第二話 真夜中のファンタジー

夜這い星、少しをかし

 案の定、その夜はなかなか寝付けなかった。荷解きの後で少し眠ってしまったせいもあるが、最大の原因はおまんさんの衝撃ヌードだ。


「なんてものを見せてくれたんだ。この屋敷はR18規制の適用範囲外なのか」


 かなり無茶な理屈だと思いながらも愚痴らずにはいられない。今はネットで際どい画像も容易に閲覧できるが、ナマの迫力は映像とは比べ物にならない。女性の裸体に抱いていた淡い憧れ、それが一瞬で破壊されてしまった。


「あの破廉恥お婆さんとこれからどうやって付き合っていけばいいのかなあ」


 おまんさんは全然気にしていないようだ。それならばこちらも知らん振りをして接していくより仕方がない。学校が始まれば顔を合わせるのは朝と夜だけ。休日は外出して時間を過ごせばいい。そう考えると少し気が楽になった。


「くよくよ悩んで事態が好転するわけでもないし……寝よう」


 ナツメ球の薄暗いオレンジ光が部屋を照らしている。子供の頃から真っ暗闇では眠れない性分なのだ。黄昏時のような薄明の中でいつの間にか眠ってしまった。


 ……


 どれくらい眠っていたのだろう。ふと、妙な感覚に襲われた。何かが体の上に覆いかぶさっているような気がするのだ。


(何だろう)


 目を開けようとしたがまだ眠い。手を持ち上げて体の上で動かす。布のような手触り。ある。確かに体の上に何かがのっている。掛布団でもボクのパジャマでもない、何か……


(ま、まさか……)


 思い切って目を開けた。本日四度目の叫び声が部屋にこだまする。


「うわああー!」

「おや、起きてしまったのかえ」


 荷解きの後に眠ってしまった時と同じだ。おまんさんのしわくちゃの顔がボクの鼻先に迫っている。


「な、何をしているんですか」

「何って、夜這いに決まっておろうが。若いおのこが一つ屋根の下に寝ておるのじゃ。夜這いをするのが礼儀というものではないか」

「そんな礼儀、聞いたことがありません。どいてください」

「嫌じゃ。今宵は内クンとの初めての夜。同衾どうきんせずしてなんとしようぞ」


 何を訳のわからないことをほざいているんだ、このご老体は。

 おまんさんの体は重くはないが密着されているので気持ちが悪い。だからと言って乱暴に跳ね飛ばすわけにもいかない。


「失礼しますよ」


 仰向けのまま両肘を立て、おまんさんの体と一緒に起き上がる。布団の上に座る形になったら、そのままおまんさんの体を持ち上げて横に置いた。抵抗されるかと思ったが、おまんさんはされるがままになっていた。


「さあ、出て行ってください」

「なんじゃ、その冷たい態度は。そもそも夜這いはおのこが仕掛けるものであろう。いつ来るか、今来るか、早く来ぬかと布団の中で待っておったのに内クンは一向に姿を現わさぬ。はは~ん、照れておるのじゃな、風呂場でも顔を真っ赤にして逃げてしもうたし、高校生とは言ってもまだまだ子供。仕方あるまい、ここはおまん婆さんが一肌脱ごうとわざわざこちらから出向いてやったと言うのに、感謝の言葉もないとはどういう了見じゃ。どいてくれだの出て行けだの、初夜を迎える花嫁に対して無礼だとは思わぬのか」


 なにやら大変な勘違いをしているようだ。いつおまんさんがボクの嫁になったんだ。もしかして少しボケているのかな。


「おまんさんをめとった覚えはありません。自分の妄想を垂れ流すのはやめてください。わかりました。おまんさんが出て行かないのならボクが出て行きます」


 立ち上がろうとするボクより早くおまんさんの体が動いた。素早く部屋の扉の前へ駆け寄ると両手を広げて仁王立ちになった。


「行かせはせぬ。外に出たければこのおまんを抱いてからにせよ」


 どれだけ世話を焼かせれば気が済むんだ。怒りを通り越して呆れてきた。

 取り敢えず蛍光灯を点けようかと思ったが、よく見るとおまんさんは薄い襦袢を羽織っているだけ。しかも前がはだけて裸体が見えている。


(ナツメ球を点けておいて正解だったな。うっかり明るくしたら大変な光景を見ることになっていただろう)


 淡いオレンジ光に照らされた布団に座り、おまんさんの体から視線を逸らして話す。


「一体ボクにどうしろって言うんですか。ここに来た時から妙にボクに絡んできますよね。尻を掴んだり、寝顔を覗き込んだり、浴室に入り込んだり、夜這いをしたり。挙句の果てに今度は嫁ですか。おまんさんはボクに何をして欲しいんですか」

「おう、よくぞ訊いてくれた。その言葉を待っておったのじゃ」


 別にボクの言葉を待たなくても自分から言い出せばいいのに、と思いながら次の言葉を待つ。


「なあに、簡単なことじゃ。子が欲しいのじゃよ。わしと内クンとの愛の結晶、鶴亀家の血を引く跡取りをわしは産みたいのじゃ」

「はあ?」


 耳がおかしくなったのかな。変な単語が聞こえてきたぞ。子が欲しい? 愛の結晶? いやいや、あり得ない。相手は七十才のお婆さんなんだぞ。


「すみません、もう一度言ってくれませんか。聞き逃したみたいで」

「何度でも言ってやるわい。子を産みたいのじゃ。こればっかりは一人ではできぬからな。内クンをその気にさせるために、尻や太腿をさすったり、我が麗しの裸体を見せつけたりしたのじゃよ」


 マジか。本気で言っているのか。どうかしてるぞ、この人。


「いや、無理でしょう。自分が何才かわかっていないんですか。その年で子作りなんて不可能ですよ」

「馬鹿にするでない。まだ干上がってはおらぬ。月のものはちゃんと来ておるわい」


 嘘だろ。どんだけ若作りをしているんだよ。いや、しかし絶対にあり得ないとは言えないか。ギネスには六十代で出産した例も載っていたっけ。


「だとしてもですよ、ボクにそれを求めないでくださいよ。いくらなんでも七十才のお婆さんと、そんな行為をするなんて、ちょっと、無理……」

「そんなことを言わんでくれえ~」


 仁王立ちになっていたおまんさんの体が崩れ落ちた。両手を畳につけてボクを見上げている。


「箱入り娘として大切に育てられたわしは、ついにこの年まで男を知らずに過ごしてしまった。さりとて子は産みたい、鶴亀家の跡取りを残したい、その思いはずっと抱き続けておった。そんなわしに届いた内っちゃんからの便り。高校生の孫を預かって欲しいという頼み。これじゃ、これが最後のチャンスじゃ。この機会を逃せばわしの願いは一生叶わぬに違いない。期待に胸膨らませて今日を迎えたわしは、おまえさんの姿を一目見て胸が高鳴った。尋常小学校で別れた若き日の内っちゃんに瓜二つではないか。これぞ神の啓示。この男の嫁となり子を産め、神がわしにそう命じたのじゃ。わかったじゃろう。内クンとわしが契りを結ぶのは運命なのじゃ。運命には逆らえぬ。ささ、熱い抱擁を交わそうではないか」


 おまんさんが両手を伸ばしてきた。悪いけどそんな運命には従えない。こちらにも選ぶ権利はあるんだからな。


「ごめんなさい。おまんさんの気持ちはわかりますし同情もしますが、ボクには荷が重すぎます。別の人を当たってください」

「別の人などおらぬ。わしには内クンしか残されていないのじゃ」

「そんな無茶言われても困ります。そもそもおまんさん相手じゃつものも勃ちませんよ」

「ならば目を閉じて致せばよい。なんならアイドルのお面をかぶってもよいぞ。それなら勃つであろう」

「それでも無理です。絶対無理です。さあ、もう出て行ってください」

「嫌じゃ、出て行かぬ、抱いてくれるまでわしは退かぬ」


 どこまで頑固な婆さんなんだ。こうなったら力ずくで追い出すしかないな。


「おまんさん、先に謝っておきます。ごめんなさい」

「な、何をするつもりじゃ」


 おまんさんは再び立ち上がると扉の前で仁王立ちになった。その両脇に両手を差し込んで持ち上げる。


「こりゃ、放せ。放せと言うに。敬老の精神を忘れたのか」

「ちょっと、暴れないでくださいよ、うわっ!」


 おまんさんが両手両足をジタバタさせるので、バランスを崩して倒れてしまった。大丈夫だろうか。体を捻って布団の上に倒れ込んだのでさほどの衝撃はないはずだが。


「だから言わんこっちゃない。もう年なんですからワガママもほどほどにしてください。老いては子に従えって言うでしょう」

「……はい」


 妙にしおらしいな。さっきまでの勢いはどこへ行ったんだ。


「ボクもちょっとやり過ぎましたね。謝ります。どこか痛めてませんか」

「どこも痛めておりません」


 おかしいな。口調だけでなく雰囲気も違う。まるで別人だ。

 気になったボクは逸らしていた視線をおまんさんに向けた。驚いた。そこにいるのはおまんさんではなかった。

 長く黒い髪、絹のように滑らかな肌、ほっそりとしたふくらはぎ。おまんさんとは似ても似つかぬ若く美しい娘が、ナツメ球の放つ淡いオレンジ光に照らされて布団の上に座っている


「き、君は誰。どこから来たの。おまんさんはどこへ行ったの!」


 高ぶる気持ちを抑えながら早口で問うと、彼女はこちらに顔を向けて静かな声で答えた。


「私は双子の片割れ。鶴亀家長女おまんの妹、おせんと申す者でございます」

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