EP.5 育ての親は、幼馴染のお泊りフラグに味方する


「――その子、だあれ?」


 ゆらりと首を傾げるその瞳に、背筋が寒くなる。


 母さんは、幼い頃の咲愛也には会ったことがあるはずだ。俺と咲愛也の物心がついてからは会わせないようにしてたけど。だから、咲愛也のことを知らないわけではない。

 つまり、今ここで聞かれているのは、


「ねぇ、その子……だあれ?」

「母さん……こいつは、咲愛也は――」

「?」


 期待の眼差しで見上げてくる咲愛也。

 まさかとは思うが、彼女として紹介してもらえるとかお花畑なことを考えてるんじゃないだろうな?悪いが、今はそれどころじゃない。わかってくれ、頼むから。


 俺は恐る恐る唇を開く。


「ずいぶん昔に会ったことあるだろ?幼馴染の、咲愛也だよ」

「そうねぇ?久しぶり、咲愛也ちゃん?」

「あっ!こんにちは!お邪魔してます!」


「大きくなったわね?立派なおねぇさんになっちゃって……うふふ……」

「そ、そんなことないです!お母さんの方がすっごく綺麗です!若くてびっくり!」


 にこーっと柔らかい笑みを浮かべる母さんに、咲愛也はきょときょとしつつ返事する。


 待て待て、なに呑気に挨拶なんてしてるんだ。


 けど驚いた。母さんにまだ外面を取り繕う能力が備わっていたなんて。


「みちたか君?咲愛也ちゃんは――いい子みたいね?」


 母さんは、ふんわりとしたピンクベージュの髪を弄りながら、ゆったりと視線をこちらに向ける。


「…………」


「咲愛也ちゃんは――どういう子なの?オトモダチ?」


 ――来た。母さんはやはり、俺と咲愛也の関係性を聞きたがっている。


 親しいのか、そうでないのか。付き合っているのか、いないのか。

 そして――


 咲愛也は、なのか、否か


「咲愛也は、ただの幼馴染だよ。今日はたまたま遊びに来たんだ。じゃない」


 今は、まだ。


 その答えにがっくりと肩を落とす咲愛也と、普段見ないような冷静な眼差しを送る母さん。


 正直、俺にできるのはこれくらいだ。

 母さんが咲愛也を『敵』だと見なした瞬間。どうなるのかは俺にもわからない。

 ただ、目の前にいるモンスターは、俺という宝が奪われないかどうか、思考を重ねている。俺の言葉が真実なのか、否か、見定めている。


「…………」


 イヤな空気に身をこわばらせていると、玄関の扉がバンッ!と勢いよく開いた。


「道貴!無事か!?」


「おじさん!」

「あ、典ちゃん!」


「遅れてごめん!咲愛也ちゃんも、無事でよかった……!」


 おじさんは駆けつけると俺達と母さんの間に割って入り、さりげなく玄関側に俺達を移動させる。


「野薔薇ちゃん?お客さんが来たのにご挨拶もできないの?キミの大事な息子のお友達にさ?」


「したわよ?『久しぶり』って」


「へぇ?その目、そういう感じには見えないけどなぁ?」


のり君、あなたまで私からみちたか君を奪おうとするの?私にはもう、みちたか君しか残っていないのに」


「はっ。まさか。僕が兄さんのことをどう思ってるか、知ってるだろう?」


「……なら、いい…………」


 母さんは、むすっとおじさんを睨むと、しぶしぶ納得した。


「さぁ、もう日が落ちる。道貴は咲愛也ちゃんを送ってあげなさい。駅まで車を出すよ」

「あ、ありがとう。おじさん……」


 本当に、助かったよ。


 俺達は鞄を手に、寂しそうに俺の背を見送る母さんを振り返らないようにしてベンツに乗り込む。シートに座るや否や、俺とおじさんは深くため息を吐いた。


「はぁ……間に合わないかと思った……」


「おじさん……いつもごめん……」


 やっぱり、俺には母さんをおとなしくさせられない。


 おじさんみたいに口もうまくないし、機転もきかない。それに、たとえ壊れていても母親だ。どうしても、おざなりにできない。できるだけ大切に、優しくしてあげたいと思ってしまう。

 息子の俺が言うのもおかしな話だが、だってあの人は、なんだか子どもみたいな人だから。大事なものが手から零れ落ちてしまって、いつも泣きだしそうな、小さな子ども。


 そんな俺に、おじさんは励ますような声を掛ける。


「別にお前が謝ることじゃないよ。野薔薇ちゃんがなのは、僕にも責任がある。とにかく、今日は機嫌が崩壊していなくて助かった。今のうちに安全なところへ。そのうち『波』もおさまるだろう」


「……うん」


「気にするなって。帰ったら僕がなんとかしておくから。こう見えて、人の世話をするプロだからね。若者は何の気兼ねなく青春でも謳歌していなさい」


 おじさんはそう言って、呆れたように俺の頭をくしゃりと撫でた。


「…………」


 これだから、俺はおじさんに頭が上がらない。


 おじさんは俺が小さな頃から、俺だけでなく、あんな母さんの世話も焼いてくれる。本人は『罪滅ぼし』『腐っても兄弟だし』とか言っているけど、こんな面倒な俺達を世間と社会から守ってくれるおじさんには、感謝しかない。


 短くため息を吐いたおじさんは、後部座席でぽかんとする咲愛也を振り返る。


「咲愛也ちゃん、せっかく来てくれたのにごめんね?今度道貴に美味しいお店にでも連れて行かせるから、それで許してよ?」


「そ、そんな!私が急に行くって言いだして、みっちゃんはわがまま聞いてくれただけで!むしろご迷惑をおかけしたみたいで……その……」


「あーあー。咲愛也ちゃんを困らせるなんて、道貴はダメな奴だねぇ?」


 えっ。


「俺……?」


 悪いのは、俺なのか?いやいや、流されるな。

 悪いのは、どう考えても、母さんだ。


 おじさんによって理不尽に罪をなすりつけられている俺のことがわからないのか、咲愛也は後部座席でくすくすと肩を上下させている。

 あいかわらず、呑気な奴だ。けど無理もない。

 だって、夢にも思わないだろ?

 幼馴染の家に遊びに行って母親に挨拶を返しただけなのに、俺とおじさんがこんなに肝を冷やしているなんて。

 気づかないままでいてくれるなら、それに越したことは無い。


 助手席で胸を撫でおろす俺に、おじさんは淡々とした口調で告げる。


「道貴、今日の野薔薇ちゃんは少し。お前は家にいない方がいいかもね」

「えっ?」


「今日は外泊してきなさい。お金なら渡してあるだろう?」

「それはそうだけど……おじさん、ひとりで大丈夫なのか?」


「はっ。お前に心配されるようになるなんて、僕もいよいよ終わりかな?」

「別に、そういう意味で言ったんじゃ――」


 口を開きかけていると、咲愛也が思いついたように声をあげた。


「みっちゃん、外泊するの!?」

「そうだけど」


「じゃあウチにおいでよ!」

「えっ――」


 こいつ正気か?


 たしかにお邪魔することは未だに多いが、ここ数年はさすがに泊まりは無い。

 最後に泊まったのは、小学生のときだったと思う。中学にあがってからは、哲也さんの視線がそわそわとしてなんだか申し訳ない気持ちになるので、遠慮するようになったからだ。


 いくら幼馴染とはいえ仮にも男に――なんて、咲愛也こいつの場合はむしろそれが狙いかもしれない。今日それがわかった。


「別に――」


 『ホテルに泊まるからいい』と、言い終える間もなくおじさんが相槌を打つ。


「それは助かる!咲愛也ちゃんがそう言うなら、是非そうさせてもらおうか!」


 えっ。


「わぁ!さすが典ちゃん!わかってるぅ!」


 おいおい。俺を置いて何を意気投合してるんだ。

 むしろまた謀ったのか、おじさん?それとも咲愛也に頼まれて……?


 疑心暗鬼になる俺と真逆のテンションのふたり。


「ねぇねぇ、みっちゃんも久しぶりにウチの夕飯食べたくない?」


「うっ……」


 確かに、咲愛也の家の飯はプロ顔負けに尋常じゃなく美味い。


「咲月ちゃん料理上手だもんね~!」


「でしょ~!ほらほら、行こうよ!おいでよ!」


「道貴、コンビニに寄るから下着はそこで。必要なものがあれば買っておくといい。僕はその間に涼天りょうてんさん家――今は不壇通か。に、連絡しておくから」


「連絡なんて要らないよ!いつでもおいでだよ!」


「そういうわけにはいかないの。大人ですから」


「お父さんどうせ今日も遅いから、いつでも来ていいよ!」


「へ~、それはいいね。僕も行こうかな?」


「おい……」


 さっきまでの頼りになるおじさんは何処に行ったんだ。俺のあたたかい気持ちを返してくれよ。それに、母さんを忘れないでくれ。ひとりぼっちじゃ可哀想だろ?


「――なんて、冗談だよ?そんなウザそうな目で睨むなって。兄さんそっくりで、うっかりハンドルをミスしそうになるだろう?ふふっ……」


「え~!安全運転でお願いしまーす!」


「…………」


 俺と咲愛也は、テンション真逆のまま不壇通さんのお宅へお邪魔することとなった。


 この歳になって幼馴染の家にお泊りとか、マジか。

 俺、今日は疲れたから寝たいんだけどな……

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