第14話 気になる・ならない
網膜剥離で入院・休職した﨑田教頭。ちょうど1ヶ月で復職した。2月中旬に戻ってきて、管理職の休職には代替が来ないので、仕事にぽっかり穴を空けていたため、校長や教務に負担をかけたのは間違いない。多方面に渡って2人がフォローしたので、復帰して4、5日はペコペコしていた。とってもしおらしかった。
教職員の仕事は、近頃パソコンの前でずっと画面を見ている業務がほとんどなので、夕方などは、咳払い、こめかみの圧迫に加えて眉間をマッサージする仕草が見られるようになった。
「教頭先生、無理なさらないように」
タイミングを見て、お姉様方の中で人当たりの良い穏やかな職員が声をかける。
「復帰されたばかりだから、お辛いでしょう?」
歯の浮く言葉かけにも上機嫌になる教頭。よいしょがこんなに受け入れられる上司も珍しい。
私も春乃さんも、失礼にならない頻度とタイミングを見て「お大事に」の声かけをさせてもらった。そんなこんなで、3月修了式まで勤め上げ、いよいよ異動の内示が出るという日、私は来たばかりだから異動は関係なく、気になるのは頼っていた先輩方と教頭の動向。優しく紳士だった教務、1番本音を吐露した貴本教諭、いつも気にかけて明るく接してくれた養護教諭、寡黙な事務官、大女優後田教諭が異動になった。
残る者にのしかかる重い空気。教頭残留、また嫌な1年が始まる。むっちゃん月曜日問題を解決してくれて、いつも支えてくれた春乃さんも、約束通り1年契約で他校への異動となった。私の車購入計画も1年先送りになった。
4月、新しい布陣で岩戸小の船は荒波の中へと漕ぎ出していく。私は3年生の担任になった。市内の小学校から新しく赴任した年下の女性教諭とコンビを組むことになった。
年度が変わっても、教頭の奇行は止まなかった、大きな事件は起きないのだが、職員の持ち物が紛失したり整えたはずの荷物が散らかされたり保護者にあらぬ噂を吹聴されたり…。誰を信じたらいいのか分からなくなる出来事が、いろいろな人を被害者にして一つ二つと起きていた。
岩戸小勤務が6年目で、みんなから頼りにされていた最年長の女性教諭が6年を担任し、岩戸小の舵を切っていた。教頭も彼女には何も言えなかった。一目も二目も置いていて、熟年女子職員の動きは相当気になっている様子がよく分かった。
ある日、私は職員室でデスクワークをしていた。他にも2人ほど同じ部屋にいただろうか、すると、終業の校内見回りと施錠を終えて職員室に戻ってきた教頭が、
「松田さんちょっといい?」
と言って職員室の窓際に手招きする。何だろう?嫌だなと思って席を立つと、シーッというジェスチャーをして、窓の外を見ながらこう言った。
「今、わかばの部屋で先生方が話合いをしているようだけど、先生は呼ばれてないの?行かなくていいの?」
そんなことがあっているなんて知らなかった私は、
「いやぁ、知りません。私には声はかかっていません。女の先生方の集まりですか?」
「さあ、おそらくそうだろうと思うけど、中を見たわけじゃないので誰が集まってるか分からないのだけれども…」
「そうですか、私には関係のないことなのだと思います」
と言うと、
「先生は、何があってるか気にならないの?」
と、問うてきた。
「あ〜、知らなかったくらいですから何も気になりませんけど。何の話でしょうね」
と答えると、
「行かなくていいの?」
と、やけに心配してくれる。
「いや、私に声がかかっているわけではないので、気にはなりませんし行きません」
と返すと、
「後からでも、何が話し合われていたか尋ねて教えてくれる」
と言われた。
「はあ、何か話があればお伝えします」
と答えて仕事の続きに入った。
程なくしてリーダーを筆頭に女子職員が数名帰ってきた。ひとしきり人の悪口を話してきたか、新しい策を考え出したか、どのお姉様方も表情にスッキリ感を表していた。みんなかなりの役者揃いなので、実際に何が行われていたかまったく読めなかった。
退庁して車で帰宅していたら、携帯の着信音が鳴った。画面を見ると、教頭の名前が表示されている。(しつこいな)だいたいの予想はついた。赤信号と重なったので電話に出ると、
「﨑田です。さっきのさ、わかばでの先生方の話、何だったか分かった?」
「いいえ、何も分かりません」
「先生は本当に気にしてないの?」
「すみません、運転中なので切ります。すみませーん」
それから、10分ほどしてまたかかる。
「﨑田だけども、何度もごめんね。車大丈夫?」
私の帰宅を見てたのかと思うくらいジャストなタイミング。
「はい、大丈夫です。帰宅しましたから」
「さっきの話の続きね。明日でもいいからさ、誰がどんな話をしていたか教えてくれない?」
「それはお断りします。だって、どなたに聞けばいいか分からないし、私は自分には関係のない話題だと思っています。たとえ自分の悪口を言われていたとしても構いませんし、だったらなおさら聞けないってものです」
と言ってスパイ行為を拒否した。教頭は、自分のことが噂されているのではないかと気にしていたのだろう。何かしら心当たりのあることをしたに違いないからだ。後で気にしたり後悔したりするような行為をどうして起こすのだろう。こんなこそこそした電話も気持ち悪い。
次の日の朝、教頭は私の出勤を待ち構えていた。あれだけ断ったのに何か情報はなかったかとしつこかった。
「ですから、私は何も気にしていません。どなたに聞けばいいかも分かりません。昨日お話した通りです」
「先生は気にならないかもしれないけれど、僕は気になるんだよね」
何だ!さも私が鈍感人間みたいな言い草だ。
「その様子を見て、それが気になるのであれば、先生が直接尋ねられたらいいですよ。その方が自然でしょう?」
「いやいや、僕は教頭だから、小さなことをいちいち気にするわけに行かないのさ」
って、いちいち気にしてるのあんたじゃん。気にしすぎてるじゃん。一人漫才してんのか!心にやましいことがあるから気になって気になって仕方ないんとちゃうん!昂ぶって思わず関西弁になってしまった。
後から、年長リーダーに聞いたら、教頭の心配ビンゴで、﨑田教頭の話題が中心で、職員室で教頭があんなこと言った、こんなことしよったと、情報の擦り合わせを行ったとのことだ。悪口ばかりでもなかったのだろうけど、悪口や不満が語られていたことは事実のようだ。翌日の朝にスパイ行為はキッパリと断ったので、それからは何も言ってこなかったが、もし、
「教頭先生何なさったのですか?お姉さん先生方がご立腹でしたよ」
なぁんて報告していたら、彼はわざと網膜を剥がし再び入院したかもしれない。
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