第70話 『彼』の動機


 呆然と、池に浮かぶ鯉のように口を開ける俺をよそに、典ちゃんは語りだす。


「兄さんだって、最初は『大切な人を守りたくて』始めたんだ。監禁を」


(え……?)


「何年前かは忘れたけど、兄さんは『ある女の子』に好かれていた。最初は一方的に好意を寄せられていたんだけど、僕には、ずっと追いかけられているうちにまんざらでもなくなっていった風に見えたな」


(それって、まるで......)


 俺みたいだ......


「けど、当時警察で内部密告者――所謂スパイを摘発する仕事をしていた兄さんは、近づいてくる人間全てが信用できないでいた。全てが敵に見えてしまって、あれは一種の精神障害を抱えていたように思う」


「…………」


「そんなある日、事件は起きた。兄さんを好きだったその子――名前を野薔薇ちゃんって言うんだけど。彼女、ちょっと天真爛漫でイタズラ好きなところがあってね?仕事帰りの兄さんを見つけた彼女は、後ろから抱き着こうとしたんだ。兄さんは咄嗟に反応して銃口を向けた」


「――っ!?一般人相手にか!?」


「ああ、躊躇いも無くね。兄さんは何者かに襲い掛かられたと思ったらしい。それが野薔薇ちゃんだと気づきはしたが、その後も、硬直したまま動けなかった」


「…………」


「僕も野薔薇ちゃんから聞いた話だから、その時の兄さんの気持ちはよくわからない。けど、素直に『ごめん』って言ってれば、それでよかったんだ。なのに、あいつは……」


 典ちゃんは呆れたようなため息を吐くと言葉を続ける。


「兄さんは、野薔薇ちゃんを拒絶した。『二度と近づくな』『このままでは、いつか殺してしまうかも』と。けど、彼女は言ったんだ。『信用できないなら、何もできない状態でも構わない。ただ、傍において欲しい』ってね……」


まさか......


「それで――?」

「匣が生まれた」


 ゆっくりと首肯する典ちゃん。だが、どこかおかしな話だ。俺は問いかける。


「それ、襲ったと思われるような行動をしないよう、野薔薇ちゃんが注意すればよかったんじゃないか?」


 典ちゃんは感情を移入しているのか、自嘲気味に笑う。


「僕もそう思ったよ?けど、兄さんの心は相当病んでいたみたいだし、野薔薇ちゃんは盲目的に兄さんを愛していた。『愛を壊したくない者』と『愛に囚われたい者』。そんな歪な感情は相乗効果をもたらして、気が付けば、あんな施設ができていたのさ」


「それが、収容施設コレクションケースか……」


「ああ。『大切だから、壊したくない。けど、眺めていたい』そんな想いがあの形を生み出したんだろう。その上、兄さんは自分の想いに鈍感で、野薔薇ちゃんを大切に思いはしても、好きだという自覚は残念ながら無かった。そんな兄さんを振り向かせようと、野薔薇ちゃんは喜んであそこに入ったのさ。第一号の被監禁者だ」


(第一号……じゃあ、それ以降は何なんだ?)


 その話に、俺は疑問を投げかける。典ちゃんは再び口角を歪ませた。


「野薔薇ちゃんが第一号ってことは、他の連れてこられた子は、どうしてあんなことに?」


「ふふ。それがさ?兄さんは自分の想いに無自覚なくせして、結構甘々なところがあってね?兄さんがいないと退屈そうに過ごしている野薔薇ちゃんのことを知ると、『オトモダチ』を連れてきたんだよ……」


「――っ!?」


「最初は、身寄りのない子だった。けど、野薔薇ちゃんとは馬が合わなかったらしくて、次の子。マイペースな子とは気が合うみたいで仲良くなって、味を占めた兄さんはまた次を追加。大人しい子、明るい子……そうやってどんどん『トモダチ』を増やしていくうちに、兄さんは何かに目覚めたらしい。女の子を収集コレクションするようになったのさ」


「…………」


「ま、元々兄さんは壊れかけた存在だったしね?兄さんが髪フェチでそういう趣味に目覚めちゃったのは意外だったけど、仕方ないと言えば仕方ない。兄さんも野薔薇ちゃんも、そういう歪んだ存在だったのさ」


「…………」


 思わず、背筋が凍る。心の奥底からもやもやと押し寄せる、湿った沼地のように冷たい不穏な空気。俺は、震える唇を開いた。


「それで……どうして俺が、『二の舞い』に?」


 典ちゃんは、いたって冷静な口調で告げる。


「『今は』、ふたりだ」


「――っ!」


「けど、哲也君にとって『大切な、守りたい存在』がもっと増えたらどうなる?例えば咲月ちゃんや咲夜ちゃんが、万が一にもキミの子どもを産むなんてことになったら――」


「…………っ!」


(『監禁対象かぞく』が……増える……!)


 青ざめて絶句する俺に、典ちゃんはジト目を向けた。


「うん。その時はとりあえず一発殴らせろ?」


「えっ」


「想像したらムカついた」


「…………」


「あっ、今僕の事『なんだこいつ』って思っただろ?」


「……最近の看護師は読心術もイケんのか?」


「はっ、まさか。そんなことしなくてもキミは顔に出やすいからわかるよ。けど、僕に言わせればキミの方こそ『なんだこいつ』って感じ?」


「それは、どういう……」


 眉をひそめていると、典ちゃんは立ち上がって俺を見下ろした。にこりとする瞳の奥の『圧』が、俺の呼吸を乱す。


「監禁するほど愛しい存在が『ふたりいる』。いい加減はっきりしろよって感じ?」


「…………」

(そういう、ことか……)


 確かに、どっちつかずで申し訳ないとは思いつつ、ふたりに甘えてしまっている自覚はあった。バツが悪そうに押し黙る俺に、典ちゃんは淡々と告げる。


「いらないなら、ちょーだい?」


「そういう言い方やめろ。咲夜はモノじゃない」


「わかってんなら、はっきりしろよ?」


(あ、口調がガチだ。目が笑ってない)


「言っておくけど、このままグラグラしてたらその調子で大事なものが増えていって、ほんとに兄さんの『二の舞い』になるよ?それがイヤなら、ふたりとよく話し合うことだ」


「う……」


(サイコ野郎に正論で殴られる日が来るとはな……)


 俺も、どうかしてたみたいだ。そのことに、典ちゃんは気づかせてくれたのか?それとも、さっきの『ちょーだい』が言いたかっただけ?いずれにせよ、納得のいく結論を出さねば許されないんだろう。


 俺は、素直に感謝を述べた。


「おかげで目、覚めた。ありがとな」


「キミに感謝されても全然嬉しくない。お礼なら、咲夜ちゃんを通してくれる?」


「ブレねぇな、お前」


「キミがブレブレなだけだよ」


「「…………」」


 しん、とする病室。典ちゃんはもうひとつだけため息を吐くと出口に足を向けた。


「言っておくけど、咲夜ちゃんを泣かせたら承知しないからね?咲月ちゃんも。なんだかんだ言って、僕にとってはふたりとも妹みたいな存在だ。もしその時は、キミを沈めに行く」


「おう……」


「あと。できればまたウチに遊びに来てくれる?今度こそ、何もしないからさ?」


「えっ……」


(イヤだよ……)


 ドン引きする俺を振り返り、典ちゃんは縋るように駄々をこねる。


「頼むよ!今、野薔薇ちゃんとふたりで暮らしてるんだけど。彼女、話がスイーツ過ぎて僕には手に負えない。朝から晩まで『偏道様が~』って、殺す気か!?僕は偏道あいつがキライなんだよ!女の子の友達がいないとやっぱダメみたいでさ。このままだと、僕はストレスと糖尿病で死ぬ」


「…………」


「頼むって」


「善処、する……」


「それはどうも。あ、困ったことがあれば何でも言いなよ?僕はいつだって、『咲夜ちゃんの味方』だから……」


 典ちゃんはそう言うと機嫌よさそうに去っていった。

 病室から出て、廊下ですれ違う女の看護師さん達に『おはようございます。不壇通哲也さん、問題なさそうです。安心ですね?』なんて軽く挨拶を交わす。


 すれ違った看護師さん達は『佐々木さんは相変わらず爽やかですね~?彼女いるんですかぁ?』なんてきゃあきゃあ言いながら隣の病室に入っていった。


 俺は、声を大にして叫びたかった。『そいつ!粘着サイコ ロリコン野郎ですよ!』って。


 でも、今回は助かったかもな。


 サンキュー。粘着サイコ ロリコン野郎。

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