EP.1 十数年後。見知った街で。見知らぬ顔と、幼馴染。


 夕陽の沈みかけた放課後。高校の体育館裏に呼び出された俺は、見慣れたような見慣れないようなメンツを相手に拳を振るっていた。

 どうせ呼び出されるなら女子に告白される方がまだ嬉しいのに、どうして俺はこうヤンキーにモテるかな。


 バキッ!


「てめぇ!覚えてろよ!」


「…………」


 懲りない奴らだ。何度挑んだところで結果は同じだっていうのに。

 そもそも、俺はあんまり人の顔を覚えるのが得意じゃないから、ケンカを売ってくる奴がいつ何処でボコした奴なのかわからない。ただ、痛いのは好きじゃないからやり返す。それだけだった。


(はぁ……殴るのも楽じゃないんだよなぁ。右手痛いし……)


 近くの水道で手を洗い、下校しようと鞄を背負い直すと、校門付近で見知った顔を見つける。会話をしている男女のうち、知っているのは女の方だ。


「ねぇ、不壇通ふだんどおりさん。このあとヒマ?俺と一緒に帰らない?」

「えっと……」


「新しくできた駅前のカフェ、男女で行くとスイーツ割引なんだって。行こうよ?」

「今は、お腹空いてないので……そもそも誰ですか?」


「え、覚えてない?この間の合同授業で一緒だった――」

「し、知らないです!」

「あ、ちょっと待てよ!」


 男が逃げ出す女の手首を掴む。


「きゃっ……!」


 俺は男の手を掴む。


「ちょっと待てよ」


「……!みっちゃん!」


 訝し気な顔で睨む男に、顔をぱあっと輝かせる女。


「あ?お前だれ?」

「……『みっちゃん』だ。さっき言ってただろ?」


「は?ふざけてんの?」

「それはこっちの台詞だ。明らかに嫌がってんだろ。やめとけ」

「お前関係ないだろ?部外者は引っ込んでろよ」


 そう言われて引っ込んだら、さっきから俺をきらきらした表情で見ている女の方はきっとしょんぼりするんだろう。期待には、応えてやった方がいい。

 そうでないと、俺は育ての親であるおじさんにドヤされる。


 俺は仕方なく口を開いた。


「部外者じゃない。俺はこいつの幼馴染だ」

「あ、そう。でも、彼氏じゃないんでしょ?」


「そうだ。ただの幼馴染だ」

「…………」


 なんでしょんぼりするんだよ?そういう顔するのはやめてくれ。どこかでおじさんが見てたらどうするんだ?

 早めにこの場を切り上げて、機嫌を直してもらった方がいいな。


 俺は掴んだままの男の手首を軽く捻った。


「――っ!?痛ってぇ!折れる!捻じれる!捻じ切れる!」


「捻じ切られたくなかったら、とっとと失せろ。咲愛也さあやにちょっかい出されると、迷惑だ」


「ただの幼馴染のくせに!彼氏気取りかよ!」


 ぎりぎり……


「――痛っ!!わかった、わかったよ!ちっ……めんどくせっ……」


 男は、苦々しい顔をしてその場を立ち去った。


 後日報復でも何でもくればいい。その時は返り討ちにするだけだ。さっきボコした奴らみたいに。


 男の手を掴んだ右手をハンカチで拭いていると、幼馴染に声を掛けられる。


「みっちゃん……私のために、いつもごめんね?」

「……いつも?そんなに助けてたか?」

「今月三回目だよ?」


 覚えてないけど、そうだったか?


「いいよ。あんなザコ、ついでだ」

「ついでって……またケンカしたの?」


「別に好き好んでやってるわけじゃない。なんか呼び出されるんだよ。なんでだろうな?やっぱ親父がムショ帰りだからか?」


 間違えた。まだ帰ってきてないわ。


「なぁ咲愛也、俺ってそんなイキって見えるか?」


 首を傾げる俺に、幼馴染の咲愛也も同様に首を傾げる。


「そんなこと、無いと思うよ?みっちゃんはいつも優しいし、助けてくれるし……」


 そして俯いて頬を染める。


「なんでそんなことで照れるんだよ?幼馴染が困ってるんだから、助けるに決まってるだろ?」

「そういうとこ、かな……////?」


「……?まぁいいや。お前も気を付けろよ?ただでさえ美人なんだから、ああいう輩がわらわら寄ってくる。出歩くときはブザーとスタンガン持てって親父さんに言われてただろ?なんで鳴らさないんだ?」


「だって、相手は学校の人だったし。ブザーって……小学生じゃないんだから……」

「でも困ってただろ。ああいう時に鳴らさないで、何の為のブザーだよ?」


「だって、困ってたらみっちゃんが助けてくれるし……」

「はぁ……俺が近くにいなかったらどうするんだ?」


「どうもしない……」

「そんなんだから、親父さんがいつまで経っても子離れできないんだぞ?」


 咲愛也の父親、哲也さんは、自他共に認める親バカだ。あの開き直りと溺愛っぷりは、友人にバレたら割と引かれるレベルだと思う。

 ブラック企業に勤めているせいで平日にあまり顔を合わせられないせいか、休日は反動のように咲愛也を可愛がっているそうだ。もう高校生なのでいい加減にして欲しいと咲愛也は愚痴をこぼしていた。

 だが、こんな美人でしょっちゅうナンパに遭うような可愛い娘、放っておけないのもわかる気がする。


 肩まで伸びるさらさらとした黒髪に、華奢な体躯。睫毛の長い大きな瞳に、透き通るような白い肌。まぁ、一言でいえば人外的な美人だ。


 そんな咲愛也は、俺の指摘にむぅっと頬を膨らませている。


「私はとっくに親離れできてるのに!」


 あーあ。それ、哲也さんが聞いたら泣くぞ?泣くので済んだらいい方だな。

 心を病んで、ウチの病院送りにならなきゃいいが……


「まぁいいや。帰るなら送る。またああいうのに絡まれたら困るだろ?そんなことになったら、俺はまた飯抜きにされるからな」

「いいの!?」


 そう言うと、咲愛也の顔は再びぱあっと輝いた。

 よし、これで俺はおじさんにボコされなくて済む。小さな頃に咲愛也とケンカしてうっかり泣かせた日は、二日飯抜きで地下室に閉じ込められたからな。


 俺がおじさんに飯抜きを言い渡されるとどうなるか。

 俺を溺愛する母親ができもしないのに張り切って手料理を作り、俺は地獄を見る。食べる方が苦しいなんて、あんな思いはもうたくさんだ。


 俺の育ての親であるおじさんは、咲愛也の両親と只ならぬ因縁があるらしく、自らの兄の子である俺よりも、咲愛也に味方する。

 ムショに捕まったまま刑期を終えていないらしい親父の代わりに面倒を見てくれていて、英才教育だって施してくれた、基本的にはいい叔父なんだが……如何せん、咲愛也が絡むとなんだかダメな人だ。


 俺はそんなおじさんにドヤされるのを回避するために咲愛也と下校する。

 まぁ、咲愛也と一緒にいるのは俺としても嬉しいので、おじさんはあくまで咲愛也に対する表面的な理由だ。


 そんなことも知らないで、咲愛也はにこっと俺の手を取った。


「じゃあ、駅前のカフェに行こうよ!男女で行くとスイーツ割引なんだって!」

「腹減ってないんじゃなかったのか?」

「みっちゃんの顔見たらお腹すいた!」

「なんだそれ……まぁいいや。俺も小腹が空いてたし、行こう」


 それに、こういう時の為に俺はおじさんから対咲愛也専用の財布を持たされている。財布っていうか、黒いカード一枚と、万札が数枚。

 高校生のデートなら、何処に行ったって十分な装備だろう。

 だからカツアゲにも遭うが、今日のように返り討ちにする。


 俺は咲愛也に手を引かれるままに駅前のカフェに向かった。咲愛也はいつも、『手先が冷える』とか言って、事あるごとに手を繋ごうとする。

 こんなところを学校の奴に見られたらまた後日呼び出しを受けるんだろうが、別に構わない。そういう時の為に、俺はあらゆる護身術や武術を身に付けさせられている。英才教育さまさまだ。


「ねぇ、みっちゃんは何食べる?そこのカフェね、ラテアートと窯焼きスフレが有名なんだって!」

「別になんでも。できれば黒いカレーがいい」

「カフェって言ってるでしょ!?なんでも、じゃないし!」


「カフェって、普通カレー無いのか?」

「えっ、どうだろ?あるとこと、無いとこと……てゆーか、みっちゃん意外とよく食べるよね?」


「なぁ咲愛也、できればみっちゃんを連呼するのはやめてくれないか?外でもそうやって呼ぶの、お前くらいだぞ?なんか子供みたいで恥ずかしいんだけど」


「えー!だって、みっちゃんはみっちゃんだし……」


 そうやってまた連呼する……


「せめて名前にしてくれ」

「えー……じゃあ、道貴みちたか?」


「なんか、呼び捨てだと彼氏みたいだな」

「――っ!////」


「名前くらいで照れるな。次」

「道貴……君……////」


「まだ照れるか。次」

「佐々木君……」


「うん。まともだな。それでいい」

「イヤ!なんかよそよそしい!」

「はぁ……高校生にもなって地団駄を踏むなって……」


 スカートがヒラッヒラして危なっかしいだろ?

 呆れがちに様子を見ていると、咲愛也は小声で愚痴をこぼした。


「だって、私だけそうやって呼ぶ方が、特別っぽくていいじゃない……」


(あー……そういうことか……)


 可愛い奴だよ。困るくらいに。


「わかった、咲愛也がそう言うなら別にいい。代わりに、今日はカフェで甘くないメニューも頼ませてくれ。いつもスイーツをシェアさせられてばかりだと糖尿病になる」

「なっても平気でしょ?実家お医者さんだし」


 ああ、そうやって平然とわがままを通そうとする。こいつ、自分が可愛いのをわかっててやってるのか?だとしたら、恐ろしい……


 このナチュラルスイーツな横暴……まるで母さんを相手にしているみたいだ。だとしたら敵わな――いや、諦めるのはまだ早い。

 ここは、幼馴染として間違いを正してやらねば。


「確かにそうだが、病気にならないのが一番いいに決まってる。それくらいわかるだろ?」

「あー!そうやってまた私のこと子ども扱いして!典ちゃんに言いつけるよ!」

「ヒトのおじさんをちゃん付けで呼ぶな!あの人何歳だと思ってるんだ!?」

「えっ。三十代?」

「俺達が十七なんだから、そんなわけがないだろう!?確かに、アンチエイジング剤を飲んでるみたいで見た目は異常に若いけど……あの人ほんとは――」

「ほんとは?」


 しまった。『言うな』って言われてたっけ。バレたらお仕置きされる……


「俺の口からは、言えない……」

「えー!気になる!じゃあ、今度直接聞くからいいもん!」


「そ、それだけはやめてくれ!今日はスフレとパフェでいいから!」

「え~?」


「頼む!俺に出来ることなら、なんでも言うことを聞く!だから、おじさんに歳の話だけは!」

「なんでも……?」

「なんでも!」


 懇願するように頭を下げると、咲愛也はにこっと目を細める。そして、うっすらと唇を開いた。


「じゃあ、行ってみたいな……」


「……どこに?」


「みっちゃんの、おウチ――」


「え――」

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