23.弟の怒り
「満足?満足ねぇ…」
突然ずかずかと歩み寄ってきた彼は、不意に手をあげた。俺は突然のその行動に、その振り挙げられた手を呑気に見上げていた。それがどういう行動を取るためのものであるか簡単に予想はつくはずなのに、構えることもできなかった。
大きな音が耳元で鳴って、じんじんと痛む頰。状況を理解するのに数秒かかる。
殴られた?
震える手で痛む頰に手をやり、熱を持っていることがわかる。痛い。痛い。痛いのなら、これは夢じゃない。
目をぱちぱちと瞬かせ、俺はひどく動揺していた。父親に殴られたときよりもずっと。その事実はあまりにも、俺にとって衝撃的だったのだ。今まで一度だって彼が俺に手を出してきたことはない。口ではなんと言おうと、影で何を企んでいようとも。彼が自らの拳を振るったことなど、ただの一度もない。嫌われていることを理解しても、その痛みはひどくショックだった。頭の中は真っ白になって、一体今弟がどんな顔をしているのか確かめる気力もわかない。
ただただ呆然と、突っ立っていた。
そんな俺の腕を掴んで床に押し倒し、馬乗りになる。いやでもその顔が目に入った。
「あんたに、幸せになる資格なんてないんだよ」
憎々しげに吐かれた言葉。心の底からの憎しみ。単純に嫌っているなんて言葉で処理できないほどの激情。
「あんたは知らないんだろうな。だからのうのうと生きてきて、へらへら毎日笑ってられるんだ。でも、でもさ。…知らないからって罪がなくなるわけじゃないんだよ」
彼の言葉の意味がさっきからずっと俺には全然理解できなくて。だけどおそらく何かが俺の知らないところで起きていて、それによって弟がこれほどまでに苦しめられた事実があるということは理解できた。「俺が知らないこと」。それが一体なんなのか。俺はきっと知らなくちゃいけない。
「俺には…なんでお前がこんなことすんのか本当にわからないんだよ。
このままだと俺は、お前のことを恨まなきゃいけなくなる。お前は俺の弟なんだ。そんなの、嫌なんだよ。だから教えてくれ。何が気に入らないのか、…俺が知らないことってなんなのか。もし俺がお前を傷つけてるなら…償いはちゃんとするから」
必死で紡いだ言葉だった。何も分からないなりに、彼に歩み寄りたいと本気でそう思ったから。その思いを伝えるために最適な言葉を慎重に選んだつもりだった。
だが、彼は俺の話を聞いてまじまじと俺の顔を見下ろすと、突然弾かれたように大声で笑い始めた。ゲラゲラと笑う彼に、真剣な話をしていた俺はあっけに取られてしまう。
「あぁ、あんたほんと変わらないな。馬鹿で愚鈍でお人好し。そんなだから何もかも俺に奪われるんだ」
そう言って俺の目を覗き込むように顔を寄せてくる。
「でも安心して孤独になればいい。あんたには俺がいるんだから。それで十分だろ」
「…なに、言って…」
「絶対に許さない。あんたが幸せになるなんて。なにも知らないからって許されると思うなよ」
ゾッとするほど低い声でそう言い放つと、俺の首に手をかけた。恐ろしく強い力で圧迫されて息ができなくなる。新鮮な酸素を取り込もうと必死で口をパクパクさせる俺を感情のない目で見下ろしながら、ただただ手に込める力を強めていく。俺の視界はそれと共に狭まっていって、そのうち意識は闇の中へ落ちていった。
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