第3話

「私が十歳の時に、父と海に行ったの。その時の私は泳ぐことが楽しくて楽しくてしょうがなくてね、気づいたらずいぶん沖まで出てて」

水を蹴るのを止めた竜貴は、真剣な顔で私を見つめていた。彼の目に見つめられていると思うと、例えようのない激情が駆け巡り、私の頭の奥を甘く痺れさせた。

歪んだ劣情に気づかれないよう、顔をふせれば、泣いていると思ったのだろう。竜貴が息をのむ気配がした。

優しい竜貴。いつだって私の事を気づかってくれる。竜貴に優しくされるたび、彼に愛情にも似た好意をよせられていると、ひしひしと感じる。唇の端で、隠しきれない笑みをもらし、私は話を続けた。

「怖くてパニックになって、溺れかけてた私を父が助けに来てくれて…。私は気がついたら浜辺で大勢の人に囲まれてた」

「お父さん、は?」

おそるおそる聞いてきた竜貴に、わたしは間を置かずに答えた。

「死んだわ」

竜貴が再び息をのむ。

「母はそれから情緒不安定になって…海に近づくのを、ひどく怖がるようになったの」

思い出せば苦い記憶だけど、今この場に竜貴がいてくれるだけで、苦しさが和らいでいく。

「私が海に近づいただけで、半狂乱になって取り乱すの。だけど私、泳ぐのを止められなくて、こうしてプールで泳いでるってわけ」

話し終わって、少し笑ってみせる。当時の記憶は所々曖昧で、思い出そうとするとくらりと目眩がする。だけど、きっとこれからは大丈夫だ。だって、竜貴がいるんだから。

そう思って竜貴を見ると、彼は私を見ておらず、腕を組んで何かを考え込んでいた。

「竜貴…?」

声をかけると、慌ててこっちを見る。私の事ではなく、何か別の事を考えていたような、そんな顔で。

「何、考えてたの?」

声が固くならないよう、ゆっくりと言葉にする。竜貴は口を開くのを迷っているようで、えー、とか、うー、とかうめいている。

「たーつき」

わざと無邪気に笑ってみせると、竜貴も少し笑って口を開いた。

「いや…この事、どういう風に彼女に説明したらいいかなって思ってさ」

彼女。それが女性をさす言葉ではないことは、直ぐに気がついた。

「彼女、いたんだね、竜貴」

「ああ、うん。あれ、言ってなかったっけ?」

何でもない事のように竜貴はあっさりと答えた。

彼女。竜貴に、彼女がいる。私じゃない誰かを、彼は好いている。

「どんな、子なの?」

「えー?馬鹿みたいに明るくて、勉強はちょい苦手だけど、その分運動神経がすっげーの。まだ一年なのに、水泳部のエースなんだぜ」

竜貴の声が、どんどん弾んでいくのが分かる。よっぽどその彼女が好きなんだろう。

水泳部のエース。その子のために、竜貴は私に。

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