第9話 撹拌上司『サキタクロン』
今年度、岩戸小は、夏休み8月9日に行われる『平和祈念式典』に出席する割当がなされていた。6年生各学級から代表を男女2名ずつ選出し、リハーサルと本番に出席しなければならなかった。岩戸小から式典会場の平和公園までは、直通のバスは通っておらず、リハーサルの時は、バスと電車を使って往復しなければならず、夏の暑さ真っ盛りの中に大変な思いをして行き来した。本番の日は、市からバスが手配され、近隣校で乗り合わせて行くことになっていた。
引率は、どちらか一人で良かったのだが、もう一人の担任が、中学生の野球部を指導しており、九州大会に出るということで、自動的に私が引率することになった。
夏休みに入って、代表に立候補していたうちのクラスの女子が、従兄弟の甲子園出場を理由に代表を辞退した。急遽、スケジュールの都合がつき、やる気のある子に声をかけ、メンバーを一部変更した。夏休みに入ってからの変更だったので、学級の子どもたちはそのことを知らなかった。最初代表だった子は、高校野球の応援に行くということで、式典参加はもちろんのこと平和集会のために学校に登校することもできず、登校日は欠席することになっていた。
大多数の子どもたちは、教室で平和学習をすることになっていたので、私は朝早く出勤し、黒板に1日の過ごし方を書いて、誰が代理で入っても困らないようにしていた。その趣旨は、①先生は式典に出るので、教室には来ないこと。②式典の中継開始までは、準備している資料で学ぶこと。③代教の先生の指示を聞いて動くこと。④時間になったらテレビを付けて一緒に黙祷すること。この4点だった。
急遽ピンチヒッターが代表になったことと私が学校に来ないと明記したことが、その日の事件を引き起こすことになる。
代表の子どもは、7時50分に表玄関に集合し、バス停に下りて8時のバスに乗ることになっていた。7時45分に玄関で待っていると、2組の2人が来た。少し経って1組のピンチヒッターが来た。しかし、うちのクラスの男子がまだ来ない。教室で待っているのかもしれないと思い、教室に行ってみると、私を見た男の子が、
「えっ!松田先生学校来たんですか?」
と聞いてきた。
「そうだよ。今から行くからみんなも頑張ってね。ところで、大下君見なかった?集合場所に来ないんだよね」
と言うと、
「一回教室に来たのを見ましたよ。ただ、先生はいませんって書いてあるし、もう一人の恵理さんもいないから、大下は、自分の家から行かなきゃと思ったみたいです。さっきまで一緒にいたけど、どうしようと言って恵理さんの靴箱を見に行きました」
「分かった、高学年玄関に行ったんだね、ありがとう」
すぐ一階の靴箱を見に行ったが、大下君の靴はなかった。だったら、一足先にバス停に行ったのかもしれないと思い、バス停を見に行った。しかし、大下君の姿はどこにもなかった。
職員室に戻り、﨑田教頭に大下君がいないことを告げ、放送で呼んでもらうことにした。
「何を言ってるんだ!何故たった4人を集められないんだ!」
そう言って、教頭は、怪訝そうな顔で放送機器にスイッチを入れた。
♪ピンポンパンポーン♪
「6年1組の大下淳也君、大下淳也君、至急職員室まで来てください。〜繰り返し〜」
誰も来る気配がない。しばらく経ってまた教頭が放送を入れる。ボリュームを上げ、語気も強くなる。最初は校舎内のみに流したが、3回目から運動場・体育館も加えた。緊急性をありありと表現した切羽詰まった言い方が近隣の住民にも聞こえたらしく、学校の少し上に住んでいた大下君のおばさんという人から電話があった。
「さっきから、うちの甥っ子が呼び出されているようだが、何かあったのか」
と…。教頭が事情を説明した。
「兄に連絡を取ってみてほしい」
とおばさんは言った。
そうこうしているうちに、バスの乗車時刻が迫ってきた。とりあえず、私たちは指定のバス停へ行き、平和公園に向かうことにした。
大下君の所在が分からないまま代表児童3人と引率の私はバスに乗った。他の小学校の引率者が人数の足りない私達を見て不思議そうにしていた。しばらくして、私の携帯電話に学校から着信があった。
「もしもし、松田です」
「こちら岩戸・﨑田です。大下君は、家に帰っていましたよ。お父さんが直接連れて行かれるそうだから、現地で連絡を取り合って合流してください」
「あ〜、無事でよかった。分かりました。お父さまの番号を教えてください」
「よかったーではないですよ。お父さんはすごくご立腹でしたからね。こんなことになった原因は帰ってきてから説明してくださいね」
私への電話を聞いていた先生が、すぐにメールをくれた。
「先生、気にせんでいいから、しっかり式典の役目を果たしてきてね。事を大きくしてあなたが大変な事をしでかしたみたいにしてるのは、いつものあの人の癖だから気にしないのよ。大下さんが怒っていたんじゃなくて、教頭が嫌味を言ったのよ。そしたら怒ったってわけだから、あなたにおこってるんじゃないからね」
「分かりました。とりあえず、会場で大下君と会ってからお父さんにも謝っときます」
「大下君が家に帰った訳を知っていそうな友達に話を聞いておくから」
「朝からお騒がせして、さらに後処理でご迷惑もおかけしてすみません」
「大丈夫。心配要らないよ。今日の務めを果たせばいいんだから。大下君の所在が分かって良かったんだから」
式典会場には、多くの式典参加者が入り乱れており、大下親子と会うのに時間がかかった。お父さんと携帯電話で位置を確かめ合いながらやっと会うことができ、おそらく車の中で事の発端や行き違いの詳細を親子で確認していたようで、私は、お父さんからクレームを受けることはなかったが、このような事態になってしまった事を謝った。ご足労願ったことへの感謝も添え、式典での務めを果たす事を約束して彼を引き取った。
焼け付く日差しの下、平和祈念式典は粛々と執り行われ、内閣総理大臣をはじめ、各国の大使や要人が次々と献花をしたり言葉を述べたりするのと、今年選抜された子どもたちの献花を見守った。
3日前のリハーサル通り、滞りなく全行程が進み、式典は無事に終わった。帰りのバスの中では、朝のドタバタを子どもたち同士が振り返り、大下君がなぜ一旦登校していたのに家に帰ったのかその疑問が解かれた。
原因は2つ。いつもより早く登校して教室に入った彼は、もう一人早く登校してきた友人に、
「あれっ?なんでここにいるの?」
と訊かれる。いてはいけないのかと不安になる。
「黒板に、先生はいませんと書いてあるから、君も学校にいてはいけないのじゃないか」
と言われる。本当だ。でも、学校に集合ではなかったか?と思い直す。
「女子の代表は?」
「恵理じゃない?」
「恵理も来てないじゃん。靴箱見に行こう」
そうこうしているうちにクラスメートが次から次に登校してくる。しかし、恵理はいっこうに現れない。
「ほらね、現地集合なんだよ」
「えーっ!俺どうすればいい?」
「自分で会場に行かんばじゃ?」
「まじか、帰って父ちゃんに送ってもらうかな」
そう言って、帰ったのである。
あらためて女子の代表をみると、恵理ではなく生方になってることに驚く大下君。
「えーっ!俺知らんかった。恵理じゃなかったの?」
「そう!急に出られなくなって、生方と交代することになったのよ」
「だから、恵理の靴がなかったんだ」
ごめんね、夏休みに入ってから変わったから誰も知らないことだったんだよ。
帰りのバスの中は、平和祈念式典出席と献花の役目を終えた達成感、朝のドキドキを共有した思いが重なって、疲労と充実の空気に包まれていた。教室では体験できない思いに至ることができてみんな笑顔が溢れていた。
学校に到着して、校長室に報告に行った。校長先生は、
「はいはい、お疲れ様でした」と子どもたちの頑張りを労ってくれた。真相を知ってか知らずか朝の騒動については何も言わず、暑い中大変だったこと、移動に時間がかかって、帰宅が遅くなることなど気にかけてくれた。
しかし、﨑田教頭はそうはいかなかった。2組の代表2人は帰したが、大下君と生方さんと朝の様子を知っている前田君に、一体なぜ帰宅騒動を起こしたのか、説明を求めてきた。
元々代表だった恵理さんの姿がなかったことと私が来ないという板書の解釈を現地集合だと勘違いしたことを告げ、子どもたちが考えた挙句の行動だったことを伝えた。
教頭は、大下父が、学校から式典参加についての詳しい内容を文書でもらっていないと指摘して腹を立てていて、うまく説明したと言った。そもそも、学校の代表として参加する活動について、学校からの正式な文書を作成しなかった教頭にも責任があると思うのだが、その点はオブラートに包まれ、早とちりをした大下君とちゃんと説明をしていなかった私が責められ、大下父に、お宅の息子さんが勝手な行動をした、担任も確認が甘かったと私たちを悪者にしたので、大下父から逆に反感を買ったのである。何かあった時、ミスが生じた時こそ上司としての手腕が試されるチャンスなのに、自己防衛のために事実を歪め、敢えてトラブルに発展させる撹拌上司。サイクロンならぬ『サキタクロン』なのだ。
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