第40.5話 幼女のお風呂と『秘密の賭け』


 白く甘い香りのするミルクバス。その浴槽の中で、わたしはぷかぷかとあひるさんを遊ばせていた。白い水面を鮮やかな黄色がぷかぷかと揺蕩う様は、大きくなった今でもなんだか心が踊る。でも……


「はぁ、今日は『わたしの日』だったのになぁ……」


 思わずため息が出てしまう。


「……さくや?」


 そのちょっと残念そうな顔を、きょとんとした蒼い瞳が心配そうに覗き込む。


「ああ、ごめんね。ちょっと考え事をしてて。ほら、こっちおいで。身体の様子を見せてごらん?もうばっちぃところは無いかな?」

「ふふ!くしゅぐったい!」


 拾われ幼女――もといミーナの抗議のお手てを無視して抱き寄せ、身体の怪我や痣の具合を確かめる。


(足首と手首以外に目立った外傷は無い……虐待されていたというのならもう少しお腹とかに怪我でもありそうなものだけど、やっぱりあの『タグ』……それなりに丁重に扱われてたのかな?足枷を解体して外したときの怪我もないみたいだし、よかった……)


「よし、検診はもう終わり。汚れも綺麗に落ちてるし、大丈夫そうだね?」

「ミーナ大丈夫?」

「うん。大丈夫だよ」

「さくやは……?」

「えっ……?」

「げんきない?」


(こんな幼女に心配されるなんて、顔に出ちゃってたかな?)


 わたしは『大丈夫だよ』と呟き、ミーナを胸元に埋もれさせる。

 そうは言っても、なんとなくしょんぼりしてしまうのは仕方がなかった。だって今日は、哲也君と一緒に寝れる予定の日だったから。


 哲也君がウチに本格的に引っ越してきて、わたしと咲月は『ある協定』を結んだ。勿論、哲也君には内緒で。


 ――『哲也君と幸せになる協定その1』……哲也君に迷惑をかけ過ぎないこと。


 シングルベッドで三人で寝ていた結果、狭さのせいか腰を痛めた哲也君。そんな彼のために新しく大きめのベッドを購入したのはいいんだけど、やっぱり哲也君はわたし達と寝るとき、まだどこか落ち着かないみたいだった。

 だからわたし達は相談して、一緒に寝る権利がある日を決めた。

 咲月とわたし、週三日ずつ。一日は休肝日ならぬ安眠日としてわたしは咲月の部屋で寝て、哲也君はひとりでぐっすり眠れる仕組みだ。

 わたしと咲月はお互いに各々のペースで哲也君と距離を縮めることができるし、そういう意味でも、これはフェアな協定だと思う。


 そんな中、わたしと咲月は『ある賭け』をすることにした。


 ――『哲也君と幸せになる協定その2』……先に妊娠した方が正式な結婚相手になること。


 これは勿論、哲也君の同意を得たうえでというのが大前提。

 けど、哲也君は何の考えなしに女の子を妊娠させるような輩じゃないし、そこには必ず愛がある。だから、妊娠するってことは正式に家族になってもいいってことだと思ってる。

 どちらかが結婚したとしても、暮らすのは今と変わらず三人で、っていうのは言うまでもないけど、わたし達はともかく哲也君は将来的に正式な伴侶が必要になる。それはライフステージとか、社会人としての対外的な役割を持つという意味で。

 けど、日本では一夫多妻は認められないから、選ばれるのはひとりだけ。それでもわたしと咲月は幸せになりたいし、お互い幸せになって欲しいと思ってる。

 これは、その為の『賭け』だ。


 あくまで書類上の問題とはいえ、やっぱり書類の上でもわたしは哲也君と繋がっていたいし、それは咲月もそうだと思う。だから、どっちが勝っても恨みっこなしの、『幸せな賭け』。

 こうして『賭け』という形で堂々と表に出してしまえば、咲月はわたしに遠慮して身を引くなんて馬鹿な真似はしないだろうし、もし負けたとしてもわたしは咲月の赤ちゃんをひたすらに可愛がることができる。

 そんなこんなで、この『賭け』はわたし達双子にとってもいい結果をもたらしてくれるんじゃないか……と思ってるんだけど、哲也君が聞いたら何て思うかな?ちょっとこわくて今は聞ける気がしない。


(……いつか聞けるかなぁ?哲也君の気持ち……。ほんとは、どっちがいいんだろう……?)


「はぁ……」


 思わずため息が零れてしまった。知らないところに連れてこられて不安な幼女の前でこんなことするもんじゃない――と思って見てみると、ミーナはわたしのおっぱいをぷにぷにして遊んでいる。不安の『ふ』の字もない。拍子抜けだ。


(けっこーマイペースな子だなぁ……?ひょっとして、ママを思い出すとか?さっきからずっと触ってる……)


「…………」


 不思議に思いながら眺めていると、次の瞬間、幼女はおっぱいに噛みついた。


「――っ!?」

「はむ……」

「ちょっ!はむはむはダメだって!」

「むぐ……?」

「あッ、こら、くしゅぐったい!ちゅーちゅーしても出ないからぁ!」

「ん~?」

「あはは!やめて!やめてってば!お口を離しなさい!」


 ――ガラッ……!


「お姉ちゃんうるさい!哲也君起きちゃうでしょ!」

「だってミーナがぁ!」


 呆れ顔の咲月に訴える。けど、咲月はわたしよりミーナの心配だ。そりゃそうか。けど、どこか理不尽な気がするのはわたしだけ?


「もー、洗い終わったなら身体拭くよ?ほら、ミーナちゃんこっちおいで?」

「あい」


 そう言って、咲月はミーナの両脇を持って抱え上げた。ミーナも大人しく従う。


(……なんで咲月の言うことは素直に聞くの??)


 わたしは今日何度目かわからない理不尽さに疑問を覚えながら、身体を拭いて、あひるちゃんを片付けた。

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