第6話 待遇は、三度のうまい飯に昼寝つき②


「ただいまー」


「――ん……」


 玄関の方から鍵の開く音がして、俺は目を覚ました。


「お姉ちゃーん?ちゃんと哲也君と仲良くしてたー?……って、想像以上に仲良しね?」


 開いたドアからバイト帰りの咲月が姿を見せる。


「まぁいいわ。安心した」


 咲月はまだ眠っている咲夜にブランケットをかけ直すと、一瞬鎖を見やり、続いて俺に視線を向ける。


「……逃げようと、しなかったんだ?」

「えっ、ああ、まぁな……どうせ無理だろうし……」


 突然の質問に、俺は言葉を濁す。

 俺はマヌケだがバカではないので、「どうせ数日で飽きるだろう」と思っていることは言わない。もし俺が監禁犯なら、そう言われたら意地でも帰したくなくなるからだ。

 俺が物分かりのいいフリをしていると、咲月はベッドに腰掛け、不意に俺の手を握る。


「――っ?」


 思わず肩をビクつかせると、咲月はゆったりと微笑んだ。


「――ありがとう。お姉ちゃんに付き合ってくれて」

「俺は、その、別に……」


 予想外のその台詞にうまく言葉が返せないでいると、咲月は俺の目を見て再び微笑む。


「君は優しいんだね……そういうところ、好きだな?」

「…………」


 咲月は魔法使いか何かなんだろうか?目を合わせられると、動くことができない。

 俺がただただ固まっていると、咲月は顔を近づけてきた。


(……!?)


 息がかかりそうなくらいに顔を近づけたかと思うと、まばたきすらできないでいた俺の瞼にふっと息をかける。


「――わっ!なに、すん……」


 驚いて声をあげた俺を見て、くすくすと笑う咲月。


「ふふふ、ほんとに隙だらけね?お姉ちゃんの言ってたとおりだ」

「は……そんなこと……!いや、そう、なのか……?」

「そうだよ。今までそれでどうやって生きてきたの?」


(どうと言われても……)


「フツーに……?」


 首を傾げながら答える俺に、咲月は口元を綻ばせる。


「ふふ、哲也君ておっかし。じゃあ、夕飯の支度してくるから。哲也君も上だけ着替えたらリビングに来て?準備はほとんどして行ったから、すぐにできるよ」


 そういって、部屋の入り口付近を指さす。そこには、当日お届け便で注文した俺の部屋着(と咲夜チョイスのボクサーパンツ)が届いていた。


「あ、ありがとう」

「別にお礼なんていいのに。あ、お姉ちゃんはまだ起きないだろうから、そのままでいいよ?ふたりで先に食べちゃお?」


 俺は言われた通りに上だけ着替えてリビングに顔を出した。

 聞くところによれば、下については足枷をしたままでも着脱できるように後で咲月が改造するらしい。


(そんなことしなくても、一瞬だけ枷外してくれればいいのに。逃げたりしないから)


 そう思いはしたが、言い出すと面倒なことになりそうなのでその辺はお任せすることにする。


 俺にとっては下着のことよりも、さっきから漂ってくる夕飯のいい匂いが気になって仕方がない。俺は咲夜の部屋を出て、リビングに足を踏み入れた。


 入った瞬間、デミグラスソースのいい香りが鼻腔をくすぐる。


「おお……!ひょっとして、夕飯は――」


 感嘆の声をあげていると、咲月は得意げな顔でキッチンから振り向く。


「さて、なんでしょう?」

「ハンバーグ?」

「当ったりー♪」


 俺は内心歓喜した。言うまでもなく、ハンバーグは大好物だったからだ。

 俺は鎖を引き摺っていそいそと椅子に座ると、温めた夕食を盛り付ける咲月に声を掛ける。


「咲月……は、今日バイトだったんだろ?何のバイトしてるんだ?」


 鼻歌交じりにご飯を盛っていた咲月は、わざとらしく高めの声を出す。


「トールキャラメルフラペチーノアドホワイトモカシロップアドホイップクリームお待たせいたしましたぁ~♪」

「――カフェの店員か。すごい呪文だな?」

「もはやネタだよね?」

「土曜だから、大変だっただろ?お疲れさん」


 以前飲食でバイトしていた経験があった俺は、労いの言葉をかける。咲月は一瞬驚いたような表情を浮かべたが、すぐににんまりとした笑みを俺に向けた。


「今日の夕飯は、デミグラスソースハンバーグアドブロッコリーアドニンジンソテーウィズマッシュポテトウィズコンソメスープでーす」

「おおお!」

「あ、そうだ。――アドナポリタン?」


 機嫌良さそうに聞いてくるその手には、ナポリタンのパスタが入ったタッパーが。


「イエス!ナポリタン!」


 俺は日朝ニチアサテレビに向かって叫ぶ女児並みに元気な声をあげた。

 ふたり分の夕飯がテーブルに並び、咲月が席に着くのを待ってから、俺達は両手を合わせた。


「「いただきます」」


「――っ!!」


 一口で、俺の全身が歓喜に打ち震える。


「うまいっ!!」


(うまい!美味すぎる!なんだこれ!?手作りだから?肉が粗挽き?ごろごろしてて、ジューシーで、食べ出があって、肉食ってる!って感じ!店で食べるのとはまた違う美味さだ!ついでに、ナイフを入れるたびに溢れる肉汁もヤバイ!)


 それはもう、どうしようもなく美味かった。白米を食べる手が止まらない。


「う、うまい……!」

「ははは、何回も言わなくてもわかってるって。でも、そんなにいい反応してくれるなんて、嬉しいな?作り甲斐がある」


 咲月は呆れ顔で微笑む。

 俺はそのあと、結局ご飯のおかわりをし、デザートまでいただいてしまった。満腹になった腹を擦りながら、正面に座る咲月に視線を向ける。

 おかずだけでもかなりの量があったように思ったが、咲月は事もなげに平らげていた。


「咲月はその……よく食べる方、なのか?」


 俺の問いに、咲月はにやり、と笑みを浮かべる。


「その割に、痩せてるって?」


 俺はこくこくと頷く。

 咲夜が全体的にふわふわのわがままボディなのに対し、咲月はどちらかというとスレンダーな印象だった。

 さっきまでつけていたエプロンを外してからは、ぴったり目なTシャツを着ていることも相まって身体のラインがはっきりし、一層細く見える。

 俺にとっては、その身体のどこにあの量のご飯が入ったのかが不思議でならない。


 俺の疑問を悟ったのか、咲月はおもむろにTシャツを捲って下乳ギリギリまで腹を見せると、豪語した。


「こう見えて、脱ぐと結構“ある”のよ?お姉ちゃんほどじゃないけど」


 そういって、不敵な顔をしてみせる。


「私、胸につくタイプなの。いいでしょ?」

「…………」


(これは、なんて答えるのが正解なんだ?)

 男の俺には、最適解がわからない。


「いや……良いか悪いかでいったらそりゃあ良いんだろうが――」


 コメントに困る俺を察したのか、咲月は話を続ける。


「私は、作るのも食べるのも好き。人より食べる方だっていう自覚はあるわ。まぁ、これだけ食べても太らないのは体質以外に、よく外に出るからだと思うけど……」


「へぇ、外出が好きなのか。なんか、見た目どおりだな?アクティブっていうかなんていうか」


「それもよく言われる。友達と出かけたり、新しいカフェ探したりするのが好きかな。ほんとはお姉ちゃんと出かけるのが一番好きなんだけど、お姉ちゃんは外出が好きじゃないから……」


「そうなのか?双子でも、結構違うんだな?」


「あれ?私達が双子って、言ったっけ?」


「いや、それは見ればわかるから」


 ほんと、咲夜と咲月は髪色こそ正反対だが、顔はそっくりだ。

 昇る朝陽のように眩しい銀髪の咲夜に、静かな夜のような艶やかな黒髪の咲月。肌の色はふたり共透けるように白く、目鼻立ちもはっきりとしている。

 正直、俺が一緒に暮らすにはもったいない程の美人だった。


 よーくよく見れば目つきが少し違うようにも見えるが、それはおそらく性格の違いによるものだろう。

 子どもみたいに奔放な咲夜に対して、咲月は落ち着いた雰囲気を放っていた。

 こと咲夜にいたっては、その奔放さもさることながら、好き好きオーラが全開で、これでもかというくらいに引っ付いてきては下半身によろしくない言動を繰り返す。

 俺にとっては危険極まりない存在だ。


 朝から強引な咲夜に振り回され気味だった俺は、こうして咲月と話している時間にどこか安らぎを覚えていた。咲月と話しているときは、下半身の警戒レベルを気にしなくて済むというのも理由のひとつだろう。

 まさに、安息の地。


 俺がそんなことを考えながらぼんやりとしていると、咲月が静かにコップを置く。


「まぁ、お姉ちゃんが外出嫌いなのは見た目のせいもあるみたい……」

「――見た目?」


 あんな美人が、外出するのに何を躊躇するんだろうか。首を傾げると、咲月はゆっくりと口を開く。


「ほら、お姉ちゃんはその……目立つでしょ?綺麗だし、スタイルがいいのもあるけど、なによりあの銀髪よ……?」

「アレ、染めてるんじゃないのか?」


 俺の問いに、咲月は首を横に振る。


「アレは、地毛なのよ。色々あってあんなになってるんだけど、そのせいで小さい頃から良くも悪くも目立ってね。おかげでお姉ちゃんは外出っていうか、人と関わるのが嫌いみたいなの」

「…………」


 あんな無邪気そうな咲夜にそんな悩みがあったなんて、予想外だった。

 俺はデリカシーのない発言をしないように注意しながら口を開く。


「その、気を悪くしたらすまないんだが……染めようとは思わなかったのか?」

「私もそれは聞いた。『染めないの?』って。でもね、染めたくないんだって」

「そう、なのか……」


「染めたくない理由は大方予想がついてるんだけど、直接聞いたことはない。多分、お姉ちゃんにとって大事な思い出なんだと思う……」

「大事な、思い出……?」


 その問いに、咲月はハッとしたように視線を逸らした。

 そして、一瞬目を瞑ると、深呼吸をして俺に向き直る。


「――ねぇ、哲也君。少し聞いてもいい?」

「あ、ああ……」

「嘘はつかないで、正直に答えて欲しい」

「…………」


 咲月は神妙な面持ちで、俺に目を合わせてきた――というより、心なしか、いや、完全に目が据わっている。


 ただならぬその雰囲気に、俺は背筋が寒くなるのを感じた。

 背筋が寒くなったのは、決してデザートに食べたレモンシャーベットのせいなんかじゃない。


「…………」


 ごくり、と俺の喉が鳴る。


 咲月のプレッシャーに、俺は眼球を動かすことさえままならないでいた。

 ――否。動かせないのではない。『ある一点』から逸らすことができないのだ。


「ねぇ、哲也君。答えて――」


 それは、俺を見据える咲月の深い夜のような瞳ではない。


 俺は、不意に手を置いた咲月の手元、デミグラスソースがちょこっと付いた、


 ――ナイフの切っ先から、目が離せない――――

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