27.名前
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結局学校に着いたのは放課後。頭の痛みと、歩くのが特にしんどくてかなり時間がかかってしまった。常に壁を頼りに足を引きずるように歩いていたから側から見たら、心配になるような様子だったかもしれない。何度も後悔した。家でおとなしくしていればと。歩みを進めるほどに重くなっていく身体。もうとっくに限界を超えているようで、でも学校に行かなければという確固たる意思があった。それだけが俺を前に進めている。後のことなんて今は考える余裕はない。
俺は自分の教室を通り過ぎて、真っ直ぐ旧視聴覚室へ向かう。帰りのHRも終わって結構経っている時間だ。校舎の中に人は少なかった。部活動に励む生徒たちの賑やかな声が校庭に響いている。
きっと塚本くんは教室で待っているだろう。その確信があった。あの日、腕を掴まれて交わした口だけの約束。それでも彼は約束したら絶対に守る、そんな素直すぎるやつだから。
ドアを開け、案の定いつもの席に黙って座っている彼の姿に思わず笑ってしまった。変わらないんだな、と安心してしまう。どんなに悲しいことがあったとしても。どんなに今の自分が傷ついていたとしても。この場所だけはいつもと変わらない姿で待っていてくれる。
物音に気がついた彼は振り返って、姉さんと同じ顔をする。ひどく驚いた顔。
そういえば前もこんなことがあったっけ。父親に殴られた次の日。あの時は教室が暗くて全然気がつかなかったくせに、怪我を目にした途端保健室に連れて行かれた。
また保健室に行こうとか言われるだろうか。何があったのか教えろと問いただされるだろうか。なんて嘘をつこう。なんて誤魔化そう。俺はそんなことばかり考えて。真正面から向かってくる彼をいつもうまくかわしている。それは不誠実で彼を傷つける行為。でもまともに向き合うのは怖い。失いたくない。塚本くんは離れないでほしい。そう思うと俺は俺自身を見られるのが怖くて、繕ってしまうのだ。
いつもそう。いつも、いつも。俺はまた繰り返そうとしていた。大丈夫。だって彼は鈍感だから、俺の言うことを素直に信じてくれるから。だからうまく繕って、いつもみたいに平然としていれば大丈夫。それなのに言葉が出ない。彼と見つめ合うと言葉が何も出てこない。
そんな俺を前に、彼は何も言わなかった。立ち上がってただ無言で近づいてくる。そうしておもむろに俺を抱き寄せた。その締め付けは、今の傷だらけの俺の身体にはすごく痛い。
だからだろうか。あつい。熱いんだ。
目が燃えるように熱い。
「先輩。俺が守ります。俺が助けます。だから」
憎たらしいことに俺よりもわずかに高い背のせいで、すっぽりと包み込まれてしまう。そんな彼の言葉を耳にすると俺の心は途端に安心感で満たされて、ずっと張り詰めていた俺の精神を崩してしまう。
途端に溢れ出した涙は止まらなかった。この数日こらえていたものがこぼれ落ちて、それをきっかけにとめどなく流れだす。
熱くて熱くて、目の前が見えない。こらえきれないそれに、身をまかせるように静かに目を閉じた。
「教えてくれますか。先輩の名前を呼びたいです」
優しくて暖かい君の声が。
俺の心に届く。繕って覆った仮面を溶かしてくれる。
「せいご。……神白晴吾」
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