第9話 監禁『初』日の『夜』~VS咲夜 リビング防衛戦線~


 アイスを食べ終えた俺達は三人そろって歯を磨き、各々の部屋に戻る。


「じゃあ、おやすみ。お姉ちゃん、哲也君」

「おやすみ~明日はバイト?」

「明日はお休み」

「そっか。じゃあゆっくり寝られるね!おやすみ、咲月」


 そういって、咲夜は咲月をぎゅっとする。ちょっと照れ臭そうにそれを受け入れる咲月。この様子から察するに、ふたりにとってはいつもの光景なんだろう。


(ちょっと、羨ましいな……)


 ――ハッ……


 気が付くと、咲月が咲夜の肩越しにジトっとした視線を送ってきている。

 俺はぶんぶんと手と首を振った。


(何もしない!絶対なにもしないから!)


 咲月は『――よし』とでもいうように短く頷き、咲夜から解放されると自分の部屋に戻っていった。


「さ、わたし達も行こうか?」


 俺の手を引いて部屋へと向かう咲夜だったが、俺はリビングでその手を振り払う。


「俺はここで寝る」

「…………」


 不満げな咲夜を気にせず、ソファーの前で立ち止まって微動だにしない俺。


(この防衛線を突破させるわけにはいかない……!)


 昼間はつい流されて一緒にお昼寝などしてしまったが、夜となると話は別だ。


「俺はここで、寝る」


 大事なことなので、きちんとした口調で重ねて言う。


「ふーん……そういうことするの……」


 頬を膨らませていかにも機嫌を損ねる咲夜。

(くっ……昼間はあの顔にしてやられたが……もう、流されない!)

 俺はおもむろにソファーに寝転がった。


「じゃあな。おやすみ」

「さみしい……」

「――そうか」

「…………」


(甘いな。その攻撃はもう効かない)


「ねぇ、一緒にあっちの部屋行こ?」


 ぐいぐいと腕を引っ張る咲夜。俺はソファーの背に顔をくっつけてガン無視を決め込む。


「ねぇってば」

「…………」

「む……」


 俺から咲夜の手が離れた。どうやら諦めてくれたよう――

 ――な、わけがなかった。


 ――ジャラジャラジャラ…………


 深夜のリビングに響き渡る、鎖の音。


(まさか……)


「――っ!」


 不意に足首に力が掛かる。

 振り返ると、咲夜が俺の鎖を握って引っ張っていた。


「哲也君!カモン!」

「やめろ!俺は犬じゃない!」

「えへへ……これじゃあ、そうも言ってられないでしょ?こっち……おいでよ……」


 ――ジャラジャラジャラ…………


「…………」

「ねぇ……」

「…………」

「はぁ……はぁ……」

「…………」

「うっ……くぅッ……」

「…………」

「ううっ……ふッ……はぁ……」

「…………」

「んっ……あっ……ひゃっ!!」


 ――ドサッ


「…………」


 鎖から手を放し、派手に尻もちをつく咲夜。

 


 ――咲夜は、壊滅的に非力だった。



(あーあ。転んじゃったよ……)


「はぁ……はぁ……」


 尻もちをついたまま、息を切らして涙目で俺を見上げている。

 よく見ると、さっきまで鎖を握っていたせいか手が真っ赤だ。

 白くて華奢な、小さな手。綱引きなんて、一度たりともしたことないんだろう。


「う……」

「……はぁ……仕方ねぇな……」

(今晩は徹夜か……)


 俺は重い腰をあげて咲夜の部屋に足を向けた。


 部屋に入るなり、咲夜はごろんと横になる。

 そして、枕をぽふぽふと叩き、俺を呼んだ。


「えへへ。こっちこっち」

「はぁ……」


(ここまで来たら、諦めるしかない……)


 俺の『リビング防衛戦線』は、咲夜の可哀想すぎる非力さによって呆気なく突破された。

 まさに無血開城。カワイイは正義、とはよく言ったものだ。


 俺は咲夜に背を向けるようにして寝転がる。

 日中は監禁されたてで緊張していたせいかあまり気にならなかったが、こうしてみるとシングルベッドにふたりはかなり狭い。


「じゃあ、おやすみ……」


 俺が深く考えないようにして目を閉じると、咲夜が不意に囁くような声を出した。


「ふふ、初夜だね……?」

「紛らわしい言い方はやめてくれ。監禁『初』日の『夜』ってだけだろ?」

「ふふ、やっぱり『初』『夜』だよ?」


 俺の背に両腕を当て、ぴったりと寄り添うように身体をくっつける咲夜。背中全体に伝わる、柔らかくてあたたかい感触。


(大丈夫……この程度なら、朝昼と経験したはずだ……)


「こうしてると、あったかいね……?」


 顔をつけたまま呟かれると、声が振動となって身体じゅうに響いてくる。

(まだ……これしき……)


「ねぇ、今日は楽しかった?」

「…………」


「わたしはね、とっても楽しかったよ」

「…………」


「いつも見てる部屋なのに、全然違って見えた。映画はいつもより感動したし、お昼寝は気持ちよかった。咲月のご飯も、お風呂あがりのアイスも、普段よりも数倍美味しかった」

「…………」


「ねぇ、哲也君。大好き」

「それは、どうして――」


 振り向くと、すぐ目の前に咲夜の顔があった。俺の肩から、ひょっこりと顔を出している。

 思わず固まると、咲夜は目を細めてゆったりと微笑んだ。


「――どうしてだろうね?」


「…………」

「キミを見ていると、心臓のあたりがあったかくなるの」

「…………」

「ああ、生きてるんだ……って感じがする……」


(どうして、俺なんだ……?)


 うとうとと、心地よさそうに目を閉じた咲夜にそう問いかけようとしたが、何故か言葉が出てこなかった。


 俺は――それを聞いてしまうのが、急に怖くなったのだ。

 

 咲月は『俺が、初めてだ』と言っていたものの、もし咲夜本人にそれを聞いて『傍にいてくれるなら誰でもよかった』『キミが隙だらけで誘拐しやすそうだったから』なんて言われてしまったら……

 そう思うと、一歩の勇気が踏み出せない。

 それに、俺はそのことを咲夜に聞く前に、なぜ咲夜がここまでするのか、どうしてそう思ったのか、咲夜のことをもっと知りたいと思うようになっていた。


 我ながらチキンな言い訳だとは思うが、なにせ今日は監禁『初』日の『夜』。

 俺は、それを聞くのはもう少し先、咲夜のことをもっと知った後でもいいか、と自分を言いくるめる。

 さっき聞こうとした話の代わりに、俺は現在進行形で気になっていることを指摘する。


「――咲夜」

「なぁに?」

「その……俺の首に、何してるんだ?」

「何って……はむはむしてるだけだよ?」


(道理でなんかくすぐったいわけだよ!)


「っつか、はむはむって何だよ!?」

「えー?キライだった?はむはむ」


 咲夜はそう言いながらも俺のうなじの辺りを歯を立てないように唇で食んでいる。


「――っ!キライとか、そういう問題じゃないから!いいからやめなさい!」

「だって口さみしいんだもん」

「ガムでも噛んでろ!」

「む……そんなに言うなら――」


 叱りつけた俺に、咲夜は蠱惑的な表情で迫ってきた。


「ちゅーしてよ?」

「えっ」

「それなら、口さみしくないじゃない?」


(あああ!ほんとのほんとに、こいつって奴は……!)


 ――どこまでいっても、タチが悪い!!


 その、あまりに挑発的な言動に、若干の怒りすら覚える。

 そんな俺の気も知らずに、まだかまだかと顔を覗き込んでくる咲夜。


「ねぇねぇ?ダメ?」

「ダメ!」

「うーん、キミを監禁しているのは猥褻わいせつ目的じゃあないから、無理強いはしたくないんだけど…………ね、ダメ?」

「可愛く首を傾げたところで、ダメなものはダメだ!」

「はぁ……残念。まぁ、まだ初日だしね……」

(こいつ、こんなのを連日するつもりなのか……?)

「…………」


 がっくりとうなだれる咲夜に、俺は短く告げる。


「――そんなに欲しけりゃ、くれてやるよ」


「ほんと!?」

「ああ。こっち向け」


 俺が態勢を反転させて咲夜の方に向き直ると、咲夜はわくわくとした表情で見上げてくる。

 俺は咲夜の両肩に手を添え、そのキス待ちな顔に自分の顔を寄せると、頭を一気に振りかぶった。


 ――ガツンッ!


「――っ!」

「痛ったぁ!」


 両手でおでこを抑える咲夜。俺は涙目なその顔に向かって、おどけたように吐き捨てる。


「――ハイ、キスしましたぁ。おデコでおデコにちゅーしましたー。ハイ、終了。ハイ、おやすみ」

「そんなのってナイよ!」

「どっちがだよ!人の気も知らないで!あんまり調子に乗るとイタイ目みるぞ!」

「もう見てる~!」

「とにかく!これ以上俺を挑発するのはやめてくれ!」


(心臓がもたない!あと下半身も!)


「うう、キミがそこまで言うなら……」


 息を荒げる俺の様子に、咲夜はしぶしぶ身体を離した。

 俺の隣に仰向けになり、『川の字』ならぬ『二の字』で並ぶ。

 まだ不満げな咲夜に、俺はジト目を向けた。


「……俺の嫌がることはしないんじゃなかったのか?」

「確かにお風呂場ではそう言ったけど……これをちゅーだと言い張るのは反則です」

「人を監禁して執拗に迫るのも反則です」


「「…………」」


「――わかったか?」

「……わかったよ……今日はこの辺にしておいてあげる……」


(こいつ、全然わかってないな……)


 俺は、呆れたように今日一番の大きなため息を吐いた。

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