EP.26 夏休みの醍醐味


 夜になり、俺は厳戒態勢を整えた。

 咲愛也さあやがリビングのソファでぐでっと脚を放り出してくつろいでいる間に、こっそりと部屋を抜け出して二階と三階を隔てる防火シャッターを作動させる。無論、三階から遠隔操作リモートコントロールで。

 これが降りると、エレベーターは危険を察知。非常停止して使えなくなる仕様になっているので守りは完璧だ。勿論、警備会社に通報される部分のセンサーは切ってある。おじさんの影響か、俺も咲愛也に負けず劣らず機器の扱いには精通していた。こうすればノーリスクで部屋を隔離することが可能だ。

 ウチの無駄に金持ち設備をナメるなよ?こういうのは、使いこなしてこそ、だ。


(悪いな、咲愛也。ここまでするのは少し気が引けるが、これも節度を保つため……悪く思うなよ)


 俺はシャッターに気が付いて向こう側から『みっちゃぁん!!どうしてぇ!!』と叫ぶ咲愛也に向かって大きな声で言い放った。


「おやすみ、咲愛也。また明日」


『そんなぁ!だったらなんでこんなこと!』


「だって、こうでもしないとお前来るだろ」


『…………』


 返事がない。図星なようだ。やはり俺の判断は間違っていなかった。睡眠薬は多用すると耐性がついて効き目が薄くなるんだ、あまり頼り過ぎるのは良くないからな。


「朝の七時。起床と共に開錠する。それまでは一、二階の設備で過ごしてくれ。それじゃあ」


『みっちゃぁん!!愛してるのに!どうして!』


 その悲痛な叫びはまさにロミオとジュリエット。引き裂かれる運命だ。そして、隔離された部屋、静寂の中で死んだように眠りにつく俺はジュリエット。だが、お願いだからどうか迎えに来てくれるなよ?ロミオさあや


(ふふ……作戦は完璧だ……)


 俺は声を落として呟いた。


(愛してるって……?)


『……俺もだよ』。


 無論、シャッターの向こうには聞こえていないだろう。だが、それでいい。だからこそ、俺はこうして眠りにつくんだ。しばしドンドンと叩かれていた音が鳴りやみ、工具で破壊するような異音も聞こえないことを確認したあと、俺は目を閉じた。


      ◇


 朝になり、カーテンの隙間から零れる朝の陽ざしに鬱陶しさを覚えて目を覚ます。


(…………)


 夏休みを迎えて本格的になってきた太陽が、低血圧の脳とまぶたを刺激した。正直、身体はまだ半分も目覚めていない。起きているのは、意識だけ。


「あつ……」


(冷房のタイマー、切れてたか?)


 枕元のリモコンを取ろうとして上体を起こそうとすると、胸の上に感じる柔らかい重み。


(え――)


 エアコンの風にふわりと揺れる綺麗な黒髪。くぅくぅと寝息をたて、胸が上下する度にさらさらと零れるその様子に見惚れるが、あまりの事態に思考が追いつけない。


「なん、で――」


 寝起きの身体に鞭を打ってそれだけ呟くと、胸の上に乗っかる生き物が目を覚ました。


「あ。みっちゃん、おはよう……」


「おは――」


 ――ちゅ。


(……!?)


 咲愛也が、朝から猛攻を仕掛けてきた。

 俺を逃がさないようにとしっかり上に乗り、全身を使って両肩を押さえつける。抵抗しようと身をよじる度に当たる、ふわふわとした弾力。寝起きの鼻をくすぐるようなシャンプーの香り。そして、声をあげようとする口を塞ぐ、柔らかい唇。先日泊まったときに言っていた『挨拶』が、これか――


(だからシャッターを下ろしたのに!)


「む、むぐ……!」


「……はむ」


 ――ちゅう。


「んん……!」


(咲愛也……!)


 抵抗する腕に力が入らない。朝だからというのもあるが、寝間着のキャミソールは裸同然で、防御力が極限まで下がっているであろう咲愛也に本気で抵抗して痣でもつけるわけにはいかない。というより……


 ――どうしてここに?朝からこんな!いやむしろ、低血圧なこの時間帯を狙って……!?


 どこまでも、周到な奴だ。


(やめっ……!)


 身をよじってせめてもの抵抗の意思を見せる。仰向けから横向きに体勢を変えようとすると、咲愛也は唇を離して叫んだ。


「どうして逃げるのぉ!?」


「逃げてなっ――」


「逃げてるよぉ!?」


「にげてないってば……」


 諦めて仰向けのまま顔を逸らすと、咲愛也は胸元に縋り付いた。


「逃げないでよぉ……寂しいよぉ……」


「…………」


 やっぱり、シャッターはやり過ぎだったか。けど、これも咲愛也のため……

 そうは思っても、やはりこの寂しげな表情をさせてしまったことに責任を感じてしまう。上体を起こして泣きべそをかく咲愛也の頭を撫でる。


「ごめんって……やりすぎたよ」


「……うん」


 咲愛也の機嫌を落ち着かせようとそのまま頭を撫でていると、咲愛也が顔を上げる。


「悲しみのあまり、システムに介入しちゃったよ」


「……どうやって?」


「典ちゃんに聞いて」


「…………」


(あいつ……いや、こいつ……どいつもこいつも、か……)


「おじさん、なんて?」


「『鬼ごっこなら仕方ないね。昔はそうやって道貴にシステムを学ばせたなぁ、まさかまだ覚えてたなんて。勝ったらご褒美貰いなよ?』って」


「…………」


 呆れて物も言えない俺に、咲愛也はそっと向き直る。


「……反省した?」


「ああ。ちょっとだけ」


「何ソレ。反省の色が見えない」


「え?」


「反省してるなら、今日はこのままここでイチャイチャしてよ?」


 ――暴論。


 顔を上げた咲愛也は、全く泣いていなかった。だからさっきのはウソ泣きだ。

 その横暴さと小悪魔っぷりに閉口する。


 というか、どうしていつの間にか俺が怒られてるんだ?怒られるのは夜這いを――朝這いをかけた咲愛也の方なのでは?それにしても、まさか口頭であのシステムを理解するなんて。本当に、なんてハイスペックな悪い子だ。タチが悪い。


「…………」


 だが、ここで拒絶してはこれまでの二の舞いだ。先日素っ気なくされたせいで反省した俺はある童話を思い出す。『北風と太陽』。もし旅人である咲愛也を諭そうというのなら、ときにはその想いを受け止めることも重要だ。寛容な、心で。

 俺はそっと咲愛也を抱き締めた。横向きになって猫をあやすように額を合わせる。


「……っ!?」


 一瞬驚いた咲愛也は、目を細めて心地よさそうに頬ずりをした。本当に、猫をそのまま人間にしたみたいな奴だ。尻尾の代わりに脚をすり寄せて全身で喜びを表している。そこには、先程までの鬼気迫る猛攻は見られなかった。この程度なら、俺の下半身にも危機が訪れることはないだろう。


(なんだ……最初からこうしていればよかったのか……)


 相変わらず、咲愛也の思考システムは中々に扱いが難しい。

 俺は咲愛也の背をさすりながらそっと目を閉じた。


(一日イチャつくのは無理だけど……)


「少しなら……少し二度寝するだけだぞ?」


 そう言うと、咲愛也は嬉しそうに頷いた。


「えへへ……二度寝は、夏休みの醍醐味だよね!」


 そう――夏休みの醍醐味。


 その言葉に、今は踊らされてやろう。

 けど、またシステムに介入したら、そのときは怒るからな?咲愛也。


 俺はエアコンの効いた室内で、その醍醐味をしばし味わったのだった。

 咲愛也との夏休みが始まったばかりである喜びに、胸を躍らせながら。

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