第1話 伯父と伯母


今から30年程前のことです。父がパリ勤務となった関係で、高校は京都の伯父の家から通うことになりました。


当時、バブル景気の真っ只中、伯父の健三(けんぞう)は48歳、手広く工務店を経営していました。


「京都の伯父さん、顔は怖いけど優しいのよ」


母の言葉通り、伯父はお酒が大好きで相撲取りのように太っていましたが、私には「わてのように酒ばっかり飲まへんで、しっかり勉強せえ。親爺やお袋の期待を裏切るな」といつも励ましてくれました。


伯母の香織(かおり)は色白の小柄な女性で当時43歳。私は母から「伯父さんたちは大恋愛だったのよ」といつも聞かされていた通り、とても仲の良い二人でした。


しかし、夏休みをパリで過ごし、京都に戻ると、伯父と伯母の様子が変わっていました。


それまでは一階の奥に二人の寝室がありましたが、伯母だけが二階の私の隣の部屋で寝るようになっていました。


「伯父さんが忙しいから、一人でゆっくり寝かせてあげるん」


伯母はその言っていましたが、そうではないことは直ぐに分かりました。


確かに伯父は忙しくて、現場に泊まり込むことも多く、家に帰るのも3日に一度と言うことが多くありました。そんな時です。「好事魔多し」、この諺がまさにピッタリとあてはまることが起こりました。


伯父は現場近くに住む事務員の女性にご飯の世話を頼んでいましたが、それが洗濯だのと頼むうちに、抜き差しならぬ仲になってしまったようです。


家の中で口論が絶えず、秋の終わり頃には二人は殆ど口をきかなくなってしまいました。


それでも離婚しなかったのは、本業の工務店が業況拡大の途上であったこともあったと思います。


地場の工務店は信頼が第一です。「夫婦仲が悪い」などと噂されれば、「縁起でもない」と仕事を断れることもあります。そのため、地鎮祭だ、建前だ、引き渡しだと、伯父が現場を渡り歩いている時も、伯母は工務店の女将として、「いつも主人がお世話になっております」と振る舞わなければなりません。これは精神的にとても辛かったと思います。


時々、伯父は私の部屋に来ては、

「いやあ、しんど。かて、お客さんから誉められたよ。うちん電話応対がええってさ。あん厳しいお客がだよ、ははは」

といつもより大きな声で、わざと陽気に振る舞っていました。


伯父は隣の部屋にいる伯母に伝えたかったのでしょう。不仲になった原因が伯父の浮気だったので、なんとかきっかけを掴みたかったのだと思います。


一方、伯母の方は酷く傷ついていました。

笑顔を見せることは殆どなく、部屋に籠ることが多くなっていましたが、寂しさに堪えられなくなると、私の部屋に来て遅くまでとりとめのないことを話し、時には、泣いてしまうことさえありました。


今にして思えば、子供のいない二人にとって、私は「鎹(かすがい)」の役割を果たしていたのかも知れません。


「責任もって預かる」


私の両親にはそう言った手前もあったのか、よく分りませんが、「お父さんやお母さんには言うたらあかんえ」と伯母は私にこう言っていました。

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