第11話 外見と肩書き

『人は見た目で判断してはいけない』というが、たまに人を見た目で判断することがある。人と関わっていると、『見た目は大事』と感じる場面も結構あって、一概に見た目に左右されることを否定できないことに遭遇してきた。教え子が、中学校の制服を着て訪ねて来たりすると、昨日まであどけなかった表情が一変して、お兄さんお姉さんに見えることがある。休日はのんびり部屋着で過ごし、ちっともピリッとしない主が、出勤前にスーツに袖を通すと、頼り甲斐のある紳士に見えることも。いわゆるユニフォームの格好良さに私はかなり騙されている。

 今年、大手芸能事務所の敏腕社長が他界した。その人のスカウト力や育成力が報道されていたが、決して自分の立場や権力をかざさず、オーディション会場では、清掃員や用務員に間違われるほど普通のおじさんだったという証言は有名だ。意図してなのか無理せずなのか、水戸光圀のちりめん問屋さながらの忍び術で、集団の中に身を潜め、本質を探る行為は愉快そうに思えるが、自分にはできないと感じている。

 何をするにも、何をした後にも、自己承認欲求が頭をもたげてきて、松田さんすごい!さすが!と評価してほしい思いは年を取っても減ることがない。

しかし、﨑田教頭の偏見姿勢を目の当たりにすると、やはり、人を見た目や名前で判断することは、非常に浅はかで危険な行為であることが見えてきた。

 外見や肩書きに思考や態度が縛られることの気持ち悪さを彼の言動を通して何度となく味わった。


小学校では、子どもが怪我をしたり具合が悪くなったりすると、保健室で手当てをしたり休ませたりする。早急な受診や帰宅が必要と判断されれば、保護者に連絡をして迎えに来てもらう。

ある日、熱中症の症状を訴える低学年の女児がいた。保健室で様子を見立て、水分と塩分を補給したが、手指の痙攣が治らず救急車を呼ぶことになった。

﨑田教頭は、子どもたちが体調不良に見舞われた時、率先して保護者への連絡をしてくれた。保護者対応は過剰な丁寧さを見せていた。しかし、この時の彼は違っていた。何があったのか、子どもの様子も見に行かないし、保護者連絡も救急車の要請も市教委への報告もすべて担任や教務に任せて、スイッチが切れたかのような対応だった。

なのに、それから2ヶ月も経たないある日、私のクラスの男児が、運動場で誤ってサッカーボールの上に乗ってしまい、転倒して頭を打つ怪我をした時、信じられないくらいの神対応を見せたのである。

保護者への連絡はいつものように自ら率先して行い、保護者はタクシーで駆けつけたのだが、教頭は自分の肩を貸し、がっちりサポートして車に乗せ、ものすごく丁寧な物腰で保護者と言葉を交わし、まるでホテルマンのような所作でタクシーを見送った。救急車を呼んだあの時の女児と昨日のわがクラスの男児に見せた処遇の違いがなぜなのか未だに分からない。

そして、午後の授業を終えて職員室に下りた私に、教頭は次のようなことを言った。

「橋君は、精密検査を終えて頭に異常がないとのことです。ただ、頭部の怪我は油断できないから今夜は病院に入院という形をとるらしい」

「あぁ大事に至らずに良かったです。分かりました。今日はありがとうございました」

「ところで松田先生は病院に行きますか?」

「はい、一度家に帰って娘たちに伝言をしてから向かいます」

「僕が行くから無理しなくてもいいですよ」

「教頭先生も行ってくださるのですか?ありがとうございます」

「僕が行くからね、僕より後に来てくれますか」

「分かりました」

「僕が一足先に様子を見て保護者さんにも挨拶しておくから」

「あ、お願いします」

「先生は何時頃行くつもり?」

「そうですね、6時半から7時くらいになるかと思います」

「分かった分かった。僕が行ってから電話するから、それから向かったらいい」

この会話で理解できた。とにかく、私にお見舞いの先を越されたくないのだ。小さな外交官は、保護者に対して精一杯の誠意を担任より早く駆けつけることでアピールしたいのだ。私がどんなに早く仕事を済ませ橋君の元に駆けつけたくても、教頭を差し置いて行動してはいけないのだ。

昼間の大袈裟な介添えを目にし、この会話を聞いていた同僚がふと漏らした。

「橋君のお父さんは何をしてる人?」

「県の職員さんで、家は3丁目の旧家だよ」

「橋君の保護者に何か弱みでも握られてるの?」

「そんなことないと思うし、何も接点はないと思うけど」

「自分がとにかく手柄を立てたいし、自分は何より子どもを大切に思っているアピールしたいんだろうね」

「したいようにさせてあげましょ」

「これで、松田さんが先に見舞ってたら、狂うかもしれないね」

「先に行っても後に行っても担任を貶める悪口を言うんだよ」

「もう分かってんだ」

「松田はまだ来てないんですか。何やってんだか…。って絶対言うよ」

「こないだの熱中症の子と比べてこうも対応が違う理由がきっとあるんだよ」

「あるんだろうね」


私たちが、確信を持ってこう言い切るのには理由がある。実は、夏休みに、教頭が人を外見で判断し権威に屈する人物であることを露呈した出来事があり、その時職員室にいたメンバーは、その様をはっきりと覚えているのである。


夏のある日、午前8時半。作業着を身に付けた男性が、職員室に顔を出した。

「おはようございます。調理室の雨漏りの様子を見に来ました」

その時、教頭は、顔も上げずに、

「はーい」

と言って、見ていた書類から目をそらさなかった。

「あのぅ、調理室前の鍵を…」

と言う作業員。教頭は、

「あっ!鍵ですね」

と言いながらも、その人の顔は見ずに、入口前にいた若手職員に鍵庫の鍵を渡すよう顎で指示をした。状況を察した職員は、作業員に鍵を手渡し、一礼。ちゃんと挨拶できるのが30歳も歳の離れた若者の方だった。

私は、この作業員の方は、もう何日もうちに通っていて、教頭とは顔馴染みになった間柄なので、「はーい」程度の反応で堅苦しい挨拶はとっくにすませているのかと思っていた。

しかし、夕方、作業を終えて書類へのサインと捺印を求めに来た作業員さんの一言で、教頭がコロッと態度を変えたことで、朝の対応は大問題だったことが明らかになる。

「すみません。作業終わりました。この書類にサインと判子をお願いします」

「はい」

伝票を受け取り、サインする教頭。

「はい」

と言って返そうとした時、作業員が作業服の胸ポケットから名刺を出しながら言った。

「ご挨拶が遅くなり申し訳ありません。私、〇〇電設取締役社長の♢♢と申します。問題のあった箇所は、今日1日で何とか直しましたので」

取締役社長と聞くや否や、教頭の顔色がガラリと変わるのが見えた。それまで、横柄な態度だったのが一変し、急に何度も頭を下げ始めた。提示された名刺を丁寧に受け取り、会社名や社長名を確かめると、椅子にかけてあるスーツの上着から自分の名刺を出し、

「こちらこそ、ご挨拶できずにすみませんでした。教頭の﨑田でございます。社長様自らおいででしたか。今日はずっとお一人で作業を?長時間の作業誠にありがとうございました」

朝の対応がかなりまずかったことを思い出させまいとするごまかしがありありと見える。何なんだ!この手のひら返しの応対は…。本当に何度ペコペコと頭を下げただろう。そして、作業着を着た社長様の背中に手を添え、廊下を歩き、玄関まで過剰なお見送りをしたのである。

「今の見た?聞いとった?」

誰からともなく誰かが口にした。

「社長!ってすごい言葉なんだね」

「朝の方と同じ人への対応かね」

「肩書きの威力すごいね」

「うちの教頭の態度、恥ずかしいね」


社長様をお見送りになられた教頭様が職員室に戻って来た。何事もなかったかのような素知らぬ顔で…。再び、自分の目を疑った。こんなにまでひどい差別行為をたくさんの部下に見られていることを彼は認識しているのだろうか。私たちの存在など、石ころ程度のものなのであろう。自分のことを見ている同僚がいて、その一人一人に心があって、それが上司の動きとなれば、かなり大きな注目と影響力が潜んでいることを、﨑田教頭、あなたは自覚していない。

ある夏の日のこの出来事は、私に結構大きな哲学をもたらした。

『人は見かけで判断してはいけない』

『人の肩書きで自分の態度を変えてはいけない』

外見や肩書きもそれはそれで人物の一端ではあるが、一刻一刻の言動や佇まいの中にその人を重ねたいという思いを強く強く抱いた出来事だった。

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