第65話 シン・監禁犯


「はぁ……やっと外に出られたね?邪魔な兄さんはもういない。これからはずーっと一緒だよ?咲夜ちゃん?」


 咲夜の白い頬をうっとりと撫でる典ちゃん。片方の手には、いまだに電流の流れるスタンガンが握られている。


「お前……!協力するんじゃなかったのかよ!」

「ふふ、したじゃない?咲夜ちゃんが『外に出る』お手伝い……」

「なっ……」


 こいつを信じた俺が、浅はかだった。

 あのとき感じたこいつの『咲夜への想い』。それは確かに本物だった。だが、それはんだ。目の前でゆらりと笑うその眼差しが、それを物語っている。


「ああ……このときをどれほど待ったか。咲夜ちゃんと出会ってからの十五年あまり。こつこつこつこつ、信用と信頼を積み重ねて。喉から手が出そうになるのをグッとこらえて……」


 恍惚とした表情で語りだす典ちゃんの薄気味悪さに、匣の中から偏道の名を呼んでいた少女を含む、その場の誰もが息を吞む。


「そんなもどかしい日々も、僕にとっては特別な思い出だ。あの頃を思うと、今でも心があたたかくなる。幸せだった。本当に……」

「…………」


 固唾をのんで様子を伺う俺を、典ちゃんは不意に見やる。


「哲也君、キミが来るまではね――」

「俺が……?」


「キミが来て、咲夜ちゃんには生まれて初めて友達ができた。僕に見せないような笑顔を咲かせる咲夜ちゃんを見れて、嬉しかったのは認めよう。けど、咲夜ちゃんの頭の中は次第にキミでいっぱいになっていった。僕が体調を尋ねても、口を開けば『哲也君』。うんざりだったよ」

「…………」


「だから、キミがいなくなったときは精々せいせいした。そのあとどうしようもなく落ち込んで、食べ物も喉を通らなかった咲夜ちゃんをお世話しながら過ごした日々は、幸福以外の何物でもない。けど、咲夜ちゃんはある日、『哲也君にまた会いたいから危ない手術を受ける』と言い出した」


(そんな……咲月の話でぼんやりとは聞いていたが、危ない手術だったのか……)


「咲夜……」


「ほんと、困ったよ。恋する女の子って、どこからあんなパワーが出てくるんだろう?危ない橋を何度も渡って、術後のリハビリも弱音を吐かずに頑張った。傍で応援できたのはよかったけど、応援しすぎちゃって。咲夜ちゃんは退院してしまった……」


 淡々と語る典ちゃんの表情は、一見すると『妹想いの兄』のようだが、その奥には間違いなく『狂気』が潜んでいる。


 あれは、欲望か、執着か、はたまた愛なのか。


「それから僕はすっかりやる気がなくなって。けど、長く続いたぼっち生活のせいで学校に馴染めない咲夜ちゃんは、度々病院に遊びに来てくれた。だからこそ僕はまだ病院に席を置いていたわけだけど。大学生になった頃、咲夜ちゃんはぴたりと来なくなってしまったんだ」


「俺を、見つけたからか……」


「ほんと、どうしようかと思った。もう二度と会えないのかと思うと寂しくて苦しくて。居ても立ってもいられなかった僕は、あらゆる監視手段を学び、設備を整えた。兄さんの警察としてのネットワーク権限は、それはもう役に立ちました。ありがとね、兄さん?」


 バキッ!


 そう言って、典ちゃんは足元に転がる偏道を蹴る。

 相当な高圧電流でやられたのか、遠くの匣から『きゃあぁ!やめて!偏道様ぁ!』と叫ぶ声は届かず、目を覚ます気配は一向にない。まるで死んでいるみたいだ。


 典ちゃんはそんな偏道を一瞥すると続けた。


「咲夜ちゃんはその頃引っ越ししちゃって、診察券に登録のある実家の住所はもぬけの殻。連絡しても用が無ければ返事は来ないし、あんまりしつこいと怪しまれる。それでも、ようやく足取りを掴めたと思ったら、キミのことを楽しそうに追いかけてるじゃない?咲夜ちゃんが嬉しいのは僕も嬉しいけど、僕が嬉しくないのは嬉しくないよねぇ?」


 淡々と語る声音が、次第に冷静さを欠いてくる。


「咲夜ちゃんが成人になるまでは、と思って、それまでずーっとがまんしてがまんしてがまんして……手塩にかけて育てて、あたたかく見守って。少しの無茶なお願いにも快く協力してさ。ようやく二十歳になったと思ったその矢先に――コレだよ?唇から血も出るさ」


 呆れたようなため息を吐いた典ちゃんは、その唇を拭うようにして咲夜の頭にすり寄せた。

 その一挙手一投足がいやらしく、まるで人形にでも触れるみたいに大事そうに咲夜を愛でるその手つきが、俺のはらわたを刺激する。


「ふふ……」


 髪を、頬を、顎下をくすぐるように撫でながら、匂いを嗅いで、くすくすと息を吹きかける。


 もう、我慢の限界だ。


 俺は立ち上がった。


「咲夜を離せ、監禁犯」

「ひどいな。僕は監禁犯じゃない。『まだ』――ね?」

「御託はいい。どうせこれから『なる』んだろ?」


「それはそうだ。僕は兄さんみたいな『逸脱趣味者コレクター』とは違う。愛する者を二度と離さない。正真正銘、愛情たっぷりな監禁犯になるんだよ?」


 いかにも楽しみだという風にくつくつと上下する肩。

 そこには、『本物の監禁犯』が立っていた。


(奴の手にはスタンガン。さっき咲夜がやられたのから察するに、『一発触れれば気絶。けど、命に支障はない』レベルだろう……)


 あそこまで『愛』を語るあいつが、咲夜を傷つけるとは思わない。だから命に支障は無いし、後遺症も無いだろう。

 だが、気絶したら俺は沈められる。良くても、匣の中行きだ。


(どうする?どうすればいい!)


 俺はスタンガンを握りしめ、まっすぐに『監禁犯』を睨めつけた。

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