第64.5話 ルナティック追憶


 はぁ……長かった……



 本当に、長い道のりだった。

 今までどれだけの月日が流れ、このときを待ちわびただろう?


「はぁ……可愛いね……可愛くてかわいくて可愛くてかわいくて可愛くてかわいくて!もう……!」



 息が止まりそう。



 この際、止まってくれてもかまわないさ。

 僕は本当に欲しいものを手に入れたんだから。


「でも……」


 まさかこんな形で手に入れることになるなんて。


 僕は意識を失った咲夜ちゃんを匣に入れる兄さんを横目に見る。


(ちょっと、汚い手であんまり触らないでくれる?)


 全身を覆うような大きさの、羽毛でふかふかのクッションにそっと乗せ、その白い足首に金細工でできた足枷を嵌める。

 最近ではタグだけじゃなくて鎖と枷にもこだわりだしたらしく、見た目重視で強度に関しては二の次らしい。まぁ、鎖を壊したところで扉が開かなければ逃げられないんだ、それでいいんだろう。


 兄さんは、咲夜ちゃんの髪にしかこだわりがない。


 『美しい夜空を彩る、天の川。星々のような輝き。純白の、無垢なる光』


 咲夜ちゃんの銀髪をそう例えた兄さんが着せた、華奢なデザインのワンピース。

 兄さんの見立てだとしても、似合い過ぎていて吐き気すらしてくる。


「可愛い……!ああああ!可愛いね?可愛いね?可愛いね?可愛いね!?」


「寄るな。匣が汚れる。あと、五月蠅うるさいぞ、口を抑えろ」


「ふふ……ふふふふ……!」

「…………」


 兄さんは心底鬱陶しそうに僕を一瞥すると、匣の中から出てきて扉を施錠した。

 パスワードは、背中で隠れて見えない。


(ちっ……用心深いな……)


 僕はいつだって兄さんの隙を狙っているけれど、まったくそんな機会は訪れない。


 せっかく咲夜ちゃんがウチに来てくれたっていうのに、匣の外から眺めておしゃべりするだけ?

いい匂いのする髪を撫でてあげることもできないし、点滴だらけで腕が使えないのをいいことにお着替えを手伝ったり、食べ物を口に運んであげることもできない。

 何より、苦しそうにうなされたときに手を握ってあげることができないじゃないか。こんなの、病院でお世話していた時の方がまだマシだ。


(ああ、あの頃は幸せだったなぁ……)


 僕は、咲夜ちゃんが入院してきた当時の記憶に想いを馳せる。




 咲夜ちゃんが父さんの経営するウチの病院に入院してきたときは、本当にびっくりしたよ。


 こんな可愛い子がこの世にいるんだなって。


 そのとき、咲夜ちゃんは5歳くらいだったかな?うん、5歳で間違いない。歳の割にあまりに身体が小さくて、少し驚いたのを覚えている。

 当時高校生だった僕は咲夜ちゃんのお世話をするために医者志望から看護師に進路を変更して、病院を継ぐのをやめて専門の大学に入り、勉強して、技術を身につけて、咲夜ちゃんの担当になった。


『はじめまして、咲夜ちゃん。今日からキミを担当することになった、佐々木典道です。これからよろしくね?』

『うん……』


 差し出した手をおずおずと握る、小さな小さな、真っ白いお花みたいな手。

 思わずため息が出そうになるのを、必死になって堪えていたっけ。

 毎日話をするうちにだんだんと打ち解けていって、初めて僕を『典ちゃん』って呼んでくれた日のこと、一度だって忘れたことはない。


 咲夜ちゃんは重い病気を持つ、ひとりぼっちのさみしい女の子だった。そんな彼女の傍にいてあげられるのは、心にぽっかりと開いた空洞を埋めてあげられるのは、僕しかいない。

 そのことが、どれほど僕の心を満たしたことか――


 いつか必ず、その空洞を僕の『愛』で埋め尽くして、満たして、あふれて、こぼれさせて。

 そうしてふたりで幸せになる――その日を夢に描いて、共に過ごした日々。


 本当に、幸せだったよ。

 ――『あの日』までは。




「ねぇ、兄さん……」

「――?なんだ」

「少しでいいから、触らせて?」


「ダメだ。『嗜好品』にむやみに触るものではない。汚れや傷は品質を損なう。たとえそれが、自分のつけたものだとしても」


「『嗜好品』て、摂取するものだよね?使い方間違ってるよ?」

「これらは目から摂取する『嗜好品』だ。美しさと清らかさが全て」


「でも、たまに『楽しんだり』してるよね?匣から出して」

「…………」


「こないだメンタルとバイタルの回診を頼まれたとき、ベージュの髪の子に聞かれたよ?『偏道様、次はいつ匣から出してくれるって言ってた?また触って欲しいの』って」


野薔薇のばらか……あいつは、たまに相手してやらないと拗ねて自棄ヤケを起こすからな。仕方なく、だ」


「ああ。それで彼女、腕とかに引っかき傷つけてるときがあるんだ?でも、仕方なくとかいう割にはまんざらでもないんじゃない?野薔薇ちゃん、帰ってくるとほくほくしてるし、心なしか肌艶も良くなってるよ?」


「匣から出した後は入念に洗浄している。それで、だ」


「それだけ?」

「……何が言いたい?」


 僕は、相変わらずの逸脱趣味な兄さんに説得を試みる。


「『嗜好品』には、『触れてこそ』だよ」

「……相容れないな。理解できん」


(僕はあんたが理解できないよ……)


 あーあ、もう。ため息でそう。てゆーか、出た。


「いいじゃない?好きなんだから愛でたって。素直に認めなよ?ていうか、世間一般ではそういうことするのが当たり前なんだけど?」

「凡俗と俺を同一に捉えるな」

「はっ、凡俗って。何様だよ?兄さん、あんたは一体『触れることの何がこわい』んだ?」

「…………」


「ただの潔癖じゃないよねぇ?だって、ヤるときはヤるわけだし?ひょっとして、『壊れるのがこわい』……とか?」

「そんなこと、今はどうでもいい」


「 ど う で も い い わ け な い だ ろ う !?!?」


「――っ!?」


 僕はたまらず声を上げた。


「『愛』っていうのはさぁ?触れて、共有して、理解しあって、満たされて。お互いの心の穴を埋めていく――そういうところが素晴らしいんじゃないの?野薔薇ちゃんだって言ってたよ?『偏道様はとっても優しく触れてくれる。その手があたたかくて好きなの』って」

「…………」


 兄さんはしばし黙っていたかと思うと、目を逸らしてぼそりと呟く。


「野薔薇の台詞を真似るな。お前に言われると反吐が出る」

「…………」


 そういう話をしてるんじゃねーよ。


 こういうとこ、ほんと兄さんってバカだよなぁ?


「ああそうですか!?ならもういいよ!とっととその鍵を寄越せ!!」


 僕は、掴みかかった。そして、秒で負けた。


 兄さんは僕を地面にうつ伏せに組伏し、背中側でぎりぎりと腕を締め上げる。


「痛い!痛い!肩が外れる!肺が潰れる!!」

「……バカかお前は。」

「はいバカでした!理系のくせに体育会系に挑んだ僕がバカでした!申し訳ございませんでした!」

「……俺は文系だ」


 兄さんはため息を吐くと僕を解放する。


「これに懲りたら、もうバカな真似はやめろ」

「…………」

「まだ何か?」


 去ろうとする兄さんは睨めつける視線に気が付いて振り返る。

 僕は、プライドを捨てた。

 床に頭を擦りつけて全身全霊を込め、渾身の土下座を披露する。


「お願いします。せめて、せめて咲夜ちゃんに食事を与える権限を僕に譲ってください」

「…………」


「なんでもします。望むものはすべて差し上げます、咲夜ちゃん以外。ですから、どうか――」

「鬱陶しい!見苦しいぞ!頭を上げろ!」


 バキッ!


 兄さんは上げたばかりの僕の頭を思いっきり蹴り飛ばした。


(こいつ……!いつか殺す……!)


 そして、あらん限りの声で僕を罵倒する。


「お前のような者から欲するモノなど何もない!」

「…………」


「だが典道。お前の看護の腕は確かだ。おかげで『嗜好品』の傷の治りは早く、健康状態も良好。その上彼女達もお前には懐いているようだからな、食事の世話は任せる」

「…………!」


 兄さんは吐き捨てるように言うと、ポケットから鍵を取り出し、投げて寄越した。


「このフロアに入る鍵のスペアだ。ただし、必要以上に触れた場合は即没収する」

「あ、ありがとうございます!!」

「いい加減ソレをやめろ!」


 バキッ!


 僕は床に頭を付けたまま兄さんが去っていくのを見送った。


「ふふ。兄さん、案外チョロいなぁ……?」


 僕はその場から起き上がると、食事を用意するため、フロアに備え付けの小さなキッチンに向かう。


「待っててね、咲夜ちゃん……」



 もうすぐ、キミを『幸せにしてみせる』から――

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