EP.3 小悪魔の襲来
家に着くなり、門の手前で呆然と立ち尽くす咲愛也。
「みっちゃん、身なりも小綺麗で、太っ腹だとは思ってたけど……」
「ん?」
「こんな立派なお宅のぼんぼんだったの!?
「ぼんぼんて……家がデカいだけだろ?育ちが良いいわけでもない。放課後にしてることはケンカとデートだし。あの人は看護師兼病院の経営者。使用人さんも今では週に四回掃除に来るだけだ」
「デーッ――////ごほんっ!デカいってレベルじゃないでしょ、この豪邸!家に着くまでタクシー使うとか!何階建て!?」
「上四階と地下二階。六階建て……か?それに、普段はタクらない。運動の為に歩くからな」
「みっちゃん、ストイック……♡」
「ボサッとしてないで入るぞ。紅茶でも淹れよう」
「みっちゃん、
「いいから」
俺は咲愛也の背を押すようにして帰宅すると、居間に通して適当にくつろぐように指示する。
飲み物用のバーカウンターで紅茶を用意していると、向かいのソファに埋もれながら咲愛也は感嘆の声を漏らした。
「ふぁぁああ……!何このソファ!ふっかふか!それに、何そのお洒落カウンター!キッチンじゃないの!?」
「バーカウンターだ。キッチンは別にある」
「何それぇ!」
「いちいち
「お洒落ぇ!」
「普通だろ。母さんが甘党でな、家中こういうのばっかりなんだよ」
「こういうの?」
「甘めのフレーバーティー。俺は普通のルイボスティーがいいのに。できればスッキリめの」
「はわわ……会話ついていくのギリギリになってきた……」
「え?ルイボスティーには馴染みなかったか?」
こくこく。
「だったら今度淹れよう」
「ふふ。それって、また来ていいってこと?」
カップを手に、うずうずと見上げる瞳。
まったく、子どもの頃から何も変わってないな……
「次は哲也さんに許可取ってこいよ?」
「え~、いいよ別に」
「こら。親は大事にするものだ」
あんな母親でもな。
俺なりに大切にしているつもりだ。ちなみに親父はムショなので大事にしようがない。大事にするとしても、どっちかっていうと護送だ。
本当に、咲愛也が羨ましいよ。あんな綺麗で優しいお母さんに恵まれて。小さい頃から咲愛也の家にはお邪魔して、よく世話になっているが、あんな良い母親は見たことがない。
というか、俺は
授業参観や保護者会の様子からしても、咲愛也の母親が素晴らしいことは明らかだった。
「咲愛也、あんなに良いお母さんに恵まれて、どうしてお前はそうなんだ?」
「え?」
紅茶に満足したのか、ソファに足を放り出して転がる咲愛也に目を向ける。
寝転がるときは膝を立てるな。中が見えるだろう?白、レース。誘ってんのか?
「お行儀が悪いぞ」
「なんか、今日のみっちゃんに言われるとグッとくる……」
「は?」
「お育ちが良さそう」
「お育ちは良くない。英才教育は受けているが、体育館裏では告白された回数よりケンカを売られた回数の方が多い」
「じゃあ、みっちゃんもこっちおいでよ。お育ち良くないんでしょう?」
「は?」
首を傾げると、咲愛也は寝転がったまま、両腕を広げる。
「――ん。」
「…………」
飛び込んでこいと言わんばかりの、カモンな姿勢。
男の家に来てそういう態度を取るな。誤解されるだろう?誘ってんのか、と。
「ねぇ、みっちゃんもこっちおいでよ。ぎゅってしてあげる」
「別にしてもらわなくていい」
「え。来てよ。ぎゅってして欲しい」
「…………」
誘ってんのか。
「ねぇ、おいでよぉ?ぎゅーってしてよぉ?」
「はぁ……」
俺は広げられたままの咲愛也の腕を掴んで引き、ぐい、と上体を起こさせる。
「わっ!」
無抵抗なまま起こされた咲愛也は、その反動で俺にぶつかった。すぐに起きるだろうと思ったが、ぶつかったまま俺の胸元から身体を離す気配が無い。
強く引き過ぎたか?
「悪い。痛かったか?」
「ううん……」
尋ねても、否定する割に上からどかない。
不思議に思っていると、咲愛也はそのまま体重をかけて俺を押し倒した。そして、潤んだ瞳で
「みっちゃん……ぎゅってしてよ……?」
誘ってたのか。
俺は理解した。
そして、心の中でため息を吐く。
やっぱり、連れてくるんじゃなかった。
咲愛也には、昔からたまにこういうことがある。
――咲愛也、
俺はこの状態の咲愛也をそう名付けている。
初期症状があらわれたのは、思春期真っ盛り(今もか?)の中学時代。咲愛也の家に勉強を教えに行ったときのことだ。
周囲の人間が続々と付き合いだしたり、お互いに異性から告白される回数が増えてきたことに危機感を覚えたのだろう。咲愛也は勉強中、突然『キスして欲しい』と言ってきたのだ。
『そういうのは順序を踏んでから』と諭しても、『付き合うのは二十歳を超えてから。それまでは幼馴染だ』と公言していた手前、説得力など微塵も無く、怒った咲愛也は暴挙に出た。
結局そのときは泣き出しそうな咲愛也に根負けしてキスしたのだが、それ以来味を占めたらしく、たまにこういった強引な手段に出る。
それが、
まったく、憎たらしい奴だよ。
可愛いけどな。悪魔かよ。
だが、悪魔に負ける俺ではない。
「咲愛也。重い」
「……こう?」
そうじゃない。覆いかぶさってどうする?
『重い』の意味わかってるか?わかってないだろ。
お前の場合は特に胸が重いんだよ。ほんとに高校生かって。
まったく、下着屋について行かされた挙句に『可愛いやつはサイズが無い』とか言って店内で待たされる俺の気持ち考えたことあるか?めちゃくちゃ気まずいんだぞ?
顔には出さないけど。
「咲愛也、離れろ」
「ん……みっちゃんの匂いがする」
当たり前だろ?俺なんだから。
『離れろ』って言ってる傍から、どうして身体を密着させるんだ。
匂いを嗅いでどうする。お前は猫なのか?
すり寄って、俺に匂いをつけてマーキングしているのか?
だとしたら、なんてビーストだ。
「咲愛也、どいて」
「ん……」
なんで首筋に頬ずりする?
『どいて』って日本語通じてるか?通じてないだろ。
髪の毛がさらさら零れてくすぐったいんだよ、やめろ。
あと、睫毛もくすぐったい。
「咲愛也、噛むな」
「はむ……」
『噛むな』って、言ったよな?人の話聞いてるか?聞く気ないだろ。
歯を立てていようといなかろうと、甘嚙みも『噛む』の範疇に入るんだぞ?
首に唇が当たる感覚がどういうものか知ってるか?息がくすぐったいし、なんだかふわふわするんだよ。思わず笑いそうになってしまうような、精神的浮遊感。
「はむ……」
「…………」
それにしても、こいつは俺のことを何だと思ってるんだ?餌?またたび?不感症?
流石にそろそろ我慢の限界なんだけど。
ちゅ……
「――っ!」
ぺろ。
(首をっ――!舐めるなっ!)
「いい匂いさせんな!殺す気か!」
「ひゃっ……!」
大きな声に驚いたのか、一瞬顔をあげる咲愛也。一気に引き剥がそうと両肩を掴んで押し上げる。
今日許せるのは、ここまでだ――
「いい加減どけ!」
「やだぁっ……!」
(なにっ!?)
咲愛也は、今までにない抵抗を見せた。
俺の首に両腕を回し、全体重を乗せてしがみつく。がっちり脚までホールドして。
「くっ……!お前は、コアラか……!」
猫では、ないようだなっ!
「離せっ……!」
「いやぁ!今日はみっちゃんからぎゅってしてくれるまで帰らない!」
「やはりそれが目的か……!ふしだらだぞ!咲愛也!」
「ふしだらな子はキライですか!?」
「そんなことはない!」
しまった!つい本音が!
「じゃあいいじゃん!ぎゅってしてよ!」
「そうはいかない!俺は誘惑に負けない!」
「ケチ!私だって負けない!今日は負けない!」
ぎゅうぎゅうと身体をくっつけてゼロ距離の抵抗を続ける咲愛也。
(くっ……なんて力と柔らかさだ……!)
これが恋する乙女の大好きホールドか。プロレス顔負けだ。
柔道で寝技を嫌って避けていたのが裏目に出た。師範がガチムチなオヤジだったから嫌だったんだ。
ボクシングでは、咲愛也に対抗できない!殴るなんてもってのほかだ!
「咲愛也……!言うことを、聞け……!」
俺が引き剥がす腕に力を込めると、咲愛也は思い出したように肩の力を抜く。
密着させていた身体を離して、俺の上に跨ったまま上体を起こした。
「……?ようやく気が済んだか?」
「済んでない」
「?」
「思い、出した。私、みっちゃんに負けたことなんてない」
「なっ――」
言われてみれば、確かにそうだ。咲愛也にお願いされたらなんだかんだで言うことを聞かされていたような気がする。
だが、そう言われては元も子もない!
焦る俺をよそに、咲愛也はにっこりと笑みを浮かべる。
「ねぇ、みっちゃん……」
「…………」
「いいから、ぎゅってしてよ?」
「…………」
「どうせすることになるんだからさ?」
開 き 直 り や が っ た ……!
「――くそっ!悪魔め!これでいいんだろう!?」
俺は咲愛也の腕を引いて再び覆いかぶらせる。
そして、そのまま抱き締めた。できるだけ、優しく。そっと、壊さないように。
「ふふふ……」
「咲愛也、お前はタチが悪い……」
「言葉と気持ちが反対なみっちゃんも、大好きだよ……?」
「…………」
うわ。本当にタチの悪い奴。
俺はどうやら、悪魔を家に招き入れたようだ。
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