あり得ない同級生

「いってきまーす」


 玄関から奥座敷に向けてお出掛けの言葉を放つ。返事はない。やはりおまんさんはまだ眠っているようだ。いつも八時半頃にならないと起きて来なかったからな。まあ、今日が入学式だってことは知っているはずだし、ボクがいなくても心配はしないだろう。


「ふっ、今日から高校生だってのに、遠足に行く小学生みたいに心が弾んでいるぜ」


 などとちょっとワルめの独り言をつぶやく。

 ここは県庁所在地。田舎者の自分には少々不釣り合いな場所。だからと言って物怖じする必要はない。

 この数日間でファストフード店およびコンビニの利用法習得、市バスの乗り方習得、市立図書館利用者登録完了、自宅と学校周辺地図の暗記など、今のボクの都会人指数はこの街の住人と遜色ないレベルにまでアップしている。

 残された課題は本日行われる自己紹介。田舎者と見下されないよう堂々として細心なスピーチができれば、可もなく不可もない高校生活は約束されたも同然だ。そう、何事も始めが肝心。心を少しワルにして乗り切ろう。


「それに今日は四日目だからな」


 心が弾む理由はもうひとつある。今夜は四日ぶりにおせんさんが表に入れ替わる日なのだ。夜更かしに備えて帰宅後はしっかり眠っておくつもりだ。


 鶴亀家から高校まで二キロの道のり。バスも電車も利用できないこの区間を歩いていると、徒歩や自転車の生徒たちにちょくちょく出会う。が、同じ高校の制服には全く出会わない。


「ここらに住んでいるのはボクだけみたいだな」


 別に同級生と手をつないで仲良く登校、みたいなシーンを期待していたわけではないが、三年間一人で二キロの道を往復するのかと思うとほんのちょっとだけ寂しくなる。


(友達たくさんできるといいな。百人も要らないけど)


 などと思っているうちに校門が見えてきた。さすがにこの辺りまで来ると我が校の新入生と保護者の姿が増えてくる。ちょっとだけ嬉しくなる。ちなみにボクの親は来ていない。一応入学前の事前説明会には来てもらったし、なにより、


「ああ、入学式ならわしが親代わりに出席してやるよ、ふぉっふぉっ」


 とおまんさんが大言壮語したからだ。

 そのおまんさんだが一向に姿を現わさない。卒業式も入学式も保護者の出席は必須ではないので来ないなら来ないで構わない。いや、むしろ来ないほうがいい。

 どんな格好で来るつもりかは知らないが、着飾った四十才前後の熟女の皆さんの中に、あんな風体と口調と嬌態の老婆が紛れ込んだら間違いなく浮いた存在になる。それがボクの関係者だと知れたら普通の高校生活を送れなくなる可能性すらある。


「今日は昼まで寝ていていいよ、おまんさん」


 一人で校門をくぐり玄関へと急ぐ。人だかりができているのはクラス分けの掲示を見ているからだ。背伸びをして自分の名を探す。江良辺えらべない、江良辺内、すぐ見つかった。一年一組か。んっ……


「お、おいおい、すごい偶然だな」


 ボクの目は掲示板の一点に釘付けになった。一年一組の名簿の真ん中の辺りに一般高校生の想像力を超越した氏名が掲載されていたからだ。

 鶴亀おまん……平成の世を生きる高校生にしては実に珍しい氏名だ。


「おまんさんと同姓同名か。親戚かもしれないな」


 鶴亀家は資産家、行ってみればこの辺りの名家だ。同じ名字の人物がこの高校に通おうと思ってもおかしくはないし、それが偶然おまんさんと同じ名前だったとしてもそんなにおかしくはない……はずだよな! と自分を強引に納得させて一年一組の教室へ向かう。

 張り出された席順を見て着席し冷静に教室を見回せば、初対面同士とあって誰もが無言で自分の席に座っている。


(鶴亀さんの席は、あそこか)


 まさかそんなはずはない、いやあるはずがないと念じながらその席に座る生徒の出現を待つ。来ない、予鈴が鳴っても来ない。本鈴が鳴っても来ない。担任の先生がやって来ても空席のままだ。


「は~い、皆さん、おはようございます。私は担任の御手柔おてやわらかにんです。大学を卒業して二年目の新米教師でクラスを受け持つのは初めてです。お手柔らかにお願いしますね」


 駄ジャレのつもりだったのだろうが笑い声ひとつ起きなかった。さすがは県内有数の進学校、なかなかシビアなクラスメイトたちだ。気を引き締めていかなくては。


「え、えっと、えっと、全員揃っていますか、あら、空席がひとつあるわね、あそこは、えっと、つるかめ……」


 ――ドッ、ドッ、ドッ、ドッ!


 悪魔襲来を思わせるような低い地響きが聞こえてきた。次第に大きくなってくる音に不吉な予感を拭いきれない。


(なんだ、この音は)


 じっとしていられなくなったボクは席を立ち、校庭に面した窓に駆け寄った。一台の大型バイクが運動場を横切っていく。


「あ、あのバイクは……」


 見覚えがあった。四日前、鶴亀家の門を開けると同時に、目に飛び込んできたバイクに似ている。ガソリンタンクには「Harley-Davidson」のエンブレムも見える。


(まさか……いや、違う、あり得ない。そんなこと、あるはずがない)


 これだけの証拠を突き付けられてもボクは断固として認めない。認めたくはない。

 だって乗っている人物はセーラー服を着ているんだぞ。膝上十五センチのスカートを履き、足にはルーズソックス。いかに学校指定の制服だとは言っても、昭和一桁生まれの御婦人が身に着ける装束ではない。


「おい、見えそうだぞ」


 誰かの声が聞こえた。短いスカートがひらひらとなびいている。不意に尻の部分が大きくまくれあがった。


「えっ!」


 チラリと見えたパンツ。見覚えがある。四日前、鶴亀家の門を開けた時に見た、庭に干してあった男物のトランクスに似すぎている。


(やっぱりあの人物は、あの席に座るのは……違う、偶然だ。ただの偶然だ!)


 心の中で叫ぶ。どうあっても認めたくない。認めたらその時点で試合終了だ。


「皆さーん、席に着いてくださーい」


 いつの間にかクラスのほぼ全員が窓にへばりついて外を眺めていた。やがてバイクは視界から消えた。自転車置き場へ行ったのだろう。しばらくしてエンジン音も消えた。皆、自分の席へ戻る。


「おい、ここってバイク通学禁止だよな」

「本当に生徒なのか。セーラー服を来た教師じゃないのか」


 そんな会話が飛び交う中、着席したボクは両手を組んで祈り続ける。


(来ないでください。あの席に座らないでください。神様、仏様、黄泉の国のイザナミ様、なにとぞ僕の願いを……)


「待たせたな皆の衆。遅参の段、御免なれ。ふぉっふぉっふぉっ」


 教室の戸を開けて現れたのは言うまでもなくおまんさんだ。総白髪とセーラー服のアンバランス。見えても全然嬉しくないやせ細った太腿。

 教室内は水を打ったように静まりかえった。担任の御手柔おてやわらか先生が恐る恐る話し掛ける。


「あ、あなた鶴亀さんですよね。えっと、バイクの通学は禁止されているはずですけど」

「なんじゃ、登校した途端に説教か。我が家から高校まで二キロもあるのじゃぞ。七十の婆さんに毎日往復四キロの道を歩けとでも言うのか。ああ、嘆かわしいのう。現代人は敬老の精神を失ってしまったと見える」

「でも、あの、校則ですから」

「案ずるな。式終了後、直接校長と談判し許可をもらうつもりじゃ」

「あ、ああそうですか。それなら構いません」


 あっさりと折れてしまった。二年目の新米教師におまんさんは荷が重すぎるよな。気の毒に。


「やや、内クンではないか。同じクラスになれるとは何たる奇遇じゃ。やはり神はわしら二人を夫婦めおとにしたがっているようじゃな」


 まずい。気づかれたか。変なことを口走らないといいんだけど。


「あ、あのう、鶴亀さん、早く席に着いていただけませんか」

「ちっ、やかましいおなごじゃのう。恋人と親しくして何が悪いのじゃ。邪魔するでない」

「えっ、恋人!」


 教室がざわつき始めた。万事休すだ。一刻も早くおまんさんの暴走を止めないとボクの高校生活が大変なことになる。


「おまんさん、いい加減なことを言わなくでください。ボクらは下宿人と大家さんってだけの関係でしょう」

「ふっふっ、照れるでない。一緒に風呂へ入り、同じ布団で寝た仲ではないか。おい、教室のおなごどもに言っておく。内クンはわしのものじゃ。手を出したりしたらどうなるか、わかっておろうな」


 教室のざわめきがさらに大きくなった、否定したいができない。真実ではないが事実である。全身から力が抜けた。


(終わった、何もかも終わった。ボクの高校生活は燃え尽きて白い灰になったんだ。これからは男女交際などには目もくれず勉強一筋で頑張ろう)


 そう固く心に誓った入学式の朝だった。

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