できなかった親孝行

 まるで童話でも聞かされている気分だった。言うまでもなく話の全てを信じたわけではない。嘘をついているという証拠はないが、真実であるという証拠もないのだから。


「ん~、まあよく出来ているとは思うけど、誰でも考えつくようなありふれたストーリーだね。ひとつ引っ掛かった点があるんだけど訊いてもいいかな」

「どうぞ」

「おせんさんはボクを知っていたよね。今日おまんさんがボクに失礼な振る舞いをしたことを知っていたし、ボクの名前も知っていた。つまり裏になっている状態でもおまんさんが何をしていたかわかっていた、そうでしょ」

「はい」

「それならおまんさんだって君の存在を知っているはず。なのに君に関することは一切話してくれなかった。真夜中の十二時に入れ替わると知っていて夜這いするのも変だ。これはどう説明するつもりなの?」

「簡単です。姉は私の存在を知らないのです」


 これはまた苦しい言い訳だな。片方が知っているのにもう片方が知らないなんて不自然だろう。


「どうしてそう言えるの。おまんさんに聞いたの」

「いえ、聞いてはいません。私たちは表裏一体。互いに見ることも言葉を交わし合うこともできません。でもわかるのです。私自身も裏になっている時は表の状況を完全に把握できているわけではないのです。裏になると非常に眠たくなります。そして眠ってしまうと表の出来事は完全にわからなくなってしまいます。たとえ眠っていなくても表の状況は、そうですね、夢を見ているようにしか覚えていないのです。夢は目覚めると忘れてしまうことが多いでしょう。それと同じで裏から表になった瞬間、ぼんやりとした記憶に変わってしまうのです。姉が裏になるのは午前零時から六時、この時間はほとんどの場合眠っています。そしてもし覚えていたとしても私のことは夢だと思ってすぐに忘れてしまうでしょう。ですから今に至るまで姉は私の存在には気づいていないはずです」


 う~ん、そう来たか。確かに眠っている時間だからな。夢だと思い込んでしまっても無理はないか。


「だけど君の親は気づいていたはずでしょう。どうしておまんさんに教えなかったのかな」

「余計な気遣いをさせたくなかったから、でしょうか。赤子の頃は両親も気づいてはいませんでした。私たちは双子。入れ替わっても瓜二つ、しかも言葉も喋れないのですから気づきようがなかったのです。けれども日が経つうちに違いは顕著になってきました。私が年を取る早さは姉の四分の一。四日に一度、真夜中になると突然若返るのですから気づけないはずがありません。最初はどうしてこんな現象が起きるのかと戸惑い、胸を痛めたことでしょうね。やがて私が片言の言葉を話せるようになり、イザナミ様のおかげで生き返ったと教えると、ようやく安心してくれました。それからは妹のおせんとして可愛がってくれたのです」

「そうだ、そこも引っ掛かっていたんだ。四年に一度しか年を取らないのはいいとしても、どうして体まで若返るのさ」

「それについては両親が真実を知った頃に現世へ遊びに来たイザナミ様に教えてもらいました。来世から現世へ戻す時に受ける一種の呪いのようなもので、イザナミ様の力では解けないのだそうです」


 呪いなんて単語を引っ張り出させると反論の余地がなくなってしまうなあ。若返りの呪いか。そんな呪いがあるのなら全世界の女性がイザナミさんの元へ殺到するだろうな。


「あ、じゃあ、陰膳を食べていたのは両親じゃなくて君だったの?」

「はい。私がおせんだと知るまではずっと白米の陰膳でしたが、真実を知った後は四日に一度の夕食の時だけ、私のためにお菓子や果物を供えてくれるようになりました。真夜中にそれを食べるのが幼い私の唯一の楽しみでした」


 おまんさんに教えてもらったプリンの謎がようやく解けた。あれは入れ替わったおせんさんが食べていたんだ。空の容器を冷蔵庫に残したままにしておいたのは、食い意地の張ったおまんさんへのちょっとした悪戯だったのだろう。


「けれども私が陰膳を食べていたのは幼い頃だけです。食べなくなった理由は姉の体重でした。年頃になった姉が太り始めた自分の体を気にするようになったのです。表になった私は別人のように若返りますが、それは見た目だけで体自体は姉のもの。姉がきちんと食事をしていれば私は食べる必要がないのです。私が余計な食事をすれば、当然、姉の体重は増えてしまいます。姉が自分の体重に悩み始めてから私は陰膳をやめました。それ以降は両親が食べ、両親が老いてからは姉が食べています」


 今のおまんさんは体重なんか気にせず大食いしているから遠慮せずに食べればいいのにな、と思う。

 しかしよくこれだけの話を思い付くものだ。これまでのおまんさんの行動や教えてくれた昔話と照らし合わせてみても、矛盾を感じるような箇所は見つからない。いつまでも疑ってばかりいないで、そろそろ真実を話していると認めるべきなのかもしれないな。


「四日に一度、一日六時間だけの人生でしたが、母様と父様に愛されて私は幸せでした。けれどもそれは親孝行とは程遠い幸せだったのです」


 オレンジ光に照らされたおせんさんの表情が幾分曇ったように見えた。まるで自分を責めているように見える。


「そんなことはないよ。死んだと思って諦めた娘が生き返ったんだもの。それだけで十分に親孝行したと言えるよ」

「はい。その点に関しては良かったと思えました。けれども私の生き返りは別の問題を引き起こしました。姉の結婚です。私のせいで姉は嫁に行けなかったのです」


 あんな性格なら売れ残っても仕方ないよ、おせんさんのせいじゃないさ、と言おうとして気がついた。そうか、おまんさんは普通の人間じゃないんだ。


「四日に一度若返る、そんな化物じみた娘を嫁に出すわけにはいかない、両親はそう考えたようです。女学校を出てからは花嫁修業と称して家に閉じ込め、良い相手が見つからないと言って見合いもさせず、その結果、姉は空しく青春の花を散らしてしまったのです」


 それがずっと箱入り娘のままだった理由か。考えてみれば気の毒な話だ。少しは優しくしてあげてもいいかもしれないな。あくまでも少しだけだけど。


「一番辛かったのは両親に孫の顔を見せてあげられないことでした。娘にとっての一番の親孝行は孫を作ることです。けれども私が生き返ったことでそれは叶わぬ夢となりました。母様も父様も何も言いませんでしたが孫を望んでいる気持ちは痛いくらいに伝わってきました。ある日、居た堪れなくなった私が謝罪をすると二人は優しくこう言いました。『私たちにとっては、おせん、あなたが孫のようなものです。ですから気にしなくてよいのですよ』と。そう、姉が二十四才になっても私は六才。三十二才になっても私は八才。両親から見れば私は姉の子供のように思えたことでしょう。けれどもその孫に会えるのは真夜中の僅かな時間だけ。昼の陽光を浴びて孫とお出掛けをし、遊び、お喋りをする、そんな当たり前の幸福を私は両親から奪ってしまったのです」


 おまんさんがあれほど子作りにこだわる気持ちがやっと理解できた。たぶんおまんさんもおせんさんと同じ口惜しさをずっと持ち続けていたんだろうな。だから親がいなくなった今も子作りへの執着を断ち切れずにいるんだろう。


「内様……」


 不意におせんさんがボクの手を取った。手の甲に伝わる柔らかく滑らかな感触が、抑え込んでいた情念を一気に呼び覚ます。


「姉はまだ子作りを諦めていません。それは私も同じこと。今となっては親孝行はできませんが、鶴亀家のために跡継ぎを残したいという望みは私も持っているのです」


 おせんさんが体を密着させてきた。襦袢が乱れて胸の谷間が一層露わになる。まくり上がった裾からは膝小僧も見えている。


「古希を迎えた姉の体ではとても勃たない、先ほどそう言っておられましたね。けれども私の体ならどうですか。内様より二才上とは言っても娘盛りの十七才。私相手なら子作りもできるのではないですか」


 ボクを見上げるおせんさんの目は潤んでいる。まずいぞ、言われるまでもなくすでにビンビンな状態なのだ。さすが双子、おまんさんに勝るとも劣らないこの押しの強さ。このまま流されてしまいそうだ。

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