第70.5話 監禁犯と被監禁者の絆 前編


 哲也君が私達を監禁してから一週間が過ぎた。


 季節は秋。真夏の暑さも落ち着いて過ごしやすい気候になってきたとはいえ、哲也君は先日まで家に監禁されていた身で、『外』での活動が思いきりできるほど体力は万全じゃない。それ以前に、あんなにシフトを入れたら誰だって体調を崩してしまう。


「哲也君、心配ね……」


 ふたり分のマグカップを手に椅子に腰掛け、お姉ちゃんに声を掛ける。


「うん。やっぱり、わたし達が心配かけたせいだよね?」


 そう言って足元の鎖に視線を落とす。私も同様に自分の鎖をジャラリと振った。


「でも、哲也君ってば本当に詰めが甘いわよね?スマホもパソコンも没収しないなんて」

「わたし達のこと、信頼してるんじゃないの?外部にチクったりしないって」

「それもあるかもしれないけど、だったらそもそもこんな真似しない筈でしょ?詰めが甘いのよ、きっと」

「優しいんじゃない?さすが天性のお人好し」

「それか、自分のときはスマホがなくて辛かったとか?」


「「ふふっ……」」


 ふたりして顔を見合わせる。監禁されたといっても、犯人が哲也君ってだけでこんな平和に過ごせるんだから、やっぱり哲也君は『特別』ね。


「あ、監禁といえば……」


 私は思い出したようにお姉ちゃんに問いかける。


「あれから典ちゃんとはどうなったの?」

「どうって……?」

「バッサリ振ったんでしょ?」

「ああ、そのことね?振ったよ。『私は哲也君が好きだから』って。そしたら、大人しくなった」

「大人しく……?」


 お姉ちゃんは平然と言ってのけるけど、私は若干信じてない。恍惚とした表情でお姉ちゃんを語る典ちゃんは、どこからどう見ても病的ルナティックだったんだもの。

 私は床に伏したままタイミングを見計らってたけど、正直、あんな話聞かなければよかったと思ってる。そしたら、まだ分かり合える余地があったかもしれないのに。


「お姉ちゃん、それ、本気で言ってるの?」

「え?」


 きょとんとしちゃって。お姉ちゃんてば、こんな隙だらけだから典ちゃんも魔が差すし、暴挙に出たくもなるのよ?


 私は、もう一度、二重の意味で聞き返す。


「お姉ちゃん、?典ちゃんがなんであんなことしたのか」

「わかってるよ。典ちゃん、わたしのこと好きだったんでしょ?だから、ずっと傍に居て欲しくなっちゃったんでしょ?」


「…………」


「わたしだって監禁犯だったんだから、それくらいわかります。だから、バッサリ振られれば諦め……とまではいかないけど、哲也君の『幸せ』がわたし以外のところにあるなら、見守ろうって、そう思うはずだよ?だから、今の典ちゃんもきっとそう思ってくれてる」


(お姉ちゃん、半分アタリで半分ハズレじゃないかなぁ……?)


 訝しげな顔をしていると、お姉ちゃんは立ち上がって身を乗り出した。


「あ~!信じてないでしょお!」

「いや、お姉ちゃんを信じてないわけじゃないけど、典ちゃんはちょっと……ね?」

「もう!わたしがそう思うんだから、典ちゃんはもう大丈夫だよ!」

「えー……何その自信……」


 お姉ちゃん、自分が世間知らずな自覚ないの?


 どこから来るのかわからない自信を胸にのけぞってドヤ顔をすると、お姉ちゃんの胸はたゆんと揺れる。無邪気で自慢げな顔がなんとも言えず愛らしい。双子の妹である私から見てもそう思うんだから、典ちゃんにとっては相当だったんじゃないかしら?


(まぁ、長年こんなのの世話をしてたんじゃ、魔が差すのも無理はない……のか……?)


 呆れながら視線を向けると、お姉ちゃんは座り直して頬杖をついた。


「……わかるよ。だって、典ちゃんのことだもん」


 その眼差しは、どこか懐かしむような……


「――お姉ちゃん?ひょっとして、典ちゃんのこと割と好きだった?」

「そんなんじゃないよ!あんなロリコン!」


(あーあ。言っちゃった。典ちゃん可哀そ……)


「でも……」

「でも?」


「典ちゃんは、わたしにとってはお兄ちゃんっていうか……育ててくれたから」

「…………」


(そっか……)


 だから、憎めないのか。


 確かに、お姉ちゃんが入院していた月日は長く、ひょっとしなくても親より一緒にいた時間は長い。育ての親だと言っても過言ではないんだろう。

 その間共に過ごしてきた時間はお姉ちゃんと典ちゃんにとっては『本物』だった。

 そこには、私や哲也君には理解できない絆があっても不思議じゃない。少し心配だけど。


 私は思わずため息を吐いた。


「大した自信ね?ほんとに大丈夫なの?」


 その問いに、お姉ちゃんは目を細める。


「大丈夫だよ。わたしの人格形成には少なからず典ちゃんの影響がある。子どもは親に似るっていうと……言い方はアレだけど、わたしと典ちゃんは思考回路が似てるから。『大切な人の幸せが自分の幸せ』になる。それは、典ちゃんに教わったんだよ」


「え~?」


「現に、典ちゃんはわたし以外にも多くの患者さんを元気にして、笑顔で送り出してる。わたしはそれを傍で見てきたよ」


「そう……お姉ちゃんがそう言うなら、もう何も言わないわ」


(案外、良い先生だったのかしら?典ちゃん……)


 思わずほだされてしまいそうになっていると、お姉ちゃんは姿勢を正して向き直った。


「で。哲也君どうする?一週間経っても目が覚めないみたいだし、流石にミラさんに相談した方がいいかなぁ?」


「うーん……でも、それだとミーナちゃんを預けようって気になってもらえなくなるかも?」


「だよねぇ?監禁犯に預けられるわけないよねぇ?」


 そんなことを言っていると、インターホンが鳴った。


 ピーンポーン。


「…………」


 返事をせずにモニターを確認すると、大きなくりくりお目々が期待いっぱいにこちらを覗き込んでいる。


『さくや!さつき!にーに!』

「…………」


『あーそーぼー?』

「…………」


『あーそーぼー?』

「…………」


『新しいくまさん!ママが買ってくれたの!』


 モニターを埋め尽くさんばかりに迫るくまさんのアップ。そのふかふかな手を取って、ボタンを再び押す。くまさんも、遊びに来てくれるのね?


 ピーンポーン。


「…………」


『今日もいないのかなぁ……?』


 ちょっと瞳を潤ませながら、くまさんのついたリュックを背負い直して、ミーナちゃんは帰っていった。


 私とお姉ちゃんはリビングをのたうち回る。


「ああああ!ごめんね!ミーナごめんねぇ!!」

「こんな小さな子相手に居留守を使うなんて……!心がえぐれる!やさぐれる!」


「「もう限界だ……!」」


 顔を見合わせてスマホを取り出そうとすると、お姉ちゃんのスマホが鳴った。


「あれ……?典ちゃんだ」


「――っ!?」


「もしもーし?」


「――っ出るの!?お姉ちゃん、ちょっと……!!」


 止める間もなくコンマゼロ秒で出るお姉ちゃん。これだからあんな目に遭うのよ!?これは絆以前の問題なんじゃないかしら。そう思うのは私だけ?


「…………」


 固唾をのんで見守っていると、お姉ちゃんの顔が青ざめていく。


(ほら!言わんこっちゃない!)


 けど、その後の言葉は、私の予想外のものだった。


「え……?哲也君が、車に撥ねられた……?」

「――っ!?」

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