第10話 連携プレー
岩戸小には、職員間に並々ならぬ結束力がある。それは、おかげさまという言い方をするのもおかしな話だが、VS﨑田教頭という構図の賜物である。
具体的にどんな連携プレーがあるかというと、職員室内で彼と二人っきりにならないようにしている。特に女性陣は敏感に在室者とそこにいる人数を把握している。たまに、校内放送で教頭からだれも居ない職員室に呼び出しを受けると、呼ばれていない職員も何気に職員室に入っていく。﨑田教頭はよく、職員みんなで作業をしている、例えば大きな備品の移動だとか、総がかりの清掃だとか、別室での全員研修などの最中に、春乃さんや私を呼び出す放送を流す。だいたいがくだらない連絡だったりしょうもない指摘だったりする。えっ?それを今?わざわざ呼び出してまで?というものばかりだ。だれかをいじめたくなる衝動が、全員活動の時に襲ってくるのかもしれない。今なら存分に痛めつけられる!今こそチャンスだ!と思うのだろうか。
ある冬に、雪が積もって、子どもたちと職員総出で運動場雪遊びをしていたら、♪ピンポンパンポーン🎶とチャイムが鳴って、
「嶋中先生、嶋中先生、職員室までお越しください」
のアナウンス。その時、運動場で学級の子どもたちと遊び興じていた職員が、見える範囲みんな目を合わせて、出た!始まった!と状況を察し、
「戻るよ」
「私も行きまーす」
「しばらくして向かいまーす」
というふうに結束し、彼女を生贄にしないように対応した。その時の呼び出しの要件は何だったのかというと、
「君は1番若いのだから、遊んでないで、各階を見て回り、子どもたちの登校・出席状況を把握しなさい」
という、まったく不要な業務だった。
「あ〜、寒い寒い。冷えた冷えた」
と言ってバカなフリをして間髪入れずに戻った(演技した)職員がその指導(いじわる)を聞いて、
「朝の会は、職員が揃ってからそれぞれに行えばいいから、今しかできないことをしましょう。嶋中さん」
と言って助け舟を出す。
続いて戻った職員も、
「嶋中さんどうしたの?私たちも手伝おうか?」
と声をかける。
本当は、何かしら彼女に対して気にくわないことを、校長室でネチネチと説教したかったのだろうが、お姉様方が次々に入って来て、「何かあった?どうしたの?」的に守ったので、おかしな指示を出して終わるという、ある意味、無駄な放送だけが流れたという顛末を迎える。これこそ、まさに、『放送事故』と言うべきではないだろうか。
また、彼が肩書きや権力に屈する人物であることは周知のことなので、春乃さんのお父様が力をお持ちであることを、彼女が退勤した後に教頭に教えてやろうと、女子職員の偶発的な会話から知らしめる設定で、『後田劇場』なる猿芝居が演じられたこともある。
「お疲れ様でした。お先に失礼します」
「お疲れ様。また明日」
「お疲れ様でした」
春乃さんが帰るのと同時に、後田教諭が口火を切る。
「こないだ、昔ちょっとお世話になった先輩先生に会ってね、どこにお勤め?なんて話題から『岩戸です』って言ったら、その先輩が、『岩戸?だったら、嶋中さんっていない?』ってなって、『あぁ、いますよ〜、可愛らしいお嬢さんでぇー』となって、『え〜嶋中さんをご存知なのですかぁ?』って尋ねたら、嶋中さんのお父様にすごくお世話になったって。人って、どこでどんなに繋がってるか分からないよねぇ。みたいな話になってぇ」
「あ〜、嶋中さんのお父様は県教委にいらっしゃったんでしょう?」
「え〜、そうなんですかぁ?」
「そうそう、高校の先生されてて、確か県にいらっしゃったはずだよ」
「あ〜、だから、彼女は中学時代、中瀬戸地区に行ってたんだ。お父さんの仕事でかぁ」
「それで、今や、流雲高校の理事長か何かされてるんでしょう?」
「そうそう、確か、何年か前に就任されたと思うよ」
「職員録に名前あるかな」
「あるんじゃない?すごいよね〜、県内トップクラスの私立進学校の理事長だよ。公立でもすごいのに、私立高校のトップなんだから、その指導力とか求心力とか経営手腕とか買われたんだろうね」
「ほんと、そうですよねー。この少子化の時代に私立高校をやっていくって優秀じゃないとできませんよね」
「へえ、その人の娘さんが、嶋中さんってこと?」
「そうらしいよ」
「でも、彼女が偉いのは、そんなこと一言も言わないし、そんなそぶりも見せないよね」
「自分の足で立っている感じ?」
「私ならさ、親の威厳や名誉を必要以上にアピールするけどね」
「彼女は違うね」
「違うね」
「今日も自分の担当ではないのに、散らかっていた○組の教室を片付けてたの見たよ」
「あんな子こそ、正式採用にならんばね」
「なれるさ、きっと」
「私たちが、手本にならなきゃなんだね」
「それはちょっと…、無理かも知れん」
「そういうオチになってしまうのか」
「あはははは」
後田教諭発信の後田劇場、教頭に聞こえるか聞こえないか、年配女子職員のくだらないおしゃべりのように見せて、彼が飛びつくキーワードの散りばめられた、彼にとっては大スクープ情報が、見事な演技によって注入されたのである。
劇団女優陣が退庁してから、教頭がすかさず県内教職員録を確かめに動いたのを、劇団見習いの私が見届けた。
流雲高校のページ、そのトップに、嶋中父の名前を見て、血の気の引く思いを味わった﨑田氏。これまでしたことの反芻をしたか、明日からだれをいじめればいいのかと途方に暮れたか、何かを失ったかのような、何とも残念そうな表情を、名女優様方に見せたかった。そして、彼は、感情を整理するよりも前に私に確認してきた。
「松田先生は、嶋中先生のお父さんが流雲高校の先生だと知ってたの?」
「いいえ。彼女とはよく話しますけど、その話題になったことはないと思います」
「中瀬戸にいたことは知ってたんだね」
「はい。今娘が部活でお世話になっている顧問の先生が、中瀬戸にいらしたみたいで、面識がある話になったことがあって、そこから中学生で転校する大変さなどを話したような…」
「なるほど」
「お父様の話は一切してないですね」
「ヘッ」
おかしな笑い声をこぼして教頭は仕事に取り掛かった。いじめのターゲットに、これまた大きなバックが付いていることを知って、相当ダメージを受けた様子だった。
彼の知らないところでの連携プレーもある。それは、夏休み中の勤務動静決定に反映された。私たちは、夏休み中に、普段取ることのできない有給休暇を計画的に取ることができる。それと、校務の関係で研修会や外勤に出なければならない日もある。学校で2学期の準備をしたり話合いを持ったりすることもある。その動きを決定して承認してもらうのが、夏休み前。7月に入り、成績処理を終えると夏の計画が話題に上り、個々の動きが次々に決まり始める。
気の合う仲間と同じ研修を受けたり、他校の職員と情報交換したり、家族サービスを考えたり…40日余りのプランを練るのは大変だが楽しみでもある。
岩戸小に赴任して一年目の夏は、娘の中総体や受験準備、島の同僚との会合や2学期の以降の教材研究など、自分なりに効率良い仕事ができるような計画を立てることができた。長年気になっていたホクロの切除手術も考えていたので、通院日を確保するなど、結構タイトな夏になった。他の職員の動静などあまり気にもしなかったし合わせる必要も感じなかった。1学期に課題を終えられなかった子や学習面でつまずきのある子に補習を行うなど担任としても充実した夏を送ることができた。
しかし、演技力抜群の女優先生方や教頭の懐で謀反の力を蓄えている男性先輩方が、夏休みを心穏やかに、心底リラックスして過ごしていたことを、岩戸2年目の夏になって気づくこととなる。
7月中旬、パソコンに向かってカレンダーとにらめっこしていると、私の傍を通った先生が、
「松田さんにもあげるよ」
と言って、一枚の紙を持ってきてくれた。見ると、それは、教頭の夏休み中の動静表だった。???なぜ管理職のスケジュールを知らせるのか?と思うのと同時にその意図を汲み取った私は、
「彼の出勤日が分かるのですね」
と確認した。
「特勤日は変えられないとしても、できるだけ彼のいない時に学校に来て仕事捌きたいやろう?逆に、自分の休みは、彼が岩戸にいる時に取って休みを思う存分エンジョイしよう!」
「なるほど。皆さんこんな風にしていたのですね」
「去年からね。たまたま去年、僕の動静より先に彼の動静が出たのを知って、彼が来るなら自分は来なくていいかな〜、仕事的にどちらかは学校におらんばかなと思ってて、そうか!彼の動静を見せてもらって、僕の出勤を彼とずらせばいいって気づいたんだよ」
「そうですね、教頭先生か教務の先生かどちらかがいてくだされば、私たちも安心です」
「それで、最初は自分だけがずらせばいいと思ってたんだけど、他の先生方も彼と一日中ここで仕事するのはしんどいだろうなと思って、コピーを回したんだ」
「へぇ、そうだったのですね」
「全部とはいかんやろうけど、アバウトな日ってあるじゃん、そんな時、学校に来るかやめとくかの判断を教頭がいるかいないかで決めたらいいやろう?」
「すごい!人の動静を確認して自分の動静を決めるなんてしたことない。でも、この学校ではとっても大事なことかもしれないですね」
かくして、自分の予定を教頭の動静に合わせてずらすという自己防衛策が岩戸のスタンダードになったのである。いくつも学校をまわり、たくさんの同僚と仕事をしてきたが、
「この人が居るのだったら出勤しない」と思う、だれもがそう思う職場は岩戸が初めてだった。岩戸というよりも﨑田氏敬遠策、この人と居たくないという感情をみんなに抱かせるなんて、「どんな人物?」と問いたくなる。「そんな人物だよ」が模範解答か?
連携プレー3部作の最後は、『見学学習教頭守』の話だ。﨑田教頭は、外に出る仕事が好きだ。いつも名刺を携えて…。社会科見学や総合的な学習での校外活動となると、引率の管理職枠には必ず教頭が入った。校長は、修学旅行に参加するくらいで、全学年の校外学習は、岩戸の外交官「﨑田一浩」が売名のために前面に出てくる。
名乗り出られた学年は、一日中教頭がその学年に張り付くので、1年の中でもかなり憂鬱な1日になる。逆に、学校残留の子どもたちと先生は、のびのびと過ごすことができる。
一つの学年が犠牲を払って、他の5学年を生かすというプレーだ。
「明日は社会科見学ですね」
「そうよ、行ってきますね」
「﨑田守りもよろしくお願いします」
「任せとけ!1日ちゃんと引き受けるよ」
「ありがとうございます」
「次はあなたのところだからね」
「心得ました」
実際、学校はとても平和な空間に変わるし、多くの人が嫌な思いをしなくて済む。年に数回、平和的で穏やかな学校を見ることができる。教頭は、出先で各会社のお偉いさんと挨拶を交わし、自己アピールをするのに一生懸命で、子どもたちの引率者としてはさして役に立たない。しかし、学校にいる時より意地悪さが薄まるので、1日お守りはそんなに苦にはならなかった。
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