第14話 『あーん』しない……だと!?


 朝起きると、俺の上に美少女は乗っていなかった。


「――ん……」


 俺はそれをどこか残念に思いながら、眠い目を擦って身体を起こす。

 カーテンの隙間から零れる陽光が薄暗い部屋を照らし、クーラーの風が何のガードもない胸元に直に当たってくすぐったい。

 床で寝たせいか腰がじんじんと痛み、家全体がどこか静かな感じがする。


 なんとなく、ぼんやりとした朝だ。


(月曜だからってだけで、条件反射的に身体がダルいのか……?今の俺には曜日なんて関係ないのにな……)


「ふぁあ……」


 俺は洗面所で顔を洗って歯を磨き、リビングにのっそりと顔を出した。


「おはよう……」

「――あ。おはよう」


 朝のニュースが通勤ラッシュの混雑状況やダイヤの乱れを伝える中、キッチンから咲月が声を掛けてくる。


「哲也君、ちょっとお願いがあるんだけど、いいかな?」

「――お願い?」

「私、今日お姉ちゃんの代わりに大学の講義に出席してくるから、お姉ちゃんの面倒見てもらっていい?」

「面倒って……子どもじゃあるまいし……」


 呆れた声を出す俺に、咲月は粥の入った器を差し出した。


「お姉ちゃん、風邪ひいちゃったみたいなの」

「えっ」

「市販の薬でなんとかなるレベルだと思うんだけど、私が大学から戻っても熱が下がらないようなら、病院に連れていくから。それまで頼める?」

「そ、そういうことなら勿論引き受けるけど……すぐ連れて行かなくて大丈夫なのか?」

「でも、そうすると家に哲也君ひとりになっちゃう……お姉ちゃん、それは嫌なんだって」

「……別に、その隙に逃げたりなんてしないって」


 何の根拠もないだろうが、俺にとっては真実だ。

 だが、せっかく監禁した手前、易々やすやすと信じて後悔したくないのだろう。俺が監禁犯でもそう思う。


「まぁ……咲夜が大丈夫っていうなら、それでいいけど……」


 信じて貰えていないようなのがどこかさみしく感じる俺だったが、監禁されてる側の俺がどうこう言っても仕方がない。

 自分を納得させてそう返事すると、咲月は穏やかに微笑んだ。


「ふふ、被害者が加害者の心配?――やっぱり、優しいのね。そういうとこ、全然変わってない……」

「――ん?」

「じゃあ、私は大学行ってくるから、夕方までお姉ちゃんをお願いね?」

「ああ。任された」


 俺は玄関を出ていく咲月を見送ると、程よく冷めた粥をもって咲夜の部屋に入る。

 黄色くてふわふわとした卵が目にもやさしい、卵粥。こんなところからも、咲月の咲夜に対する優しさが見て取れる。

(咲月がいない間は、俺がしっかりしないとな……)


「――入るぞ。風邪ひいたんだって?昨日あんなカッコでいるから……」


 自分で言っておきながら、昨夜の光景を思い出してついつい顔が熱くなる。

 すると、こんもりとした布団の中から弱々しい声が聞こえた。


「――哲也君?あっち行って……」

「――え?」


 いつもべったりな咲夜からは想像もできないその言葉。俺は自分の耳を疑った。


「風邪、移っちゃう……」


(な、なんだ。そういうことか……)


 避けられているわけではないことにほっとしながら、ベッドに腰掛ける。


「咲月がお粥作ってくれたぞ?食べれそうか?」

「――ん……」


 咲夜は短く頷くと、もそもそと上体を起こした。


「――ほら」


 昨日パフェを食べさせたのと同じ要領でスプーンを口元へと持っていく。

 すると、驚いたことに、咲夜はスプーンを持って器を手にした。


(咲夜が……『あーん』しない……だと……!?)


 驚く俺を気にせず、咲夜はお粥を自分でふーふーして、小さな口でもそもそと咀嚼する。


「――ん……おいし……」

「…………」


(咲夜が……『ふーふー』をねだらない……)


 ――相当重症だ。


 俺は即座に、少し汗ばんだおデコに手を当てる。


「わっ……!哲也君、急に何!?」

「いや、絶対ヤバいだろ!?」

「…………」

「…………」


(あれ……?)


 咲夜のおデコは、思ったより熱くなかった。


「お前、体温低いタイプの人間か?」


 俺の問いに、咲夜は首を傾げる。


「フツーだと、思うけど……?病院に通ってた頃も、何も言われたことないし……」

「そうか……」


(お、俺の思い過ごしか……?)


 咄嗟に動揺してしまったが、『咲夜が自分に甘えてこない』というだけでここまで取り乱すとは。調子に乗っていたのは俺の方だったのかもしれない。

 そう思うと、急に自分の行動が恥ずかしくなってきた。

 俺がうつむいて赤面していると、不意に咲夜が声を出す。


「あちゃ~……」

「――?どうした?」


 視線の先を見ると、咲夜の胸元にお粥が零れていた。

 風邪を引いたために引き摺りだしてきたと思われる、ぶかぶかなパジャマのズルズルな胸元、谷間にせき止められるようにしてお粥が乗っていた。


(さっき俺が急におデコに手を当てたから……!)


「わ、悪い咲夜!やけどしてないか!?今拭くもの持ってくる!」


 俺は急いでリビングに行ってタオルを濡らし、絞ってから咲夜の部屋に戻る。


「ほら、零したとこ見せて見ろ!急いで拭かないと!」


 俺はごしごしと咲夜の胸元のお粥を拭った。


「んっ……ちょ……哲也君、いいよ……自分で出来るから……」

「何言ってんだ!やけどしてたら大変だろ!?」

「ちょっと、やめ……!ひゃぅんッ……!」


(え……?)


 不意に発せられた咲夜の変な声で、俺は我に返る。

 よく見ると、咲夜は顔を真っ赤にしてタオルを持った俺の手を押さえていた。


「あ……」

「…………」

「その……ごめん……」

「…………」

「……ごめん!そんなつもりなくて……!」


 過ちに気づいた俺が謝ると、咲夜は動揺して涙目になった顔を向ける。

 改めて見ると、風邪のせいで乱れた呼吸がどこか艶めかしい。


「別にいいよ、哲也君なら。でも、今日は……っていうか、今は、ダメ……」

「わ、わかってる!百パー俺が悪かった!もうしないから!」

「治ったら、してもいいよ?」


(そんな甘々なこと言われても、しませんから!)


「そ、そんなことより!パジャマ着替えなくて平気か!?」


 慌てふためく俺をよそに、咲夜はベッドに横になると弱々しく微笑んだ。


「パジャマには付いてなかったから、大丈夫だよ。熱もさっき測ったら7度5分だったから、少し寝れば治ると思う……心配かけてごめんね?」

「こっちこそ、ほんとごめん……」


(調子に乗って、迷惑をかけてしまった……)

 落ち込む俺に、咲夜は優しく声を掛ける。


「――気にしないで?それに、元はと言えばテンション上がりすぎて無理して風邪ひいた、わたしが悪いんだから……」

「…………」

「――哲也君?」

「ここに、いるよ。治るまで、ここにいる……」

「――っ!」

「俺にできること、それくらいしかないし……リビングにいても仕方ないし……」


 咲夜は一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに布団をかぶってしまった。


「…………ダメ。出てって」

「俺、身体は丈夫な方だし、お前達と違って外に出る必要もないから……ほら、人に移すと風邪治るって言うだろ?」

「ダメだよ。とにかくダメなの。いくら哲也君でも、これだけは譲らないから」

「…………」


 咲夜の意思は、固かった。


「――わかった。何かあったら、必ず言えよ?すぐ隣のリビングにいるから……」


 俺は、苦しそうな咲夜を目の前にして何もできない自分を恥じながら、リビングへと戻った。


 双子のいないリビングはあまりに静かで、俺はテレビをつけたまま、その内容を頭に入れることなく呆然と過ごす。

 大学に行けもしないのに咲夜がやってくれたレポートに目を通したり、咲月の買い物メモから夕飯を予想したり……それはもう、しょうもない時間を過ごした。

 その間、30分おきに(ひょっとするともっと頻繁に)咲夜の部屋を覗き、顔色を確認しに行ったりしたが、布団にうずくまっている咲夜の表情を見ることはできなかった。


 そうこうしているうちに窓の向こうに夕陽が見えて、咲月が帰ってきた。


「ただいまー。お姉ちゃん大丈夫だった?」

「ああ、多分……まだ寝てるけど、朝昼とお粥はちゃんと食べてたぞ?水分も摂ってる」


 そう告げると、咲月はほっとしたような顔で俺を見る。


「ありがとう、哲也君」

「いや、俺は何も……」


(本当に、何もできなかった……)


「――あれ?哲也君元気ない?ひょっとしてお姉ちゃんの風邪移っちゃった?もう、お姉ちゃんてば――」


 腰に手を当てて、ぷんすこと頭から煙を出す咲月に慌てて訂正を入れる。


「いや、風邪なんて移されてない!このとおり、俺はぴんぴんしてる!咲夜は俺に移さないように、今日は一日大人しくしてたよ」

「――そうなの?」


 俺は激しく首肯する。咲月は『ならいいけど』と呟くと夕飯の支度をしにキッチンへと去っていった。


(…………)


 監禁されてからというもの、俺は咲夜と咲月におんぶに抱っこだった。

 自由が奪われているので当たり前といえば当たり前だが、俺はいつしか、『ふたりの役に立ちたい』と思うようになっていた。

 監禁されてまだ三日目だというのに、我ながらお人よしにも程があるとは思う。だが、自分でもどうにもならないくらいに、俺はふたりに心を許し始めていた。


 だって、ふたりと過ごす時間はそれくらい、そう思ってしまうくらいに楽しくて……なんだか心が満たされてしまうのだ。

 勿論、いたずらに密着されてからかわれたり、夜は襲撃されたりと、大変なこともある。けど、それを加味しても、俺はひとりでいるよりふたりといる方が好きだった。


(俺も、ふたりのためにできること、何かないのかな……)

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