26.姉



とにかくなんとか着替えて準備をする。寝間着を脱ぐと、体に広がるあざがこの数日の悪夢を呼び起こした。ご丁寧に人に見えないような場所に限って執拗に殴ってくる。だから服の下の皮膚は見るに耐えない変色の仕方をしていた。下手したら骨が折れていたりしないだろうか。またしばらくして痛み出したら注意した方がいいかもしれない、とは思うが注意したところでどうしようもない気がした。

こんな怪我をして病院に行ってなんと説明すればいいのだろう。どう考えても人に危害を加えられたとしか思えない。これを見て常人の医者なら放っておかないだろう。いっそのこと、警察にでも駆け込めれば楽なのかもしれない。だけど俺の頭の中には警察の頼ると言う選択肢はまずなかった。できれば警察沙汰にはしたくない。そんなことをしたら弟はどうなるのだろうと考えてしまう。どんなに拗れてしまっても兄弟だ。兄である俺が弟を警察に突き出すような真似はしたくない。


ここまでされて甘いと思う。でもやっぱりできない。俺は俺なりに、やっぱり弟を心から憎むなんてことできないのだ。どんなことをされても、どんな憎しみを向けられても。



でもこのまま大人しくやられるつもりもない。ならば自分の力で解決するしかない。



バックの中身はできるだけ軽くした。時間的に完全に遅刻だ。どんなに急いでも学校には昼頃にしかつけないだろう。早々に遅刻の覚悟はして、教科書は午後の分だけ詰め込んだ。


時計を見て姉は大学、父も母も仕事で出て行っただろうことを確認してから部屋を出て洗面所に向かう。家の中はシンとしている。壁を支えに洗面所にたどり着き、鏡を見ればひどい顔をしていた。体ほどではないにせよ、顔にも大きな痣があるし何よりげっそりとして、顔色が悪いなんてもんじゃない。睡眠はちゃんととったはずだが隈はとれてないし。まあ、あんなストレス下じゃ疲れが取れないのも当然か。

顔を洗い、髪の毛を治そうとすればまたしても激痛が走って思わず倒れそうになる。一体いつ頭まで負傷したのだろう。恐る恐る触れば、たんこぶのようなものが出来ている。頭が痛い原因の1つはこれかもしれない。洗面台についた手を支えに、折れそうになる足を必死に堪える。大丈夫だ。こんなのほっときゃ治る。痛いのなんて必ず時間が解決してくれる。だから今は耐えて。耐えれば大丈夫になるから。



「……ちょっと、大丈夫?」


少しでも痛みがましになるのを待って俯いていると、横から久々な声が聞こえた。今家には俺しかいないと思っていたのだが。姉さんは振り向いた俺の顔を見て目を見開いた。


「!!な、なに!?どうしたのよそれ!」


俺はそんな姉さんの反応に驚いていた。俺のことなんてどうでもいいんじゃなかったんだろうか。駆け寄ってくる姉さんの顔は本当に心配してくれているようで、不思議に思いながらもそれがたまらなく嬉しい。気遣うように優しく触れてくれる手はひんやりして気持ちが良かった。


「熱もあるんじゃない?ううん、そんなことよりこれ誰にやられたの?……ええと、まずは病院に、」


「……いい」


俺の様子を確認して、慌ただしくどこかに行こうとする彼女を引き止める。姉さんと俺は互いに何も言わずに視線を交わした。そんな瞬間すら、久しぶりだった。姉さんは俺の表情を見つめて、心配そうな顔から悲しい顔になる。何かを言おうとして、言えずに口を閉ざす。そしてとうとう彼女は俯いた。それでも、俺のことを心配してくれてはいるのだろう。そこから動こうとせず、まるで俺が姉さんに助けを求めるのを待っているみたいだった。でも俺は、彼女に助けを求めるつもりはなかった。迷惑をかけちゃいけない。俺にとって今の家族はそういう存在だった。


無言で俯く彼女の横を通り過ぎて俺は家を出た。姉さんには俺に思うところがあるのかもしれない。でも別にどうでもいい。今は姉さんが俺を気にかけてくれたこと。それが嬉しいんだ。


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