第22話 忘却のワケ


 ――バンッ!と乱雑にドアが開き、転がり込むようにして咲月が帰ってきた。


「お姉ちゃん!?」


 ソファーでぐったりとしている咲夜の傍で、徐々に冷たくなるその手を握っていた俺は、場所をかわるようにして咲月と入れ替わる。


「咲月……おれ、どうしたら……」

「何があったの!?」

「何も……ただ、クッキーを作って、寝て起きたら、こんなことに……」

「クッキー!?」

「咲夜が、お前に作りたいって……」

「――っ!」


 テーブルの上の別皿に取り分けられたクッキーを見て、咲月の目が潤む。

 咲月は瞬時に咲夜の左胸に耳を当てて心音を確認した。


「――よかった。動いてる……いや、動きすぎ……?」

「多分、心臓の病気の――俺と同じなら、少し横になれば落ち着いたり、意識を取り戻すんだけど……声を掛けても、目を覚まさなくて……」

「ああ、『いつもの』か……!半年ぶりね……今回はちょっとひどいな……」


 俺の報告に一瞬安堵した咲月だったが、すぐにぎょっとした表情で振り返る。


「――っ!?哲也君!?『俺の病気』って……思い、出したの……!?」

「ああ……」

(本当に、なんでこんなときに思い出すんだろうな……)


 そう思い、肩を落としていた俺だったが、すぐに咲月にスマホを渡す。


「そんなことより!今は救急車だ!」

「う、うん……!」


      ◇


 少ししてやってきた救急車に乗り込み、咲夜と咲月は去って行った。俺はその間咲夜の部屋に引きこもり、存在を消した。

 玄関の閉まる音がして、救急車のサイレンが遠退いていく……

 

 リビングに再び顔を出すと、静まり返った部屋に、僅かに香ばしい香りが漂っていた。


(――あ。追加でクッキーを、焼いたんだっけ……)


 オーブンの蓋を開け、すでに冷めきったクッキーに手を伸ばす。


 ――ぽり……


(味が、あんまりしない……砂糖入れ忘れたか……?)


 一瞬そんなことを考えたが、生地は全て咲夜と一緒に作っていた。俺はただ、焼くのを分けただけだ。


(咲夜と食べたときと、こんなに違うなんてな……)


 俺はさっきまで咲夜が横たわっていたソファーに腰を下ろしてソファーを撫でる。


「ちゃんと、帰ってくるよな……?」

(帰ってこなかったら、俺は……どうすれば……)


「――っ!」


 そこまで考えて、俺は気が付いた。


(まさか咲夜は……こんな気持ちだったのか……?俺と別れてから、ずっと……?)



 ――幼い頃、俺は咲夜にちゃんとお別れを言えなかった。


      ◇


『じゃあ、いってくるね。天ちゃん……』

『そんな不安そうな顔しないで?手術なんて、寝てれば終わっちゃうんだから。わたし知ってるもん。常連だもん』

『でも……』

『もう、いつもわたしを励ましてくれる哲也君はどこにいったの?『大丈夫だよ』って、言ってくれるのはキミの方だったでしょ?だから、哲也君も大丈夫だよ』

『そっか。そうだよね……』

『帰ってきたら、また一緒に遊ぼうね?約束だよ?』

『うん。約束……』


 俺はその日、ようやく訪れた手術の為に、両親に手を引かれて手術室へ向かった。

 天ちゃんは、よくお見舞いに来る、天ちゃんとそっくりな黒髪の女の子と一緒に、俺の背中が見えなくなるまで見送ってくれた。


 手術は細かい作業を要するが、やること自体はシンプル――

 そう言われていたにも関わらず、俺の手術は難航し、手術中に麻酔が切れかかるというアクシデントに見舞われた俺は、生きながらにして開きにされるというおぞましい経験をした。

 そのせいか、手術が終わって目を覚ましたとき、俺は心臓の病気やそれらに関する記憶をまるっと忘れてしまったのだ。


 俺がこどもだったから、脳がショックに耐える為にそうしたのかはわからない。

 ただ、俺が次に目を覚ましたのは、見知らぬ病院だった。

 手術中に違う病院に移されたのか、怒った俺の親が違う病院に移したのか、はたまたその両方か。

 俺は何故自分が入院していたのかもわからないまま、退院を迎える。


 不幸中の幸いか、もしくはその逆か。手術は一応成功し、俺の病気は完治した。

 俺はそれ以降、自分の身体に何の疑いも無く日々を平穏に過ごしていた。

 中学の頃、水泳の授業で左胸に残る手術痕を友人に指摘されたりもしたが、『なんで怪我したか覚えてない』『中二くさくてカッコイイだろ?』くらいの認識しかしていなかった。


      ◇


「俺は……バカか……」


 俺は、マヌケなうえにバカだった。だが、人の気持ちがわかる方だったのは、せめてもの救いかもしれない。

(咲夜がいつも俺の上に乗っていたのは……心臓の音を聞きたがったのは……)


「俺が生きてるって、確かめたかったのか……」


呆然とする俺の頭の中に、これまでの咲夜の言動が浮かんでは消えていく。


『ねぇ、今日は何して遊ぼうか?』

『心臓の音を聞いてると、安心するの』

『キミを見ていると、あったかくなる……』

『哲也君――大好き』


 そんなことをぼんやりと思い出していると、不意に足元に水滴が零れた。

 不思議に思って手元を見るが、汗をかいたコップなんて持っていない。


(あれ……?)


 気がつくと、俺は泣いていた。


「咲夜……帰ってきてくれ……今日は一日、一緒にいる約束だっただろ……?」


 夜になり、窓の外に月が見えても、俺はただ呆然としたまま、ソファーにうずくまって寝れないでいた。

 脳裏には、咲夜の苦しそうな表情と、それとは対照的な俺の手を引くときの笑顔が焼き付いて離れない。同時に、クッキーを見た時の咲月の泣きそうな顔も……


「…………」


 すると、深夜近くになってようやく玄関から物音がしたのが耳に届く。


「――!」


 俺はすぐさま鎖を引きずって、鎖の届く限界まで走った。


「――っ!おかえ、り――」

「ただいま……」


 そこにいたのは、疲れてしょんぼりとした顔でサンダルを脱ぐ、咲月だけだった。


「おかえり咲月。咲夜、は……?」


 心臓がドクドクと、嫌な音を立てる。

 俺の顔を見るや否や、咲月はふっと短く笑って言った。


「お姉ちゃんなら大丈夫よ。病院で治療を受けて、点滴してる。一晩安静にすれば、明日には帰ってくるわ」

「あ――」

「だから、そんな泣きそうな顔しないで?」


 そういって、咲月は俺の頭をぽんぽんする。

 俺は、そんなひどい顔をしていただろうか。こっちを見る咲月は眉を下げ、困った表情をしている。


「よかった……ほんとうに、よかった……」


 俺の口から弱々しく漏れ出た言葉は、それだけだった。


「色々話したいことはあるけど、今日はもう遅いから、明日にしましょ?」

「あ、ああ……」


 咲月に促され、俺は再び眠りに落ちる。

 次に起きた時、俺は咲月に、そして咲夜に、どんな顔をして会えばいいんだろうか。

 せめて、せめて誠実に……今度こそ、しっかりと最後までふたりと向きあおうと、俺は決意した。

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