48.会いにいく
結局弟には、もうしばらく帰らないという内容のことだけをメールしておいた。色々と何を書くか迷っていたのだが、花宮との話のあとでは何もかも吹っ飛んでしまった。とにかくこちらが無事で問題なく生きているということくらいは義務的に伝えておく。行方不明だなんだと騒がれても困るし。
花宮の誤解は嫌で仕方がないのだが、違うということを説明するのも躊躇われた。写真という証拠がある限り、俺が誰かに暴力を受けたという事実は覆しようがないものになっている。つまり両親によるものじゃないと否定するには、誰が殴ったのかということまで説明しなくてはいけないのだ。花宮は悪いやつじゃないのかもしれない。だけど弟が俺を殴ったという事を伝えるような間柄でもない。信じてもらえるかという話以前に、そんな話を他人にペラペラと喋りたくないのだ。
結局、勇気を出してクラスメイトに歩み寄ろうとした決意はポッキリと折れてしまったということ。花宮には悪いが、もうあまり近寄りたくない。
だがそんな俺の意思とは裏腹に、放課後に俺と花宮が話したあの日から彼は余計に俺のことを気にするようになってしまった。1人でいると、他愛ない話を持ちかけてくる程度のことは別にいい。俺の傷を気遣うような行動と、家のことを聞きたがる度が過ぎるおせっかいだけどうにかして欲しいのだ。その行動が思いやりからくるものだと分かっているから、頭ごなしに拒否もしづらい。だが困ったことに、塚本くんの機嫌は日に日に斜めになっていくのだ。
特にこの前は、花宮が俺と塚本くんの昼飯にまで顔を出してきて次の授業時間までそのままそこに居座っていた。もちろん塚本くんはそれに対して文句は言わない。だがそれから一言も喋らなかった彼の様子は、明らかに不機嫌の最高潮に達していたと思う。チラチラと塚本くんの様子を伺いながら、花宮の話に無理矢理笑って応対する俺。
…どっちでもいいから間に挟まれる俺の気持ちも考えてくれ。
登校を再開してちょうど二週間が経過した金曜日。
俺は放課後、珍しく塚本くんよりも早く旧視聴覚室で待っていた。
たかが同好会だし今更先輩後輩を意識することはないが、律儀な彼には「先輩を待たせた」ということが申し訳ないことに思えたようで、部屋に入って俺を視認すると直ぐに駆け寄って謝罪してきた。
別に塚本くんが遅かったわけじゃない。俺の気持ちが先走っていただけだ。
少し前から考えていたこと。塚本くんを誘ってもいいものかずっと迷っていた。だけど1人で行く勇気もやっぱりなくて。その決意がようやくできたのだ。
「塚本くん。ちょっと一緒に付き合って欲しいんだけど」
__________________________
いつもとは違う線に乗り、人の少ない電車内で横に並んで座っていた。
特に話すこともなく、揺られながら流れゆく風景をぼんやりと眺める。だけど俺の意識はそこにはなく、この後のことに頭を巡らしていた。
ー久しぶりだ、まともに話すのは。
昨日、俺は本当に久しく姉と連絡を取った。たった一言、「話がしたい」それを送るのにどれだけ時間がかかったか。
両親とまともに話すことがなくなって、なんとなく姉とも話すことがなくなった。特に冷たい態度を取られたわけではないのだが、どこかよそよそしい様子に俺は拒まれているのだと肌で感じた。少しずつ距離をとり、やがて一切の会話がなくなる。
期待はしていた。何かあったら助けてくれるんじゃないか、とか。でも両親の俺を無視する態度も、俺が殴られた時も、まるで目に入っていないようなわざとらしい顔の逸らしかたに俺はひどく傷ついた。期待しても無駄だと悟ってからは、そんなことも気にならなくなっていったが。結局兄弟といえどそんなもの、血の絆など大したものではないのだと思えば、姉が自分が巻き込まれないように俺を見ないフリするのも頷ける。
だからこそ意外だった。
傷だらけの俺を見て本気で心配してくれたことに。
期待するのが馬鹿なことだと思いながら、それでも期待してしまう。元々姉のことは嫌いじゃなかった。もう一緒に遊んだのは遠い日のことで、そう覚えてはいないのだけど。
それに単純に弟と俺の間に何があったのか知っていて、まともに取り合ってくれそうなのは姉しかいない。
何かこの状態を打開するような手がかりが掴めればいいと思っての行動だ。もしも姉がまともに取り合ってくれなかったら。もしくは彼女も何も知らなかったら。予想される完全な詰みの状況に不安になる。そしてそんな不安を払拭するために、塚本くんにはついて来てもらったのだ。
曲がりなりにも後輩に当たる彼の前で、情けない姿は見せたくないという思いがある。だから途中でやっぱりやめて帰るだなんて思うことがないようにという、塚本くんは俺の見張り役だ。
「緊張しますね」
思いがけない言葉に彼を見やるが、その顔には緊張のきの字もなく平然と前を向いていた。
「嘘つけ」
「しますよ。先輩の家族に会うわけですから」
「話すんのは俺なんだから、お前が緊張する必要ないだろ」
そもそもそんなガラスのハートじゃないだろお前は。
「いいえ。なんとか好印象を抱いていただかないと。今後のことを含めて挨拶するわけですから」
「なんなの、お前俺と結婚でもするつもりなの?」
大真面目にキリッとした声音で言い放つ塚本くんの少しズレた気合いに若干引いてしまう。ちょいちょい彼女面してくるのなんなんだ。
「すいません冗談です。なんか緊張してるみたいだったんで、気持ちが軽くなればと」
俺がドン引きの顔をしていたのか、残念そうに顔をそらす。頼むから冗談なら冗談らしい顔をしてくれ。そんな大真面目な顔で言われたら、特にお前の性格じゃ本気にしかねないんだよ。
それでも若干肩の力が抜けたのは本当だ。緊張をしているというほどのことではないが、なんとなく身構えている自分がいる。自分の家族に対してうまく話ができるかなんて考えるのはおかしなことだけど、きっと数年間の間に形成された俺と姉さんの間の溝は浅くはない。昔のように急に仲良くとはいかないだろう。
だが、こうして会って話をしてもらえるというだけでも前には進んでいる。
残念なのはその勇気が後輩の存在ができるまで生まれなかったこと。こうして一緒に付き添ってもらっているというのも情けない話で、結局また借りができてしまったわけだ。
君との箱庭 はっさん @hassaku0126
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