 またトンデモナイ誤解をしているみたいだな。この思い込みの強さもおまんさんそっくりだ。


「いや、全然間違っているよ。ボクだっておまんさんとなんかやりたくないんだ。だからと言っておせんさんとやったら二度と表には入れ替わらないんだろう。だったら我慢しておまんさんとやって、君を永遠に表のままで固定したほうがいいと思うんだ」

「そのような生き方が本当に私の幸せだと思っているのですか」


 おせんさんの語気が強くなった。少々お怒りのようだ。


「えっ、だって二度と裏に戻らなくてもよくなるんだよ」

「そう、確かにそうなります。けれども私が母になってしまえば二度とおのこと致せなくなります。母と嫁、二つの生き方はできないのですからね。内様は私を抱きたくはないのですか。姉と致してしまえば私とは決して致せないのですよ」


 うっ、あらためて訊かれると確かに辛い。こんな魅力的な女性とやれる機会は一生巡って来ないだろうからなあ。


「それに四年に一度しか年を取らない呪いもそのままです。たとえ表に固定されたとしても人前に出ることは避けねばなりません。何年経っても若いままでは不自然に思われますからね。結局、この屋敷の中に籠って生きていくしかありません。人より四倍も長い人生を、人目を避けて孤独に生きていく、こんな生き方が幸福と言えるでしょうか」

「だからと言っておせんさんとやってしまったら、その時点で君の人生は終わっちゃうじゃないか」

「長く生きればよいというものではありません。人の心は移ろいやすいもの。少しずつ冷めていく愛にしがみついて長く生きるより、たとえ一瞬でも天をも焦がす激情の炎に駆られた愛のほうが幸せなのではないですか。内様に抱いていただけるなら、そのまま黄泉の国へ連れ戻されたとしても何の悔いもございません」


 まさかおせんさんがここまで情熱的な女性だとは夢にも思わなかったなあ。内面の激しさはおまんさんに勝るとも劣らない。しかし困ったな。どうすればいいのかまたわからなくなってきた。


「うん、おせんさんの気持ちはよくわかったよ。じゃあ、もう一度考えてみる。それからひとつお願いがあるんだけどいいかな」

「それはどんなお願いか聞いてから判断します」


 なかなか慎重だな。まあ、たいしたお願いじゃないから大丈夫か。


「おまんさんなんだけど、あの人は君たち二人にかかっている呪いについて何も知らないんだよね」

「はい、父様も母様も姉には話しておりません」

「それはちょっと卑怯な気がするんだよ。だっておまんさんは自分の運命を知らずに子を作ろうとしているんだもの。もし子ができた途端、自分が裏に固定されると知ったら、あんなに子作りに執着しないと思うんだ」

「そう、かもしれませんね。それで内様のお願いとは?」

「おまんさんに真実を教えてあげたらどうだろう。君が裏にいることも、四日に一回入れ替わることも、呪いのことも全て話すんだ。それでもまだ子作りに執着するのならもう一度考える。逆に子を作るのは嫌だとなればボクはおせんさんを選ぶしかない。君や両親が七十年間隠し続けてきた秘密を明かすのは抵抗があるかもしれないけど、今のおまんさんにとってはそれが一番いいと思うんだ。どうだろう」


 おせんさんは少し考えていた。が、ほどなく頷いてくれた。


「内様のお好きなようになさってください」


 よかった。これで選択権の半分はおまんさんに移ったわけだ。少し気が楽になった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る