第5話 僕だけに…ただ僕だけに
ある朝、同僚と次のような会話をしていた。
「先生、お宅はどちらですか?」
「あかねヶ丘だよ」
「学校の先生が結構いらっしゃるでしょう?」
「そうなのかなあ?んー、確かに近くだけでも4人は知ってるな」
「前仕えた教頭先生がいるんですよ。その人があかねヶ丘で、当時の校長が近くの景陽台だったんです。それで、当時一緒に働いていた者たちは、『どちらも自分勝手で、強引で、おかしいくせに、立派な家に住んで憎たらしい。豪邸に火付けようか』ってくらい嫌ってたんですよ。」
「あぁ、なんかその人の評判聞いたことあるかも…。別の人から同じような話聞いたな。奥様と話したことあるけど、ご主人のことは知らないな」
「あの時の管理職のコンビ結構強烈で、嫌な目に遭いました」
「器の大きな上司が少なくなったよね」
学習指導に必要なプリントを準備しながら、現在の上司も結構ヘビーなコンビであることを目配せし合い、気持ちに喝を入れて席を立つ。さて、子どもたちのいる教室へ行って元気出すか!それにしても、この方について行きたいと思う憧れの上司が見当たらなくなったなぁ。なぜなのだろう。管理職試験に問題があるのか、そもそもの人間性に難ありなのか、立場が魅力を奪っていくのか…。どんなに手当てが付いても管理職にはなりたくないなぁと無駄な思考を巡らせて階段を上がる。
この学校で担任は、一度教室へ向かったらなかなか職員室に戻って来ない。子どもを帰した後の放課後も自教室で仕事を捌いて帰宅寸前に下りてくる。それはなぜか、職員室にいるとストレスが溜まるからだ。﨑田教頭の電話のやりとり、職員を校長室に呼びつけて嫌味な尋問、何気ない会話に聞き耳を立てておいて、後から説明の要求…、彼のバイオリズムが乱れる時は、立場の弱い職員をターゲットにして、ネチネチと問答を始める。国語科の指導に自信を持っているようで、言葉遣いは妙に丁寧だったり、慇懃無礼と思うほど状況にそぐわなかったり、かと思いきや急に声を荒げたり人を馬鹿にした台詞を吐いたりする。
他学年の先生方と意見を交わす必要がある時は、手早く済ませ、無駄口など一切叩かない。本来、小学校の職員室というのは、放課後に子どもたちの成長やその日のエピソード、先輩先生方の失敗や成功談をユーモアを交えて語り合い、悩みや方針を共有し、助け合い・支え合う雰囲気を作り出すことが大切なのに、職員室に会することがないのだから、情報の共有が非常に閉鎖的になるのだった。それこそ、クラスの中で子どもが言ったりしたりしたことを何も考えずに話すと、勝手なレッテルを貼られ、悪者扱いし兼ねない。ちょっとやんちゃな事案などが話題になると、教頭が授業に入った時に、悪い子と決めつけられ明らかな差別を受けるというのだから、うかうか子どものことを話題にはしない。
教頭自身は、一日中職員室にいて、過去の栄光にかなりなヒレを付けて自慢話をしたり、Googleのストリートビューで校区や職員の自宅を検索したり、丹念に爪を磨いたりしているのである。
さて、この日も朝から教室に上がりっきりで、同僚との会話もすっかり昔の話みたいに忘れていて、子どもが下校した後も教室を整えたり明日の準備をしたりして、定時も過ぎていた。日が暮れて、職員室に戻ると、デスクワークをしていた教頭が、手を止めて一目散に私の席に向かってきた。私は、湯のみ茶碗を洗うために給湯器のところへ行く。洗った湯のみを拭いていたら、肩をポンと叩かれてちょっといい?と窓際に手招きされた。
「何でしょうか?」
「今朝、先生方が話していた人は誰?」
「❓❓❓」
「私、誰と話してましたっけ?」
「ほら、陣内先生と火を付けたいとか何とか…言ってたでしょう」
「あぁ、その話ですか」
「そうそう、その話の憎まれている教頭って誰のこと?」
「聞いてどうするのですか?」
「いやいや、どなたのことを言ってたのかなと思って」
「いうわけないでしょう。先生のお仲間ですよ」
「うん、だから、僕の知ってる人?」
「先生がその人を知ってるか否かが分かりません。それに、名前を言うわけにはいきません」
「まあ、そう言わないで教えて、教えて」
「いやいや、言いません」
「そしたらね、先生、岩戸の職員の中に、不倫だとかセクハラだとか、おかしなことをする人がいたら、僕に教えてね」
「えっ!仲間を売れと?」
「職員の風紀が乱れてはいけないからです。先生が知り得た職員の危ない事案は必ず僕に、僕に真っ先に教えてちょうだいね」
「ネタは自分の足で探せや!」
と言い放ちたかったが、
「そんなことはないことを祈りますね」
と交わしてその場を離れた。
後で知ったことだが、もう1人私より1つ年上の男性職員にも、職員のゴシップを自分に真っ先に知らせてくれとお願いしていたらしい。
昔、男性アイドルグループの歌に「君だけに」という曲があったが、
「僕だけに、ただ僕だけに、あぁ告げ口を頼む」
教頭は、長い時間職員室に一人でいる間に、情報に飢え、人恋しくなり、誰にでもすり寄っていきたくなっているのかもしれない。自分より年上の女性陣から総すかんをくらい、こそこそと動かれ、権威を振るうこともできずに、人々が食いつくスクープを持っていたら人気が取れると思っていたのかもしれない。悲しい人だ。
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