第40話 元監禁犯のお仕事


 見覚えのあるようで無いソレは、咲月の手からぶら下がり、ジャラジャラと重たい音を立てる。その足枷は、俺の知るものとはまったくの別モノだった。

 だって、それは小さな女の子の足に付けるにはあまりに冷たく、緩衝材クッションなどの思いやりも感じられない、ただの拘束具だったのだから。


「おい……」


 みるみる顔面が蒼白になる俺に、咲月は静かに告げる。


「哲也君、落ち着いて聞いて。この子の事だけど、警察には相談できない」

「――は?」


 咲月の発言に言葉を失う俺だったが、ミーナちゃんの様子が急におかしくなったのを見て、その意味をなんとなく理解する。


「ミーナちゃん、急に震えて――おい、まさか……!」


 俺の問いに、咲月はミーナちゃんの背をさすりながら暗い表情で首肯した。


「ミーナちゃんは、『けーさつのおじさん』の所から逃げてきたのよ」

「――っ!」


 咲月が言った『その言葉』に、びくりと震える小さな背中。咲月は気遣うように言葉を濁す。


「昨夜のうちに、それだけはなんとか聞き出したんだけど、結局『彼』が誘拐犯なのか、虐待している実の父親なのかはわかってない」

「じゃあ、一体どうしろって言うんだよ……」

「――わからない。今お姉ちゃんが『拾った場所から小さな子が歩ける徒歩圏内に住んでる警察官の名前と所属』を漁ってるんだけど、進捗は思わしくないわね」


(え……?咲夜ってそんなことできんのか?てゆーか、それって……)


「咲夜の奴、ハッキングできんのか?」

「…………調査よ、調査」


 あからさまに視線を逸らす咲月。


「おいそれ、やっちゃダメなや――」

 ――ちゅうッ

「むぐ……」

「……哲也君、うるさい」


 襟ぐりを掴まれてお口を塞がれ、無理矢理黙らされた。


「…………」

(どおりでストーカーじゃないくせに俺のこと色々知ってたわけだよ……)


「――で?思わしくないってことは、この後どうするつもりなんだ?」

「うーん、お姉ちゃんともそれは話したんだけど、ゆっくりでいいから、元居た場所のこととか母親のこととかを話してもらうしかないんじゃないかって……」

「そんな悠長な……児童相談所はダメなのか?」


 俺の問いに、首を横に振る咲月。


「考えてみて?私達が児童相談所に駆け込んだとして、そこの職員さんが次に頼るのは――」

「――警察か……」


 状況は、思った以上に深刻だった。だが、咲夜と咲月の頭脳がそう結論付けたなら、俺にできることはふたりを信じて協力することくらいだろう。

 幼女を家で匿うと言えば聞こえはいいが、要は世間に露呈しないように隠すということだ。決して表沙汰にできるような褒められたものではないし、危ない橋であることに変わりはない。だが、元・監禁犯であるふたりにならば、それが可能だった。


「あまり良いこととは言えないけれど、今回は事情が事情よ。万一私達に何かあったとしても、情状酌量の余地はあるはず」


(確かに、それも一理あるか……)


「――わかった。じゃあ、ひとまずはミーナちゃんの心の傷が癒えるまでこの家で保護するってことだな?それならそうと、起こして教えてくれればいいのに」

「だって、昨日は私もミーナちゃんも疲れていたし、事情と名前を聞いて、怪我の手当てとかごはんとか、お風呂に入れるので精一杯だったのよ……まぁ、動くのは早い方がいいと思ったから、お姉ちゃんは起こさせてもらったけど」

「それで、どうしてこの子が俺の上に?」

「だって、哲也君の傍ってなんだか安心するから。試しに乗せてみたら、ミーナちゃんもすっかり気に入っちゃって」

「…………」


 そう言われてミーナちゃんに視線を向けると、大きな蒼い瞳と目が合った。さっきまで泣きそうだった顔に、今はわずかに笑みを浮かべている。


(俺は、マイナスイオンもびっくりな特殊能力者だったのか……)

 驚きつつも、視線を合わせて挨拶をしてみる。


「こんにちは、ミーナちゃん。もう大丈夫だぞ?これからよろしくな?」


 興味深そうに俺を見つめる蒼い瞳。それはよく見ると灰色と蒼が混ざり合った宝石のような、綺麗な色を湛えていた。

 しかし、見惚れていたのも束の間、幼女はとんでもないことを口にする。


「おじさん、だれ……?」

「「――っ!?」」

「ちょ――」

「……ぷっ……くくく……!」


 その発言に腹を抑えて笑い出す咲月。俺はたまらず声を上げた。


「お、俺はおじさんじゃない!お兄さん!頼むからそれだけはやめてくれ!」

「おにい……?」

「そうそう!『お・に・い・さ・ん!』お兄ちゃんでもお兄様でもにーにでも、何でも構わない!この際『哲也』と呼び捨てしてくれてもいいから!だから、おじさんだけはやめてくれ!」


 息を切らして懇願すると、ミーナちゃんは小さな手を俺の頬にぺちぺちと当てて花のつぼみのように愛らしいお口を開く。


「にーに……?」

「――!そう!それだよ!にーに!」


 『よくできました』というように頭を撫でると、ミーナちゃんは目を細めて嬉しそうにほほ笑んだ。


「ふふ……にーに。ミーナのお名前と、似てる?」

「ああ、発音がちょっとだけな?ほら、もう一回呼んでみ?」

「にーに!」


 そう言うと、咲月の腕から俺に向かって抱き着くミーナちゃん。俺が落っこちないように大事に抱えると、きゃっきゃと嬉しそうに足をばたつかせる。

 どうやら遊んでもらっていると思っているようだ。


「わっ、随分人懐っこいんだな?その……監禁されてたにしては人を怖がらないというか……」

「そうなのよ。私もそれは少し気になってて。『彼』の存在に怯える割には人との接触はキライじゃないみたいなの。むしろ人懐っこくて驚いてる。ひょっとすると、『彼』はあまり接触しないタイプの監禁犯だったのかも?」

「なんだよ、その接触しない『タイプ』ってのは……」


 まるで監禁犯に属性があるかのような言い草。俺がジト目を向けると、咲月はあっさりと言い放つ。


「私とお姉ちゃんみたいに、監禁対象を愛してやまないのが『接触するタイプ』。目的が性的接触にしろそうでないにしろ、よくいる監禁犯はこっちだと思う。けど一方で、対象を監禁すること自体に意味を見出すのが、『接触しないタイプ』よ」

「監禁自体に意味を見出す……?」

「言い方はアレだけど、つまりは、『コレクター』か『仲買人ブローカー』ね。もしくは『ネグレクト』……」

「――っ!」


 俺は咄嗟にミーナちゃんの耳を塞ぐ。幸い、ミーナちゃんはその意味が理解できなかったらしく、耳を塞ぐ遊びか何かと勘違いをしているようだ。

 俺は、塞いだ手を離さないように注意しながら小声で聞き返す。


「それで、この子が人懐っこいってことは……」

「ええ。まだ推測の域を出ないけど、それについては今お姉ちゃんが――」


 言いかけていると、咲夜の大きな声がリビングに響き渡った。


「はー!疲れたー!もうムリ~!咲月、甘いもの~!」

「あ、お姉ちゃん。お疲れ様。何かわかった?」


 その問いに、困った顔して首を横に振る咲夜。俺の存在に気がつくと、フローリングの床でつつい……と足を滑らせながら寄ってきた。

 そして、満面の笑みで俺を見上げる。


「おはよう哲也君!今日は起こしに行けなくてごめんね?目覚めの『挨拶』はまた夜にでも――」


 そう言ってナチュラルに腰に回される手をパシッと叩き落す。


「おはよう。朝っぱらから子どもの前で何言ってんだ、お前は……」

「ふふ、そうしてると若いパパみたいだね?なんか萌えるなぁ」

「あー、はいはい。どうせ俺は老け顔ですよ」

「ちょ!そんなこと言ってないって!なんで拗ねてんの!?むしろ哲也君は童顔の部類だよね!?」

「ふふ、哲也君ってばさっきミーナちゃんに『おじさん』て呼ばれたのを気にしてるのよ……ぷっ……」

「いつまで笑ってんだ咲月!」

「ああ、そゆことね。もー、ダメじゃんミーナ。哲也君を悲しませちゃあ……」


 咲夜はそう言ってミーナちゃんのほっぺをぷにぷにと突く。


「やー!さくや、ぷにぷに、やー!」

「えー?そんなこと言って昨日お風呂でわたしのおっぱい散々ぷにぷにしたくせに。不公平だよ。――ね?」

「…………」


(いや、俺に『――ね?』とか言われても……)


 お風呂担当がまさかの咲夜だったことに驚きつつも、思わずその光景が脳裏をよぎって視線が胸部に移動する。ワンピースの胸元から覗くその谷間はエベレストのクレバスを彷彿とさせ、どこまでも埋もれられそうな深さだ。まさに、思わず飛び込みたくなる至高の宝。そして、今日も変わらずなめらかで肌艶がいい。


「ほら、悪い子にはおしおきだ!もーっとぷにぷにしてやる!」

「きゃー!」


 そんな俺の視線も気にせず、楽しそうに騒ぎ始める咲夜とミーナちゃん。こうしてみると、同レベルで会話している咲夜は『対幼女』のコミュ力においては咲月以上のポテンシャルを秘めているように思う。

 咲月はその様子を見て短くため息を吐くと、鞄を手にして玄関へ足を向けた。


「じゃあ、私は少し現場を歩ってみるわね」

「え――危なくないかそれ?なんなら俺も行くぞ?」


 引き留める俺に、咲月は目を細めて笑う。


「ふふ、相変わらず優しいのね?そういうとこ、大好き。でも――心配ならご無用よ?」

「あ――」


 にやりと口元を歪ませたその手には、もはや見慣れたスタンガンが。


「家の守りは任せたわよ、元・被監禁者さん?」

「わかった。家の事なら任せておけ。俺はその道の――プロだ」


 そう言って深く頷くと、咲月は安心して出かけて行った。

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