究極の二択問題

「ふふっ、何も言わなくてもわかります。姉と共に七十年生きてきたのですからね。うら若き乙女の魅力に抗えるような殿方など滅多にいるものではありません」

「は、はい。実はもう大変なことになってます」


 ここは素直に認める。高校入学前に男になっておくのも悪くないかもしれない。


「ですが私は身持ちが堅いのです。初対面の殿方と何の約束も交わさずに身を任せるようなことはいたしません。私との子作りをお望みなら将来を誓ってください。生まれてきた子の父として責任を持ち、子の母に対しては変わらぬ愛情をもって接すると。それを約束していただけるのなら喜んで子作りに励むつもりです」

「えっ、つまりおせんさんと結婚しろってこと?」

「いいえ、私は死んだことになっていますから戸籍上の夫婦にはなれません。口約束だけでいいのです。それ以上の縛りをあなたに課す気はありません。他の女性と所帯を持っても構いませんし、このまま鶴亀家に住み続けてもらっても構いません。生れた子を認知さえしていただければ、その他のことは内様の自由になさってもらって結構です」


 これはまた緩い条件だな。自ら本妻の座を捨てて妾の地位に甘んじるとは。そうまでしても自分の子が、鶴亀家の跡継ぎが欲しいのか。なんて殊勝な心掛けなんだ。思わず落涙しそうになってしまう。

 この心意気に応えてやらないでどうする。据え膳食わぬは男の恥と言うではないか。それに四日に一度しかできないとは言っても、おせんさんが年を取る早さは四分の一。ボクが三十才になってもおせんさんは二十一才。いつまでも若い体を楽しめるんだ。こんな理想的な浮気相手はいないだろう。


「わ、わかりました。生まれてきた子供とその母に対して、父としての責任をきっちり果たす所存であります」

「それを聞いて安心しました。では……」


 おせんさんは恥ずかしげにしなだれかかると、ボクの胸に頭を埋めてきた。黒髪から漂う甘い香り。ついに大人の階段を上る時がやってきたのか。感無量だなあ。


「あ、ちょっとお待ちください。ひとつ言い忘れていたことがありました」


 おせんさんは体を引き離すとこちらを向いて座り直した。突然の中断にお預けを食らった飼い犬のような気分だ。


「まだ何か話があるの?」

「実は子作りに関しても呪いを受けているのです。私の体は常に受胎可能な状態になっています。もし行為に及べば百パーセントの確率で子ができます」

「あ、それなら今日はゴムを使ってもいいかな。まだ父親になる心の準備ができていないし」

「それは許されません。この行為はあくまでも子作りのためのもの。快楽のためではないのです。生でしていただけないのなら拒否します。もちろん子ができればそれ以降の営みも拒否します」


 なんてこった。一回やったら一年近く我慢しなくちゃいけないのか。蛇の生殺しじゃないか……いやいや、そんな贅沢を言える立場じゃないよな。一回やらせてもらえるだけで感謝しなくっちゃ。

 でもそれだったらやるのは初対面の今日じゃなくて、もう少し親睦を深めてからのほうがいいかもしれないな。親しくなれば感動も大きくなるような気がするし。


「それからもうひとつ、これはとても重要なことなのですが、私はお腹に子を宿した瞬間、裏に固定され、二度と表には現れなくなります」

「ええっ!」


 いや、それは最初に言わなくちゃいけないでしょ。何も知らずにやっていたら大変なことになっていたよ。

 驚きのあまり絶句してしまったボクを置き去りにして、おせんさんは話し始めた。



 イザナミ様が話し忘れたことは本当に多かったのです。あれは私がお赤飯を炊いてもらった夜のことでした。イザナミ様がやって来てこう言ったのです。


「おせん、おめでとう。ようやくあんたも子作りできるようになったんだね。そこで言っておきたいことがあるんだ。まずあんたは今日から常に受胎可能な状態になる。男とやったら確実に子が宿る。だから『こいつだ!』と思う男が現れるまでは安易に股を開いたりしちゃいけないよ。それからもう一つ。黄泉の国から現世に戻った女は嫁か母のどちらか片方にしかなれない呪いを受けるんだ。嫁とは男とやること。母とは子を宿すこと。もしあんたが男とやって嫁としての人生を味わったら、子を宿した瞬間、あんたは永遠に裏の存在となる。つまり表には二度と現れなくなるのさ。そして母の役割は姉のおまんが担うことになる。逆に姉のおまんが男とやって嫁としての人生を味わったら、子を宿した瞬間、おまんが永遠に裏の存在となる。その時はあんたが表となり母の役割を担うことになる。母になった後で男とやったら、あんたは母と嫁の二つを味わうという禁忌を犯したことになり即座に黄泉の国へ引き戻される。わかったかい。まあ長生きしたきゃ生涯生娘きむすめのままでいることだね。それじゃ達者でな」


 今のところ、それがイザナミ様を見た最後です。言い忘れたことがあったと気がついたら、またやって来るかもしれませんけどね。



 聞き終わったボクはため息をついた。また呪いか。あの世の神様たちはどうしてこうも面倒な手枷足枷をはめたがるんだろうな。生き返りは自然の摂理に反する業、多少の不利益を被るのは仕方ないとは思うけど、これじゃおせんさんが気の毒すぎる。


「そんな呪いがかかっているのにどうしてボクとやろうとしたんだよ。やったら二度と裏から出られなくなるんだよ」

「子が欲しいからです。内様は姉とはできないと言われました。ならば私が一肌脱ぐしかありません。生れた子は私がいなくても姉と内様がきちんと育ててくれるはず、そう確信できたから身を任せようと思ったのです」


 健気すぎる。自分を犠牲にしても鶴亀家の跡継ぎを残したいなんて。


「でも待って。逆はどうなの。もしボクが最大級の我慢と忍耐でおまんさんとやって、その結果子供ができたら、おせんさんがずっと表になるんだよね」

「はい。嫁ではなく母として生きることになります。でも、それは難しいでしょうね。姉は私と違って常に受胎可能な状態ではありません。年齢を考えますと毎日一年間やり続けても子が宿るかどうか……」


 む、無理だ。一回だけなら我慢できるかもしれないけど、一年間毎日おまんさんとやるだなんて絶対無理。


「そ、それじゃあさ。おまんさんが寿命で亡くなっちゃったらどうなるのかな。おせんさんが表に固定されてそのままになるんじゃないのかい」

「いいえ。そうはなりません。今、内様が見ている私の若い体は、所詮姉からの借り物にすぎないのです。姉が体を失えば私もまた体を失い、共に黄泉の国へと旅立つことになります」


 やっぱりそうなるか。まあ、そんなうまい話があるわけないよな。


「さあ、決めてください、内様。私を嫁として生かすか、母として生かすか。内様のお望みのままにいたします」

「……ごめん、もう少し考えさせて」


 そう答えるのが精一杯のボクだった。

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