第7話 反則金に換えても

異動して﨑田教頭と再会し、毎日直接的・間接的に嫌な目に遭いながらも、我慢に我慢を重ねた4か月。耐えているうちに時間は確実に過ぎた。やっと夏休みがやって来る。こんなに待った年はない。20年の経験の中で、子どもや保護者に悩まされることがほとんどなかった私。今年は勝手の分からない私に、子どもたちが

「大丈夫ですよ」

と声をかけてくれて、慌ただしい1学期を何とか乗り越えることができた。保護者も信頼して任せてくれた。子どもたちと保護者の皆様のおかげで持ちこたえたと思う。

海の日の3連休が明けて火曜日に終業式を迎えると、小学生は42日間の夏休みを過ごす。連休前に1学期の業務は終え、連休から夏休みのような感覚が味わえた。頑張ってやっと辿り着いたロングバケーション、計画的にやるべきことをやり、心はのんびり開放させて過ごすことにしていた。


数年前に膝上にできたほくろ、年々大きくなっており、しかも時々痒みを発症していたので、皮下腫の疑いがあったので、この夏、ちゃんと診てもらおうと思っていた。

知り合いが評判の良い形成外科を紹介してくれたので、3連休初日の7月17日土曜日、朝から受診することにした。7月16日の仕事終わりの達成感、安堵感が想像できるだろうか。例年以上・想像超越の「やったー感」は、もうしばらく味わえないだろうと思うほどだった。とにかく、無事に腐らずに1学期を終えられることが幸せだった。夏休みに、何度か教頭と顔を合わせることはあるけれど、自分のペースで仕事をし、変なプレッシャーをかけられることがないので、精神的に随分と楽になる。


17日の朝、家から結構距離のある病院だったし、渋滞状況が読めなかったので、時間に余裕をもって家を出た。車を走らせて市街地に入っても、土曜日の朝なので道は空いていた。思ったより早く病院の前までに来たが、診察開始まで時間があったため、病院を素通りして飲み物でも買いに行こうと思った。滅多に通らない道だったので、懐かしさと好奇心でかなりの距離車を走らせた。長い坂を上りトンネルに入る。まるで、1学期の自分の様子を表しているかのような景色だった。トンネルを抜けたところに様々な会社の自販機がずらりと並んだポイントがあった。よりどり自由の飲み物の中から、お気に入りのお茶を買い、車の中で一口飲んでから、来た道を戻った。

さっき通って来たトンネルが、コスモチックな照明で、なんとも形容しがたい高揚感が溢れてアクセルを踏む足が勝手に調子に乗った。体の中、脳の深い部分が、このまま異次元の世界に飛び立てる感覚をキャッチした。出口の明るさで現実世界に戻った時、道は下り坂に差し掛かる。すると、間もなく、ピーピーッと力一杯笛を吹き、何やら旗を8の字に動かしてヘルメットを被った隊員らしき人が飛び出して来て左折を促す。「何?何?何かあった?」と思うと同時に現状を察してしまった。スピード違反の取り締まりに遭ってしまったのだ。

「ガーン」

やってしまった。時間に余裕があったばかりに遠出し、お茶を買い、トンネルの雰囲気に感覚を麻痺させてしまい、速度超過の罪を犯してしまった。余計な行動を取ったばかりに…。トンネルの中の不思議な感覚、夏が来る、夏休みが来る!ご褒美みたいに夏が来る、私の夏がやって来る!間違いなく調子に乗って快感であったあのトンネルで、ガンガンスピードを出し過ぎていた。

自動車免許を取って20年、初めての交通違反の切符を切られた。

「制限速度40キロのところ、66キロ出ていましたよ。反則金といって、16000円振り込んでもらいます」

「はぁ、そんなに出ていましたかぁ」

妙な言い訳はしなかった。あの時の私は、脳内に快楽ホルモンが出ていたのだ。自分でも止められない気持ち良い信号が脳から足先に送られていたのだ。「教頭に会わなくて済む」この思いが私を魅惑の世界に連れて行ったのだ。

当時、政府の施策で、高速道路の通行料がどこでも1000円だった。そんな時に、罰金で16000円も支払わなきゃならないなんて。

それでも、教頭に会わなくて済む喜びの方が勝った。どこに行くにも1000円で済む時にその16倍も取られるのは悔しいと言えば悔しいが、宴会に3回分費やしたと思って気を取り直した。そう、彼に会わないことの方が反則金よりも価値が高いと思えたのであった。

取り締まりの手続きに時間を取られ、結局、病院に入ったのは診療開始直後、受診受付はすでに5人目だった。診察まで1時間待った。時間とお金とを無駄に使ってしまった。この夏の私の痛い話である。

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