22.対峙する
帰る途中、引っ張られていた腕を振り払い並んで歩く。弟は俺を一瞥したが、特に何も言わなかった。俺たちは一言も喋らずまっすぐ家に向かう。
無言で隣を歩く兄弟が一体何を考えているのか俺にはさっぱり分からなかった。こんなこと今まで一度だってなかったことだ。わざわざ俺を呼び出してまで話したいこととはなんなのか。予想もつかなければ、いいことである筈がない。ただこいつが今から何かをめちゃくちゃに壊してしまいそうな感じがして、俺はそれにひたすら怯えて逃げ出したくなる足を必死に動かしていた。
家に着くと真っ先に自分の部屋に向かおうとする弟を引き止めて、俺は自分の部屋で彼と話をすることにした。あいつのテリトリーに入るのはなんとなく気が向かない。何か変なものが置いてあるとか彼の部屋の何かが気にくわないとかではなく、自分の部屋にいることで心が少しは軽くなるのだ。そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、特に気にする様子もなく了承してくれた。
俺は自分の部屋に入ると早々に話を切り出す。一刻も早く弟との会話を終わらせたかったのだ。
「なんだよ話って」
「あれ?怒ってる?」
俺がイラついていることに気がついているはずなのに、人の神経を逆撫でするようなふざけた口調で喋ってくる。そんな彼の態度に自らの不機嫌を隠すことができない。
「怒ってない。話があんならさっさとしてくれ」
「兄さんってやっぱ頭悪いよね」
突然の罵倒に顔をしかめるが、大して傷ついてなどいない。こいつに見下されていることなんてとっくの昔から知っていることだ。
「もしも俺が兄さんの立場だったら、なるべく怒らせないように優しく聞くかな。何かあったの?とかってさ」
ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる弟。後ろへと下がりたくなる足を頭の中で叱咤して固定した。
「だって、何されるかわかんないじゃん。機嫌を損ねちゃったら」
手を伸ばせば近づく距離に近づいた時、彼は俺の襟元をぐいっとつかんだ。その力強さにそらしていた視線を無理やり合わせられる。口元に浮かぶ嘲笑するような笑みとは裏腹に、目は全く笑っていない。真っ黒な双眸は俺を見下ろして、静かに怒りを湛えていた。その目を見た瞬間、俺の中で恐怖よりも憤りが勝る。
なぜこんなに怒っている。なぜこんなにも憎いものを見るような目で俺を見る。俺が一体なにをしたっていうんだ。彼に敵意を向けられるような身に覚えなんて、俺にはない。
「…離せよ」
「最近の兄さんは俺のことをよく怒らせる」
「なんでお前のご機嫌取りをしなくちゃいけないんだよ」
腕を無理やり振り払って距離を取ると、思い切りその顔を睨んだ。全く痛くも痒くもないであろう腕をひらひらと見せつけるように振って下ろす。
「兄さんさ、俺の部屋勝手に入ったでしょ。人の部屋勝手に入って人のもの盗むなんて最低じゃない?」
「!!…あれは!」
やっぱり気がついていたのか。あの時はうまくごまかせたと思っていたし、その後もなにも言ってこないからもう忘れかけていた出来事。
「あれさ、兄さんのこと試してたんだって気づいてる?」
「……試す?」
俺の顰めた顔を見て「やっぱり」と呆れたような声を漏らす。
「わざわざ兄さんに友達が来るって伝えておいたのは、部屋の外の声に注意を向けさせるため。兄さんひとつのことに集中すると他のことシャットアウトしちゃうからさ。俺の話を聞いて多少は外の声が耳に入ってきたでしょ?だから塚本がいることにも気がついたんだ」
頭の中が混乱した。全くもって、訳がわからない。
「は?なんで、そんなこと」
「俺がさあ、人から盗んだようなもの部屋の真ん中に放り投げておくなんてヘマするわけないじゃん。兄さんならそこんとこ分かってて欲しかったな」
「お前!わざとー」
「部屋に戻って財布が無くなってるのを目にして、ようく分かったよ。塚本が兄さんにとってどれだけ大事なやつかってね。兄さんはいつだって俺の事刺激しないように慎重に生きてきたってのに、そんなリスク冒すわけがない。…冒すわけないんだけどなぁ」
そう言ってニンマリと口元を歪める弟に心底寒気がする。じゃあもうすでにあの時から、俺と塚本くんの関係は把握されてたってことか。あんなにこそこそしていたのがバカらしく思えてくる。それでいてこんな風に泳がしたり試したり、一体何がしたいんだ?その答えが常人の俺なんかに理解できるはずがなく、うっすらと冷たい笑みを浮かべる目に前の男は、俺にとって得体の知れない怪物でしかなかった。昔、記憶が薄れてしまうほどの昔の記憶にいる、俺に引っ付いて離れなかったような可愛い弟とこいつが同じ人物なんて、到底思えない。
「……話はそれだけか?俺も分かったよ。お前がどれだけ俺のこと気に入らないかって。そんなに気に入らないなら顔も見たくないだろ。さっさと出てけよ。金輪際お前の目の前をうろつくようなことは避ける。これで満足か?」
俺の中ですうっと熱が冷めていくのを感じた。今までずっと考えていたのだ。どうして、なんで、と。弟である彼が俺に嫌がらせまがいのことや冷たい態度を取る理由。それが全くわからなくて、どこかで彼のことを信じていた。何か止むに止まれぬ事情があったのだとか、彼の本心でそんなことをしているわけじゃないんだとか。弟の存在を憎みながらも、信じている自分がいたんだ。だが、目の前にして、ちゃんと向き合って見てよくわかる。この男は俺のことが嫌いなのだ。理由なんてそれで十分すぎるほど。こんなにも冷たい目を向けられて仕舞えば自分のことをどんな風に思っているかなんて手に取るように明らかだ。正真正銘、こいつは俺のことが嫌いで、だったら今までのこいつに俺に対する行動、言動、態度全てが理解できる。どうしてこんなにも俺のことを嫌うのかなんてことすら、解明する意味もないことに思えてしまった。
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