第56話 月下の典ちゃん


 街の明かりの下、深夜でひと気の少なくなった通りを駅までダッシュする。


「で?典ちゃんの家は!?」

「電車で一本。快速の終電が一番早い!『駅まで迎えに行くよ』って!」

「迎えに来んな!俺がいる!」

「じゃあタクシーで勝手に行こう!住所は貰ってるから!」

「りょーかい!」


 俺達は終電に駆け込んで目的の駅に着き、予め呼んでいたタクシーに乗り込む。


「佐々木邸まで!」

「ああ、丘の上の豪邸ですね?こんな時間に、お客人ですか?」

「ええまぁ、そんなとこです!帰りも乗りたいので、門の近くで待ってていただけますか?」

「あと、急いでるので、できればトバしてください!」

「かしこまりました。シートベルトはしっかりお締めください?」


 運転手さんの眼光が鋭くなると、車が一気に加速する。


(ちょ!ジグザグな山道をドリフト走行……!確かに急げとは言ったけど……!)


 ここまで求めてない。隣を見ると、咲夜は案の定酔っていた。


「う……着いたら起こして……」

「もう着くぞ?」

「早っ……」


 見るからに金持ちな豪邸に辿り着き、インターホンを鳴らそうとすると、咲夜が俺の手を止めた。


「待って。『夜遅いから、着いたら鳴らさずに連絡して』だって……」

「うーわ。怪しすぎ。それに、よく考えたら俺は隠れてた方がいいよな?」

「でも、データの受け渡しは中でするだろうし……どうしよう?」


 そうこうしていると、重厚な門が蝶番を軋ませてゆっくりと開いた。

 その開いた隙間から、白い手が見える。男の手だ。


「――咲夜ちゃん?もう来たの?思ったより早かったね?」

「あ。典ちゃん……」

「ふふ、迎えに行くって言ったのに。車は苦手だった?僕の運転は信用できないかな?昔はあんなに車椅子を押してあげたよね?」


 月明りに照らされる、すらりとした痩身に小綺麗な服装。やや長めに切り揃えられた黒髪に、にこりと細められた目は一見すると爽やかイケメンだが、優しそうな声音の裏に潜む『悪意』を俺は知っている。


「こうして『外』で会うのは初めてかな?病院着じゃない咲夜ちゃんてなんだか新鮮。紺のワンピース、とても似合ってるね?スタイルの良さが引き立つよ」

「えっと……夜遅くにごめんなさい。咲月の居場所を……」

「うん。立ち話もなんだし、中に入ろうか?紅茶でも淹れるよ?」

「ごめん、典ちゃん!急いでるの!こうしている間にも咲月が……!」

「データを、取りに来たんだよね?今さっき咲夜ちゃんのスマホに送信しておいたから、後はそこの彼に任せたらどうかな?咲夜ちゃんが行っても、足手まといでしょう?」


 そう言って、典ちゃんは俺を見流す。

 隠れるタイミングを逸したのは不幸中の幸いか?それとも――

 スマホを確認した咲夜は俺に向かって頷いた。


(データは手に入ったか。けど……)


 典ちゃんは咲夜を逃がす気配が無い。


(ダッシュすればタクシーまで逃げ切れるか?けど、咲夜は運動音痴だし、あの距離だと典ちゃんにすぐ捕らえられる。できれば穏便に済ませたい……)


 咲夜と視線を合わせてタイミングをはかっていると、不意に典ちゃんが口を開く。


「ひとりでおいでって言ったのに?ボディガード君を連れてくるなんて、お兄さんちょっと心外。せっかく咲夜ちゃんの為に昔からあれこれ手を回してきたっていうのに、悲しいな?」

「それは……」

「都合が良すぎるとは思わなかったの?咲夜ちゃん?」

「…………」


 心当たりがあるのか、咲夜は押し黙ってしまう。


「さ、おいで?ドローンで撮影した女性の身元が判明した。現住所も。中に入ってゆっくり話そうか?」


「「…………!」」


(ここに来て新しい『餌』を出してきやがった!けど……!)


 俺は声を上げた。


「惑わされるな、咲夜。データはもらったんだ。咲月のところへ行こう。女性の身元は、地道に足使って掴めばいい」

「哲也君……」


 その声に、典ちゃんが反応する。


「哲也君?哲也君て、……?昔、咲夜ちゃんと仲良しだった彼?」

「だったら、何なんだ……」

「ふふ!まさか『生き開き』の彼が?あの時はよくも……医療ミスで病院中炎上して大惨事だったんだから!懐かしいなぁ!心臓の傷はもう大丈夫?それとも、大丈夫じゃないのは心の傷かな――」


(――っ!)


「哲也君をいじめるのはやめて!!!!」


 典ちゃんのいやらしい声を遮ったのは咲夜だった。

 深夜の闇を引き裂くような声を張り上げると、咲夜は俺を振り返り、スマホを投げて寄越す。そして一言――


「行って――」


「――は?」


「わたしの事はいい。早く咲月のところに行ってあげて」

「そんなこと、できるわけ……!」

「お願い……大丈夫。咲月の為なら、我慢できる」

「我慢って、お前……!この手の奴は一度許したら最後、画像を撮られて一生脅されるハメになるんだぞ!?」

「危ないのは咲月の方!だって、典ちゃんはわたしを殺さない……」

「でも……!」


「優先順位がわからないの!?わたしは!自分よりも咲月が大事だ!哲也君ならわかってくれるでしょ!?」


「――っ!」

「早く!」


 懇願するような眼差し。その瞳と目が合った瞬間、俺の脳裏に『あの言葉』が浮かんでくる。


 ――『にーには、さくやとさつき、どっちが好きなの?』


(――っ!優先順位!?ふざけんな!そんなの……!)


「選べるわけないだろうが!!」


 俺は咄嗟に駆け出した。典ちゃんに向かって体当たりを食らわせると咲夜の手を取って走り出す。


「ちょ……!哲也君!?」

「この……!」


 咲夜の腕を掴もうと伸びてきた白い手に『アレ』を食らわせる。


 バチバチッ――!


「――っ!?」


「咲夜!走れ!死ぬ気でな!」

「うん……!」

「タクシー!開けてくれ!」


 勢いよく開いたドアから転がり込むようにして乗り込むと、察した運転手がアクセルを踏んだ。深夜タクシーのおっちゃんは、やっぱ神だ。


「すぐにこのマップの場所までお願いします!あと、このことは内密に!」

「はい。都内の繁華街ですね?トバしますよ?気を付けて」


 俺はへたり込む咲夜を座らせてシートベルトを締めると、呟いた。


「これでわかったろ?典ちゃんとは、縁切れ」

「うん……」

「あと、やっぱ持ってきて正解だったな――」


 ――スタンガンあいぼう

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