第4話 俺はお前達に手を出さない

「ふふふ。お褒めにあずかり恐悦至極~♪」


 咲夜は心底嬉しそうに俺に抱き着き、頬ずりする。

 睫毛が当たってくすぐったい。


「――で?俺の私物は?当然無いか……」

「それはごめん。あの日キミが持ってたリュック、財布もスマホも持ってきてるけど、スマホは渡せない」

「だろうな」

「無いと死ぬ!ってものがあれば後でわたしか咲月が取りに行くよ。何かある?」


 そう言われても、スマホ以外に咄嗟に思いつくものが無い。

 俺の趣味はソシャゲとネトゲ、深夜のアニメ鑑賞くらい(しかも、どれも中途半端なハマり具合)だから、無いと死ぬような大切なものは特に持ち合わせていなかった。

 強いて言うなら実家の犬。しかし、それは今はどうしようもない。

 俺は、ようやく思いついた悲しい言葉を口にする。


「来週提出の、大学の前期中間課題レポート……」


「……ほんとにそれだけ?」

「それ、だけ……」


「お、思ったより少ないなぁ……無趣味だったっけ?まぁいいや、わかった。課題は取りに行くし、代わりに提出してあげる。講義も代わりに出て、中間試験のレポートもこっちでするから心配しないで?」


「え。いいのか……?」

「うん。卒業できなくなってキミを不幸にするわけにはいかないし。あ、でも、出席しないといけない前期試験だけは諦めてね?」


 幸い、テストがある科目は履修していなかった。プレッシャーに弱い俺は、テスト前になると大抵腹痛になるからだ。大学の何がいいって、そういう得手不得手を工夫次第でどうにでもできるところにあると俺は思っている。


「ああ、それなら大丈夫だ」


 俺が首を縦に振ると、咲夜はにっこりと笑う。


「じゃあ、単位は大丈夫そうだね!」


(な、なんだか至れり尽くせりなんだが……?)


「服についてだけど――あ!」


 咲夜は言いかけて、思いついたように両手を合わせた。いかにも『イイコト思いついちゃった!』って顔だ。

 駆け足で部屋を出たかと思うと、タブレットを持って帰ってくる。

 おもむろに俺の隣に寄り添うようにして腰を下ろしたかと思うと、いそいそとタブレットを見せてきた。


「今日は、一緒にショッピングしよう!」

「ショッピング?」


 咲夜はそう言うと、服の通販サイトを開く。


「さ、好きなもの選んで?」

「え、好きなものって。そこまでしてもらうわけには……」

「監禁犯相手に、なに遠慮してるの?」


(そ、そうだった。俺は監禁されてるんだった……)


 あまりの至れり尽くせりな環境に忘れかけていたが、捕らわれの身であることを思い出す。


(遠慮はいらないって言われてもな……)


 戸惑いつつもサイトを眺めると、そこにはモテ系コ―デだとか、休日お出かけスタイルだとかが銘打たれたアイテムがずらりと並んでいた。


(お出かけか……そろそろ暑さも厳しくなるし、涼しいやつがいいな……)


「……ん?」

「どうかした?」

「俺、お出かけできなくね?」

「あ。」


「「…………」」


 さっきまでうきうきしていた咲夜も、一番重要なことを失念していたようだ。


「あー、そうだった。せっかくこれで一緒にデートしようと思ったのに……」

「そんな不貞腐れた顔されても困るんだが……」

「そうだよね、ごめんごめん」


 咲夜は気を取り直して男性ものの下着のページを開く。


「ボクサー派?トランクス派?まさか、ブリーフじゃないよね……?」

「こだわりはないけど、ブリーフ以外派だよ……あのな。仮にも女子なら、もう少し恥じらいってものがあってもいいんじゃ――」

「えー?一緒に暮らしてキミの下着も洗濯するのに?今更だよ」

「それも、そうか……」

(……そうなのか?)


 戸惑う俺をよそに、咲夜はちゃっちゃと商品をカートに入れる。


「……ボクサーがいいのか?」

「……うん。恥ずかしいから、確認しないでよ……?」


 チラチラと俺を横目で見やり、うつむきがちに赤面する咲夜。


(えぇー……こいつの『恥ずい』の基準がわからん……)


 俺の分の商品をカートに入れ終わった咲夜は、続けて女性もののページを開く。


「ねぇ、どれがいい?」

「…………」


 その表情は、きらきらわくわくしていた。そこに恥じらいなど微塵もない。


「俺に聞かれても……」

「えー?好みとか、あるでしょ?やっぱり、こういうのがいい?」


 見せられた一覧には、黒の紐、レース、T、ガーター、ランジェリー、紐、紐、紐……


(紐が好きなのか……?)


 いずれにせよ、目も当てられないラインナップだ。

 俺は視線を逸らしながら蚊の鳴くような声で呟く。


「す、好きにしろって……どうせ俺は見なぃんだから……」

「えー!見ないのぉ!?」

「見ないだろ!?」

(見せるつもりだったのか!?)


 急に大声を出した咲夜につられて俺も声を張る。


「見ようよ!」

「見ない!絶対に!」

「どうして!どうせ夜は――」


 咲夜の言葉を遮るように、俺は宣言する。


「――俺はお前達に手を出さない!絶対に!」

「…………」


「いいか!これは俺の意地だ!男の矜持だ!監禁されたからって、お前達にいいようにはされない!だから、流れで致したりもしない!絶対にな!!」

「…………」


 驚いたように固まる咲夜。しばし黙っていたかと思うと、小声で何かを呟く。


 ――『そう言われると、逆に燃えるなぁ……』


「――?なんか言ったか?」

「ううん、なんでもない!」


 顔をパッとあげた咲夜の顔は、さっきの不貞腐れたものから一変、明るい表情を取り戻していた。その顔を見て、俺も正気を取り戻す。


(言った……言ってしまった……)


 売り言葉に買い言葉ではないが、つい大口を叩いてしまった。

 ――が、こんな状況だからといって、それに甘えてふたりに手を出すようでは男が廃ると思っていたのも事実。

 ましてや俺にとってはハジメテだ。それがこんな、流されて……的なものであっていい訳がない。

 俺は心を落ち着けるように深呼吸して、再び告げる。


「だから、その下着も、絶対に見ないからな!」

「…………」


 俺の言葉に納得してくれたのか、咲夜は黙って頷いた。

 その様子に、胸を撫でおろす。


「ちょっと、飲み物持ってくるね?」


 咲夜はそう言うと、ぱたぱたと部屋を出ていく。

 その口元が一瞬動いたように見えたが、何を言ったかを聞き取ることはできなかった。


 ――『やれるもんなら、やってみなよ……』


 このとき、俺はまだ知らなかった。

 俺と咲夜の戦いの火蓋が、切って落とされたことを。

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