第36話 夏と浴衣と監禁犯


 土曜日。いつものように咲夜にお決まりの『挨拶』で起こされた俺は、いつもとは違う光景に出くわしていた。


「ふたりとも、何してんだ……?」


 のっそりと起き上がってリビングに顔を出すと、そこでは私服姿のふたりが揃って天気予報に耳を傾けていた。

 咲夜はいつもの白ではなく、今日は紺色のすらっとしたワンピースに身を包み、つば広の帽子をかぶっている。帽子にアクセントを添えるように、昨日プレゼントした花の飾りがちょこんと装着されているところを見ると、どうやら気にいってもらえたようだと思わず顔がほころぶ。

 一方で咲月は、緩めのブラウスに涼しげなガウチョパンツという夏らしいスタイル。ソファの隅に置かれた籠バッグには、咲夜同様に花の飾りをつけてくれていた。

 俺はその、いかにも『お出かけモード』なふたりに声を掛ける。


「朝食に呼ばれないと思ったら、ふたりして朝早くからどこか出かけるのか?」

「「あ、哲也君。おはよう」」

「おはよう」

「私達、ちょっと都内の百貨店に買い物に行ってくるから。朝食ならテーブルの上に用意してあるし、昼食は冷蔵庫に。好きなときに食べてね?」

「デパート?それ、俺も――」

「哲也君はダメよ」

「――なんで?」


 俺はもう鎖に繋がれていない足首に目を向けて、再び咲月に視線を戻す。俺の問いに答えたのは、もじもじと膝を合わせる咲夜だった。


「その、哲也君とおでかけするとドキドキして買い物どころじゃないからさ……試着とか……」

「――は?」

「そうそう。今回の買い物は失敗するわけにはいかないの。お姉ちゃんと一緒に完璧な浴衣を買いに行くんだから!」

「浴衣……!」


 そんなことを言われて、俄然行きたくならないわけがない。

 俺は食い気味に懇願する。


「俺も行きたい!行かせてください!」

「ダメよ」

「なんで!」

「……それはさっき言ったでしょ?とにかく、浴衣は今夜のお楽しみにとっておいて?」

「そんなぁ……」


 がっくりと肩を落とす俺を見てくすくすと笑う咲月。

 結局俺は、自由になった翌日だというのに家でいつものように留守番をすることになった。自由になったと同時にスマホを解禁された俺は、この夏各地で行われるイベントをまとめたサイトやふたりと行きたいビュッフェや温泉など、様々なレジャー情報に目を通す。

 楽しい時間というのはあっという間で、気がつけば玄関から鍵の開く音がしてふたりが荷物を抱えて帰ってきたのだった。


「は~、もう夕方じゃない!急いで着付けしないと……!」

「ふふ、たくさん試着して迷っちゃったからね~」

「でも、おかげで良いものが買えたわ。流石お姉ちゃん。相変わらずセンスいい」

「別に、わたしは咲月に一番似合うのを選んだだけだよ?センスがいいと思うのは、咲月が可愛いからだよ?」

「もう、何よそれ~」


 わちゃわちゃと、楽しそうにサンダルを脱ぐふたりの会話がひと段落したところで、俺は声をかける。


「――おかえり。楽しかったか?その様子だと、気に入ったのが買えたみたいだな?」

「ただいま、哲也君。今日は仲間はずれにしてごめんね?大丈夫?怒ってる?拗ねてない?」

「そんなことで怒らないし、拗ねないって。俺のことなんだと思ってるんだよ……」

「ふふ、それもそうね。だって、哲也君は『ステータスが優しさに極振り』なんだもの。でも、おかげさまでいいのが買えたわ。はい、これ――」

「……?」


 上機嫌な咲月が買い物袋から取り出したのは、落ち着いた色合いの男性物の浴衣だった。


「えっ……」

「私達だけなんて、不公平よ」

「哲也君の浴衣姿見た~い!」


 ふたりの期待の眼差しに、俺は全力で掌を振る。


「ムリムリムリ!絶対似合わないって!」

「ほら。言うと思った」

「一緒に行ったら絶対逃げると思って、今日はお留守番してもらったんだよ?」

「観念してね?もう買ってきちゃったんだから」

「くっ……」


 流石は元・監禁犯だ。獲物の逃げ道を塞ぐすべは知り尽くしているというわけか。


「卑怯だぞ……!」

「へー。じゃあ、花火大会もお留守番する?」

「~~~~っ!着る!着ればいいんだろ!」


 俺は観念して浴衣に袖を通した。何故かサイズぴったりなその浴衣は、さらさらとして着心地が良く、思ったより悪くな――いや、想像以上に素敵な代物だった。


(自分で選ぶより、ふたりが選んだほうが遥かに優れている……!)


 俺はふたりの審美眼に驚きながらも、付属の巾着袋を手にリビングへ戻る。


「着替え終わったぞ~?」


 すると、咲月の部屋からばたばたという音と共に楽しそうな声が聞こえてきた。


「見たい!見たい!」

「お姉ちゃん動かないで!帯が!」

「離せ咲月!女には、行かねばならぬときが――」

 ――バシンッ

「私だって見たいんだから!いいからおとなしくして!」

「いたぁ!」

 ――ぎゅうぅ……!

「はうあぁッ!帯、おび!帯に下乳挟まってる!」

「えっ、ごめん。やっぱ補正しないとダメかしら?お姉ちゃんデカすぎ……」

「そんな文句言われても~」

「でも、これじゃあ帯に乗っかって目立っちゃうし……ちょっと直すから、さっきみたいに暴れないでよ?」

「はぁ~い……ごめんなさい……」

「わかればよろしい」

(…………)


「なんか、ずいぶん楽しそうだな……」


 俺は浴衣が崩れないように気をつけてソファに腰かけてふたりの着替えが終わるのを待つ。すると、しばらくして咲月の部屋の扉が開いた。すりすりと廊下を摺り足で歩く音が聞こえる。


「おまたせ~」

「――っ!」

「やっぱ、慣れないと苦戦するわね……」

「――っ!」


 その姿を見た瞬間。俺の思考は停止した。



 ――やばい。超可愛い。



 もう、それ以外何も言えなかった。思考が破壊されたせいか何なのか、俺の頭にはそれ以上の語彙が浮かばない。


(やばい……!可愛い!いやそんなんじゃ済まされない!だが、人の世の言葉ではそれが表現しきれない!)



 ――とにかく、可愛い。ただ、ひたすらに。



 普段は降ろしている銀髪を小綺麗に纏め上げた咲夜は、その銀髪に合うような、黒地にうっすらとした紫と白の花柄の浴衣を身に纏い、月下美人をそのまま人間にしたような雰囲気を醸し出している。

 咲月の方はというと、艶やかな黒髪がより涼しげな印象を与える紺色の浴衣に身を包み、咲夜がおとなしい色合いの花であるのに対し、咲月の柄は花模様の縁取りが黄色で描かれ、その姿はまるで月夜に咲く一凛の花のような佇まいだった。

 そして、この世のものとは思えない美しさを湛えたふたりの髪には約束どおり、俺からの贈り物が。


「…………」

(うつく、しい……)


 可愛い以外の語彙を見つけても口に出せない俺が呆然と見惚れていると、ふたりが揃って覗き込む。


「「哲也君~?」」


 ――ハッ……


「かっこいい!似合う!似合うよ浴衣!」

「えっ――」

「ふふ、馬子にも衣裳ってやつかしら?まぁ、わたし的には哲也君は元から――」

「うわ~咲月デレ期だ。デレ期」

「ちょ……!そんなんじゃないわよ!?」

「テンプレだ~」

「ち、ちがうから!そんなんじゃないから!お姉ちゃん、その目やめてよ!」

「ふふふ、怒った。逃げろ~!」


 咲夜はそう言って、俺の手を引いて廊下へ駆けていく。


「わっ、走ったら危ないぞ!?」


 俺の呼びかけに、咲夜は玄関でストップする。あらかじめ出されていたと思われる下駄にするりと足を入れると、かがんだ拍子に落ちてきた髪を耳に掛けなおす。


 ――その一瞬。咲夜は遠慮がちにこちらを振り返った。


「ねぇ……」


 その顔は少し頬が染まっていて、先程までの無邪気な笑顔とは異なる大人っぽい表情を浮かべている。


(本当に、こういうときのこいつは――)


 いつ来るかわからない咲夜の不意打ちは、いつも俺の心臓を揺さぶってくる。


「どうかな……?浴衣……」

「――綺麗だと思う。とっても……」

「――っ!」


 俺が心臓に鞭を打って素直にそう言うと、咲夜はこれまた先程とは違う、にへら、という笑顔を向けた。俺はその笑顔を見て緩んだままの表情で、咲月の方へ振り返る。


「――咲月も。凄く綺麗だ」

「ちょ――!~~~~っ!は、早く行こう!?花火大会始まっちゃうよ!?」

「よーし、じゃあ気合入れて席取るか!さ、レディファーストだ。女の子は先に出た出た。殿しんがりは俺に任せろ!」

「お~!」


 勇み足で玄関を出て鍵を閉めると、先に出ていたふたりが揃って振り返る。


「「哲也君――褒めてくれて、ありがとう」」


「べ、別に……率直な感想を述べただけだぞ?」

「あ、照れてる~」

「それに、お礼を言うのはこっちの方だって。おかげで望みが叶った。ありがとな」

「ふふ、どういたしまして~」


 俺達はカラコロと下駄を鳴らし、三人揃って『外』へと繰り出した。

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