第6話 知らぬ存ぜぬ

教頭の意地悪や嫌がらせを受けたのは、年下の女性職員ばかりではない。男性職員も幅広く嫌な目に遭っていた。


ある日、貴本教諭は、5年生の水泳の授業をしていた。そこへ、県教委から電話があった。

「岩戸小学校、外国語担当の先生の出席がまだなのですが…」

外国語担当は貴本氏。今、プールでガンガン泳いでいる。電話を取ったのがだれだったかは知らないが、教務も職員の外勤を知らなくて、日程黒板に外勤者の名前は書かれていなかった。教務が急いでプールに走る。電話のことを貴本教諭に伝える。

「はっ?!知らん、俺、そんな研修会聞いてない!何も知らない」

「とにかく、プールから上がって着替えて来て」

「はぁ?どうしろというのか。ったく…!」

「すっぽかしたら始末書ものくらいの大事な研修みたいだよ」

「えーっ!俺そんな文書見てないよ」

「自分も記憶にないのさねぇ」

「絶対教頭止まりだ!」

「自分が知らないこと伝えておくから、着替えて職員室に来て」

「でも、水泳は…」

「私が入るよ」

「あ、ありがとうございます。すみません。海パンは?」

「何とかなるから、こっちはよかけん、とりあえず確認してみて」

「確認って、知らんもんは知らんとに。マジ、やぜか!」


着替えを済ませ、足音も激しく職員室に入る貴本教諭。

「教頭先生!何の研修ってですか?」

「外国語の伝達講習です」

「私、そんな研修、文書見てないし話も聞いてないですよ」

「まあまあ。電話で、『すぐ行きます』って言っといたから、すぐ向かって」

「はあ?もう!何でー」

「校長先生からも話してもらってるから大丈夫だから」

「何が大丈夫なんですか、どこに行けばいいか、何を持っていけばいいかも分からんとに、どこ行けばいいんですか!」

「労働会館だって」

「ホント、そがん研修知らんし…」

「とりあえず行って来て。ね、気をつけて、ね」

「!!!!分かりました!!!!」


私は、午前10時に、職員室・プールでこんな出来事があっていたことを、放課後、貴本教諭が研修から帰ってきて、怒り心頭だったのを見て知った。職員の駐車スペースに貴本教諭の車が入る音からその怒りが分かったし、廊下スタート地点からの足音にも身が凍るほどの激怒が込められていた。

教頭は職員室には居なかった。偶然でなく故意に居なかったのだと思う。

ふてくされた態度で席に着いた貴本教諭。まず、同学年の主任が声をかけた。

「お帰り。大変やったね。大丈夫やった?」

「大丈夫も何も謝るしかないから、ただただ謝って途中からじゃ意味の分からん話を我慢して聞いてきましたよ」

「忘れとったとね?」

「いや!違う!こがん研修のあること自体全く知らんかった」

「週報にも書いとらんもんね」

「絶対、アイツって!」

「今、逃げとるよ。そいにしても文書なり何なりあったはずやろうに」

「絶対あるはずさ。アイツが持っとるに決まっとる」

「事務の先生が、『それらしき文書見たかもしれん』って言いよったよ」

「そうやろう?俺やったら、これにまとめとるはずやもん」

「じゃあ、教頭だ」

そう言いながら、机の右側に積んであったファイルや書籍やプリントをめくりながら、

「あっ!これ?」

と言って、積まれた文書の中から一枚のプリントを引き出した。

「はあ?何でここにあるとや。俺、絶対このプリント貰っとらん」

「えー!」

「だって昨日、こここんなにしてるけど、要らないプリントをシュレッダーにかけたし、ここ俺整頓したもん」

「うわぁ、怖い」

「こんなプリント昨日までなかったもん」

「今、そこからプリントが出てきたってことは…」

「教頭、どこに行ったと?文句言うてやる」


程なくして教頭が帰って来た。

「貴本君、ごめんね〜。大丈夫やったね。」

「何とか。教頭先生、この文書私の机にいつ置きました?私、まったく見覚えがなくて、いま、ここの間から出てきたんですけど、昨日、私がここを整理した時には、なかったものなんですけど」

「あらぁ、文書あったんですか」

「ずいぶん前に渡してたんじゃなかったです?」

「いやいや、ふざけないでくださいよ」

「ふざけるも何も変な言いがかりを付けちゃいかんよ」

「話にならん。もうよか!納得いかんけど、あんたに付き合う暇はない!帰る!先生方、注意せんばですよ」

貴本教諭は、呆れたといった顔で荷物を掴み取り、職員室を出て行った。﨑田教頭は、「参ったな〜、逆恨みされちゃ困るよ。これで、整理整頓してるって思っているところが問題。自分が不整理だったくせにね」

と、首を傾げながら自席に戻った。そこへ、教務が、

「しかし、先生、貴本さん本人が知らなかっただけでなく、私もこの研修のことは把握していませんでした。自分にも文書が回ってきて良さそうなものなのに…」

と言った。教頭は、

「二人して知らぬ存ぜぬでは、私たち管理職は、もっと強固にチェックし合わなければならないってことですね」

と、返答した。いや、何故論点をすり替えているんだ。大事な文書を自分が所持していたのに、電話があって慌てて探し出し、さも前から渡していたような工作をして、ミスを部下になすりつけたのはあなたでしょう?管理を強化するのでなくて、自分の仕事をきちんとし、責任の所在を明らかにすべきです。その時職員室にいた者はきっとこのように考えていたはずだ。

上司たる者、部下の失敗をフォローこそすれ、自分の失敗なのに部下に濡れ衣を着せて放り捨て、責任逃れをするとは何という悪魔ぶりだろうか。


先に県教委から電話があった際は、

「担当がすっかり忘れていて…」

と弁解していたそうだ。事の一部始終を見ていた事務官が、教頭が帰った後に重い口を開いた。さらに、ずっと見張っていたわけではないので、不確かだが、自分の机の引き出しを何度も開閉したり、後方の文書棚からファイルを出し入れしていたらしい。出てきた文書がどのようにして貴本教諭の机に運ばれたかは分からないが、おそらく、だれもいない間にそっと忍ばせたに違いない。

平気で部下を売る管理職、「知らぬ存ぜぬ」でとぼけているのは﨑田教頭の方だ。この一件で、事務能力に加えて、人間性の低さを全職員に露呈したことになった。

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