イザナミ様の気紛れ
おせん……その名を聞いて、夕食時に教えてもらったおまんさんの昔話を思い出した。双子の妹、陰膳を供えていた相手、その名がおせんだったはずだ。だが……
「いや違う。君がおせんさんのはずがない。おまんさんは言っていた、妹は生れてすぐ亡くなったと」
「はい。そうです。この世に生を受けた直後、私の体は滅びました。けれども私の魂は滅びてはいないのです。訳あって黄泉の国から戻ってきたのです」
つまり自分は幽霊だと言いたいのかな。それにしてもリアルだ。足だってあるし。
触って確かめてみたいところだが、さすがにそれは憚られる。代わりに自分の頬っぺたをつねってみた。痛い。夢ではないようだ。夢だったらどんなによかっただろうと思わないでもない。
「いや、そうだとしても変だよ。だって君とおまんさんは双子なんだろう。でもどう見たって君のほうが若いじゃないか」
「はい。十七才です」
年下かと思ったがボクより二つ上か。童顔のせいで幼く見えるのかもしれないな。
「でしょ。おかしいじゃないか。双子なのに五十三才も年の差があるなんて」
「それは私が四年に一度しか年を取らないからです。少しもおかしくありません」
四年に一度? 何を言っているんだこの女子は。おまんさんと同じように自分勝手な妄想に憑りつかれているんじゃないだろうな。
「まあ年齢のことはいいや。それよりおまんさんはどこへ行ったんだい。そして君はどこから来たんだい。扉のむこうでこっそり立ち聞きしていて、素早くおまんさんと入れ替わったとか、そんな感じなのかな」
「そうですね、入れ替わったという表現も
つまり一つの体に二つの心が宿っているってことか。漫画や小説でお馴染みの設定だな。嘘をつくにしてももう少し捻って欲しいものだ。
「なるほど。で、突然入れ替わった理由は何だい。もしかして男に投げ飛ばされると入れ替わるとか?」
「いいえ。真夜中になったからです。午前零時から午前六時。それが私に許された時間なのです」
シンデレラ方式の変形版か。これもよくある設定だ。
しかしよくもまあスラスラと嘘をつけるものだな。妄想にしては目立った矛盾もないし、よくできたおとぎ話だと褒めてやってもいいけどね。
「ありがとう。大体事情が飲み込めたよ」
ボクは立ち上がって部屋の扉を勢いよく開いた。廊下の明かりを点ける。人影はない。一階に向かって大声で叫ぶ。
「おまんさーん、くだらないお芝居はやめてくださーい。こんな女の子と一緒になってボクを騙そうとしても無駄ですよー」
返事はない。まだシラを切るつもりか。困ったものだ。どうしてこんな茶番を企てたのか、そろそろ姿を現わして理由を聞かせてくれないかな。
「どうやら私の話を信じていただけてはいないようですね。残念です。私が嘘を言うような女に見えますか」
背後から聞こえたおせんさんの声には地の底から響いてくるような凄みがあった。振り向くと、おせんさんは正座をしてじっとこちらを見つめている。
階下から返事はない。人の気配もない。この屋敷にいるのはボクとおせんさんの二人だけ、疑念に過ぎなかったその考えが次第に確証へと変わり始める。
(まさか、本当なのか)
扉を閉めて部屋に戻る。おせんさんの正面に座ると、衿の合わせからふくよかな胸の谷間がのぞいている。慌てて目を逸らす。
「えっと、それならもう少し詳しく教えてくれないかな。どうしておせんさんは黄泉の国から戻ることができて、午前零時になると入れ替わるのか」
「わかりました。少々長くなりますが聞いてください」
そうしておせんさんはゆるゆると話し始めた。
最初の記憶は「与えられた」という実感でした。が、それはすぐ「無くなった」という喪失感に変わりました。お腹の中で母様と共有していた私の命。この世で独り立ちしようとした瞬間、それは私から離れていったのです。
「ここはどこだろう」
赤子の私は人が喋る言葉も物事の概念も知らないはずなのに、成人と同程度の思考力を持っていました。それだけでなく動くことも見ることも聞くこともできました。
魂は元々そういった能力を備えているのだと思います。肉体という器を獲得した瞬間、その器の成熟度に縛られて本来の能力を発揮できなくなるのでしょう。
肉体から解放された私の魂は、器を持たぬ意識だけの存在となって暗く寒い洞窟を漂い動いていました。
「ここは黄泉の国だよ」
前方から聞こえてきたのは女性の声でした。姿は見えませんが母様でないことだけは直感でわかりました。
「黄泉の国とは何ですか」
「肉体を失った魂が行き着く永遠の世界。簡単に言えばあの世だね」
その言葉を聞いて、ああ、私は死んでしまったのだなと思いました。
現世に存在できたのは僅かな時間に過ぎなかったのでほとんど未練はありませんでした。むしろ我が子を失った母様や父様が気の毒に思えてなりませんでした。親孝行できなかった我が身を許して欲しい、心の中でそう念じました。
「へえ、あんた変わってるね。他の亡者みたいに泣いたり喚いたり生き返らせと懇願したりするのかと思ったら、親孝行がしたかったとはね。気に入ったよ」
いきなり私の目の前に一人の女性が姿を現わしました。白い
「あなたは誰ですか」
「あたしはイザナミ。この国の統治者、
突然の申し出に私はビックリしてしまいました。現世に生まれた途端、来世に送り込まれ、来世に来た途端、現世に戻らないかと言われたのですから。
「帰りたいのは山々ですが死者は決してよみがえらぬのが世の定め。たとえイザナミ様でもその
「ああ、その通りさ。あんたの肉体は滅びてしまったからね。完全な形で現世に戻すのは無理だよ。だけどあんたの魂だけなら現世に戻せる。知ってるだろ、幽霊って現象。実はあれ、あたしが面白半分で現世に差し戻した魂たちなのさ」
イザナミ様は天女様のように美しいのですが、言葉遣いと頭の中は少し捻くれているようでした。私はおずおずと答えました。
「幽霊となって現世に戻っても親孝行はできません。かえって皆様を驚かすだけでしょう。有難いお申し出ですが遠慮させていただきたく思います」
「ありゃ、ずいぶんと遠慮深い娘だねえ。ならこうしよう。あんたは双子で生まれた。そして片割れの姉は生きている。その体はあんたの体と瓜二つ。あんたの魂をすんなりと引き受けてくれるだろう。ひとつの体に二つの魂が宿ったとしても別段支障はきたさないはずさ。姉は表、妹は裏。時々それが入れ替わる、そんな生き方も乙なもんじゃないかね」
「でも、それでは姉が嫌がりましょう。本来は独り占めできるはずの自分の人生の半分を妹のために差し出さねばならないのですから」
「ああ、悪い。言い忘れた。半分じゃないんだ。あんたが使えるのはもっと短い」
イザナミ様はばつの悪い顔して頭をかきました。外見は天女のように美しいのですが少々そそっかしい面があるようです。
「姉が生まれたのは二月二十八日。だけどあんたは日付の変わった二十九日に生まれてきた。四年に一度しか巡ってこないうるう日だ。だからあんたは四年に一度しか年を取らない。表と裏が入れ替わるのもこの法則に準じて四日に一度になる。それだけじゃない。時間も短くなる。あたしが最も力を発揮できるのは丑四つ時の午前三時頃。その前後三時間、つまり午前零時から午前六時までしかあんたは表に現れない。ただし四年に一度やって来る二月二十九日の誕生日だけはこの法則から外れて一日中表でいられる、まあ、詳しく話せばこんな感じさ」
「四日に一度、そして夜中の六時間だけ……」
それならば姉の負担は格段に少ないはずです。悪くない話に思えました。もちろんそんな短い時間だけ表になったところで、どれほどの親孝行もできないことはわかっていました。
けれども一度は諦めた娘が、たとえ姉の体を借りてでも再び現世に戻ってきたのなら、母様も父様もきっと喜んでくれるに違いない、そうも思ったのです。
私はイザナミ様に頭を下げました。
「有難いお申し出、謹んでお受けいたします。イザナミ様の御心のままになさってください」
「あいよ。それじゃ、後ろを見な」
私が来し方を振り返った途端、背後に大きな力を感じました。まるで大風に吹かれるように私の意識は元来た方へ、黄泉の国の入り口へと押し戻されていきます。遠くからイザナミ様の声が聞こえました。
「あ、しまった。まだ言い忘れたことがあった。まあいいか。あんた~、姉さんと二人で仲良く暮らすんだよ~。あたしもちょくちょく遊びに行くからねえ~」
次第に遠ざかるイザナミ様の声に見送られ、私は再び現世に戻ったのです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます