第23話 監禁の真実


 朝起きると、俺の上に美少女は乗っていなかった。

 リビングから香るコーヒーの匂いに誘われて、俺は身体を起こす。


「おはよう……」

「おはよう。酷い顔よ?洗ってきたら?」

「ああ……」


 言われるがままに洗面台に向かい、顔を洗って歯を磨く。

 すると、口の中に異様な苦みが広がった。


(――あ。洗顔フォームで歯磨いてた……)


朝からそんなものを間違えるなんて、どれだけ放心してるんだ。俺は。

監禁されてまだ数日だというのに、起きたら上に誰も乗ってないというだけで、この体たらく。俺の『贅沢な悩み』もいよいよここまで極まったようだ。


 歯を磨き直してリビングへ戻ると、そこには、バターが塗られたトーストが二枚。


「好きなのをどうぞ?」


 そういって差し出されたのは、色とりどりのジャムのビンだった。

 ぼーっとそれらを眺めていると、向かいの席から声を掛けられる。


「甘いもの、苦手じゃなかったでしょ?」

「いや、好きだけど……」


「お姉ちゃんが心配?」

「…………」


「大丈夫。何かあればすぐに連絡が来るから。午後には退院できるらしいから、迎えに行くわ。哲也君も一緒に――来れないわね。ごめん」


「元気になってくれるなら……帰ってきてくれるなら、それでいい……」


 俺がそう零すと、咲月は短く息を吐く。


「もう……呆れるくらいお人好しなのね?」


「そんな……!心配なのは当たり前だろ!?俺は咲夜と……友達だったんだから……」


「思い出したのね?」

「ああ……」


「全部?」

「全部。俺がショックで記憶を無くした理由も、何もかも……だ」


 俺の返事に、咲月はポツポツと語り出す。


「お姉ちゃんにとって君は、本当に大切な友達だった。お姉ちゃんは昔から心臓に重い病を抱えてて、小さい頃の記憶のほとんどは、病院で過ごしたときのものばかりだと思う」


(やっぱり……ムズカシイ病気だったのか……)


「私はお姉ちゃんのところによくお見舞いに行ってたんだけど、君のことはその度に聞かされてた。『最近おもしろい子と友達になった』『すっごく大事な友達ができた』『昨日は哲也君が助けてくれた』『こないだ発作が起こったとき、また哲也君がずっと傍にいてくれた』って……」


「…………」


「私はね、それまであんまりお姉ちゃんの笑顔を見たことがなかったんだけど、君と出会ってから、お姉ちゃんはよく笑うようになったの。それがすっごく嬉しかった。でもね、一番嬉しかったのは――」


 そういって、咲月は穏やかな表情で俺を見つめ直す。コーヒーの入ったマグカップをさすりながら、これ以上ないくらいに澄んだ声で言葉を紡いだ。


「君が、お姉ちゃんの銀髪を『綺麗だ』って褒めてくれたこと……」


「――え?」


(そんな、こと……?)


 思わず口をついて出かかった言葉を飲み込む。俺にとっては些細なことのように思えたが、咲月は真剣な口調で話を続けた。


「お姉ちゃんの髪は、度重なる治療とストレスで色素が抜け落ちてああなったのよ」


「なっ――」


「ウチはね、私達が幼い頃に両親が離婚しているの。それで、ひとりじゃ面倒見れないからって、私達は父方のお爺様のところに養子に出された。お爺様は、時間もお金も、割と持ってる人だったから……」


「それは、また……」


(小さい子にはショックな思い出だな……)


「それで、離婚調停とかが長引いてしばらく病院にお見舞いに来れない日が続いて、私が次に来たとき、お姉ちゃんの髪はあの銀髪になってたの」


「…………」


「あのときは、びっくりした。お姉ちゃんに『どうしたの?』って聞いても何もわからないし。けど、話を聞く限り、『両親が離婚したのは自分の病気がいつまでたっても治らないからなんじゃないか』って……そう抱え込んでたらしいのよ。そんなこと、全然関係ないのにね……」


 咲月はどこか憎らしげに目を伏せる。


「そんなことが、あったのか……」


(そりゃ、『死にたがり』になるのも無理はない、か……)


「お姉ちゃんはそれ以来、自分をいらない子だと思ってきたみたいなの。私がお見舞いに行ってもどこか寂しそうで、周囲を心配させないように無理に笑顔を作ってて……」


「…………」


「私は、それが少し嫌だった。自分が何もできないみたいに思えたからかな?私は幼くて、幼すぎて……そんなお姉ちゃんにかける言葉が見つけられなかったの。本当は、『大好きだよ』『ずっと傍にいて』って、素直に、それだけ言えればよかったのにね……」


 昔の記憶に顔を顰める咲月。計り知れない後悔を浮かべるその表情に、それこそ、かける言葉が見つからない。

 俺は黙って、咲月の感情が落ち着くのを待った。少しして、咲月は改まった口調で続きを話し出す。


「お姉ちゃんには、生きる理由が必要だった。そんなときに、君に会ったんだ」


「――俺に?」


 そう問いかけると、咲月は短く頷いた。


「哲也君にとっては、ただ目の前にいた女の子を、素直に褒めただけかもしれない。話をして、仲良くなっただけかもしれない。けど、お姉ちゃんにとっては、すべてがひっくり返るくらいに嬉しい出来事だったんだと思う」


「…………」


「君がお姉ちゃんの傍にいて、遊んでくれて、助けてくれて、笑顔を向けてくれた。そのことで、お姉ちゃんは生きることを許された気がしたのかもしれない……」


「そんな、大袈裟な……」


 動揺する俺をよそに、静かにこちらを見据える咲月。


「だからこそ……君がいなくなった時のお姉ちゃんは、目も当てられなかった」


「――っ!」


「ごめんね?別に君を責めているつもりはないの。実際、哲也君には何の非も無い。あれは不幸な事故だったんだもの。ただ、すべてを失ったと思ったお姉ちゃんの前に、君は再びあらわれた」


「それは――」


「この街に来て、君を見つけたお姉ちゃんは、見違えるほどに気力を取り戻した。『君が生きている』。それを実感することで、お姉ちゃんは自分の生を噛み締めているんじゃないのかな?そして、そのことが、どれほど私を救ってくれたことか……」


 突然聞かされる、双子の真実と俺への執着の正体。

 呆然と耳を傾けていた俺に、咲月は右手を差し出した。


「――大丈夫?コーヒーのおかわり、いる?」

「あ、ああ……ありがとう……」


 呆然としたまま、流されるようにコーヒーのおかわりを貰う。


(咲夜が、俺のことをそこまで……)


 正直、そう言われてもすぐには実感がわかない。何せ、『俺がただ生きている』それだけのことに、ここまで意味を見出されるとは思ってもみなかったからだ。

 俺は熱いコーヒーの注がれたカップを受け取ると、咲月に疑問を投げかけた。


「その……思い上がりかもしれないが、つまり……俺の命は、咲夜の命みたいなものだと?」


「さぁ……そこまでは私にもわからない。そこは直接お姉ちゃんに聞いてみないと。でも、監禁してまで一緒にいたいんだから、似たようなものなんじゃないかしら?」


「…………」


 咄嗟に返事が浮かばなかった俺だが、咲月の言った、『監禁してまで一緒にいたい』という気持ちが、今の俺には少しわかる。

 だが、わからないこともあった。


「そんな、自分以外の存在に『生きる理由』を求めるなんて……それは、なんか違うだろ……」


 顔を顰めた俺に、咲月は怪訝そうな顔をした。


「――哲也君?」


「生きていていい理由なんて、誰かが決めるもんじゃない。誰かに許されるものでもない。生きたいと思うから生きる……それじゃ、ダメなのか?」


 ここにはいない、『なにか』に問いかけるように呟くと、咲月は寂しげな笑みを湛えた。


「君は、どこまでも優しいのね?そのきもち、お姉ちゃんにも分けてあげたい」


「そんな、俺はただ当たり前のことを……」


「――そう。当たり前。でも、お姉ちゃんにはそれができなかった。ひょっとするとお姉ちゃんの心は、未だに『あの頃』にいるのかもね?だって、いつまでたっても子どもっぽいんだもの。でも、あんなお姉ちゃんでも、たまーにお姉ちゃんっぽいところ見せたりするから、敵わない……」


 そういって、ふふふ、と口元に手を当てる咲月。


「咲夜のことが、大好きなんだな?」


「当たり前でしょ?そうじゃなきゃ、君を監禁しないわよ?まぁ、途中から利害は一致してたんだけどね……」


「――利害の一致?」


「なーんでもない」


 つん、とそっぽを向くその言葉とは裏腹に、その表情は咲夜への慈愛に満ちている。


(今なら……)


 俺は、意を決して咲月に問いかけた。


「なぁ、咲月。その……俺も咲夜を迎えに行ったらダメか?ここから出してもらうわけには……」


 その言葉に、先程まで穏やかだった咲月の表情が一変する。


「――ダメよ」

「――っ!どうして……!」


(俺のこと、信じてくれない……のか?)


 縋るように見つめる俺に、咲月は言い放った。


「いくら君のお願いでも、それを許すことはできない」

「なんで!俺はただ――」

「わかってる。それでも、よ……」

「――っ!」


 思わずテーブルを拳で叩く俺に、咲月は淡々と語る。


「君の気持ちはわかってる。君がお姉ちゃんを大事に思ってくれていることも。でも、私は今度こそお姉ちゃんの期待に、想いに応えたい。もう昔みたいな後悔は、したくないの……」


「それとこれとは関係がッ――!……咲月。それは、間違ってると思うぞ……」


「何とでも言って?これは、哲也君には関係のないことだから」


「関係ないわけ――!」


 俺の言葉を最後まで聞かず、咲月は席を立った。


「お姉ちゃんを、迎えに行ってくる。私も、早くお姉ちゃんの元気な顔が見たいから」

「おい!咲月!」

「…………」


 咲月は空になったマグカップを片付けると、自室に籠って鍵を閉めた。


「…………」


 リビングに残されたのは、微かに漂うコーヒーの残り香と、為す術のない俺がひとり。

 俺は、決意した。


 ――なんとかして、【愛の檻ここ】から出なければ……

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