第16話 殿の乱心

私は大学生時の教育実習で﨑田氏が指導教官だったため、岩戸で再び会うことになり、避けられない2度目の憂鬱を体験した。私と同じように彼と再び、または三度一緒に同じ職場に勤めるという人がいる。岩戸でもあった。何とも気の毒な事案である。

異動の内示があった時、赴任先が岩戸だと分かって寝込んだというその職員は、2つ前に勤めた浦西小で﨑田教頭と一緒だったらしい。

そのことを校長同士のやりとりで交わし、岩戸の校長はアドバンテージを握ったかのような錯覚を起こした。何かの用件で校長室に入った教頭と、何の虫の居所が悪かったのか知らないが、このような会話を行っている。

「山城西から来る先生は私のよく知る先生です」

「それが問題なんだよ」

「いやいや、立派な先生です」

「赴任拒否したくなるくらい参ってるんだってよ」

「それはどうして」

「あんたがいるからだってさ。以前の学校で彼に何をしたというのかね」

言っちゃった。言ってしまった。教頭に、あんたがいるから職員が寝込んでいると告げてしまった。校長間引き継ぎの質の低さを知る。同時に、校長の本音が垣間見れた発言だった。教頭の悪事のすべてとはいかないだろうが、そのいくつかを知っていて、由々しきことだとは思っているようだ。ふだんは何も言わずキョロキョロしているだけなのに、教頭に対する感情もまったく表に出さない人なのに、ここへきて、新しく赴任する期待の職員が、赴任先と教頭の残留を知って具合を悪くしていることをそこの校長から告げられ、「やっぱりな」と思ったことは間違いないようだ。

ある程度経験を積んだ中堅職員であることから、若手の自分勝手なわがまま拒否症状ではないと判断できる。よほど嫌な思いをしていることが推察できるのだ。

この1年間、私や嶋中教諭や貴本教諭、その他多数が、﨑田教頭に「さきたられ」、精神を病む寸前まで追い詰められていることを、校長は把握していたのだろうか、部下が、たった一人の人物によって辛い目に遭っていたことを知らなかったとは思えない。どんなに見て見ぬ振りをしてきても、逃げてきても、他校の校長から教頭の悪事を職員の体調不良で逆告白されては、目を瞑るわけにいかなかったのだ。それでついに、

「あんたがいるから…」という発言になってしまったのだ。ついに我慢が崩壊したと言っていいのではないか。思わず本音が溢れてしまったと言ってよいだろう。私たちは、教頭にひどいことを言われたりされたりするたびに、状況を伝え合って、悪口に換えて、団結して闘ってきたけれど、校長は、直接嫌なことをされることはなかっただろうが、教頭のせいで不協和音が奏でられている職員室のことを知らなかったとは思えない。何をどうすることもできず、むしろ、何もしようとしない雰囲気から私たちはまったく頼りにしなかったし、あてにもしなかったわけだから、ある意味、思うところがたくさんあって、言いたいこと・言えなかったことが溢れていたのだと思う。

異動の命を受けて、寝込んでしまった不幸な2度目君は、赴任して教頭が転出するまでの一年間、教頭との会話は最小限、にこりともくすりともせず、声のトーンも一定で、完全に血を抜いた対応をし通した。

信じられないくらい面白かったのが、3月末に挨拶に来た際、校内を案内したのが教頭だったのだが、教頭は、校長から言われたことが気になっていたのか、本当にことの本質を理解していないのか、2度目君に、

「私と一緒で具合が悪くなったってどういうことなのかな?」

と、問いかけたというのだから、もはや、普通じゃない。2度目君こそビックリである。校長間の話の質の低さも分かったし、すぐに上司となる岩戸の校長の真意も掴めない。それを直接訊いてくる教頭も相変わらずで、がっかりである。2度目君は、3月の時点で岩戸でのスタンスを決めたようだ。感情を上手に切り替えて、粛々と業務に専念するモードを纏った。二人の上司に対する距離はもちろんのこと、同僚である私たちにも距離を置き、心は半開きで過ごすことにしたようだ。

彼とは、岩戸で5年間一緒に勤めたが、働き方や会話はいつもクールで何事も割り切っていた。職員室で雑談を交わすことはなかったし、懇親会にも参加しなかった。幹事を務めなければならない会にも参加することはなく、校務を粛々とこなす後ろ姿、廊下を歩く足音が印象に残る。校長にも教頭にも諂うことなく機械的に冷ややかに仕事を捌いた。

嫌っている・嫌われている構図が明らかでも、それぞれのベクトルがみんな違う方向を向いているところでは、重なったり寄り添ったりすることはなく、2度目君の着任は、教頭との関わりという面で確実に異風を流した。

そして、殿である校長が、やはり器の小さな人で、針の振れどころが狭い幅の中にあること、自分の中に重要な案件を抱えることができないことを露わにした。

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