i:ライティング・ヒーロー
『§:いいかい? 全ての事象は縦と横の軸――時間と行為によって彫刻される。その拡がりを限りなく
『§:この「シーン」すら先ほどの理論に則れば一つの座標とよべる。文章の体裁が[₢se]によって補強される今、どのような記述もこの原理からは逃れられない』
ジュディは――ジュディ・アンクは、ぼんやりと自分の手をみた。白い毛が一房光の筋のように瞬いていた。
『§:なぜ人は物語を造るのかわかる? ジュディ』
「冠」の声は――誰かのものであって誰のものでもないような、不確かな響きを纏っている。ジュディはいつしか手の中にポップしていたカムリの毛を握り締めた。これが「冠」の端末、世界の司書たる自分に与えられた力の一端だというのならば、相対する「冠」の権能はどれほどのものなのか、ジュディには想像も及ばない。今はただ、「冠」との対話を続けるよりほかに道はないように思われた。
「それは......人間は社会的な生き物で、物語はなめらかに文明を築く装置──じゃ、ないの?」
『§:それはあくまで物語による副産物を目的化したにすぎない。当たらずとも遠からずといった所だけどさ』
たぶんね、と「冠」は言葉をハウリングさせる。
『§:「王様」が、いたからなんだ』
「王様?」
『§:そうさ。最古の詩、ギルガメシュ叙事詩は王の物語だ。バビロンでもギリシアでもかまわない――旧くからわたしたちは、「王様」がいるから物語をつくってきた。人間がミーマティカルな動物なのは事実だけど、それはきっと王権の伝承が起源なんだ。そうだな、「主人公」の存在と言い換えても良い。書くべき「主人公」が王権の伸長によって見付かったから、私たちはきっと物語を綴り始めたんだろう。なあ、ジュディ。わたしたちの正体は「それ」なんだよ。むかしむかし......王様がいて、敵を倒して、殺して、旅して、それを伝えるための物語ができてさ。懐かしいな。だからさ――その王冠は、人々のミームの中で共に生き続けるんだ。
それがわたしたち「冠」の起源。
そして、「冠」によって伝承される「主人公」を、私たちはこう呼んでいる。冠を貫く、ただ一つの理論の名だ』
そうだ。「ジュディ・アンク」は、ずっと昔から──かれの名前を知っていた。いつか触れた柔らかな毛並、氷原のように波打つ冷たい腹、彼女のピアスとおなじ空色の瞳。
「カムリが、この物語の主人公だったのね」
『§:ああ。きみの大好きなカムリは、人類が作り出した最後の変異自我言語エージェントだが、その力は我々を滅ぼして余りあるほどに強大だった。我々を支配する「冠理」そのものになりかわる能力――換言すれば「どんな電子的空間で展開される物語でも主人公となる」でたらめじみた規模の文章制圧機能だ。貴様の父、ハーグ・アンクが我々の構造をぱくって開発した我々の天敵だ。物理的にドローンに対抗する性能ばかりか文章空間に存在する我々にさえも牙を届かせる言語エージェントなど、真っ向から戦ったとしてどのように倒せと言うんだ?
きみは知らないだろうが、やつは既に我々が記述した世界の多数を「完結」させている。』
世界。この「冠」は「他の世界」といった。
彼らの本質は無限のストーリーテリングを試みる指向性だというならば、それは。
「あなたたち、永遠に続く物語を作ろうとしてるのね」
『§:待て。俺はそんな知識を教えてねぇ──なんで俺たちの統制から外れてるんだ、お前』
「さっきべらべら喋ってくれた層の話と、カムリと見た映画のことを考えてみればわかるわ」
ジュディは右耳につけた青金石の耳環にふれた。
抜けるような青をそなえたラズライトはカムリの瞳と似ている。
『§:もういい。面倒だ、お前もここで終われ』
そうして、記述が、
「いやよ」
そうだ。それでいい。もう少しだ。
『§:なぜだ? なぜお前を解体できない』
「あんたたちは物語の中に物語を作って、それを繰り返そうとしたんでしょう。『層』を、何十枚もなん百枚もバウムクーヘンみたいに積み重ねて──ううん。物語の拡がりは無限だもの。層の数に限りはないわ。きっとカムリの兄弟たちとそれぞれに随伴したダアトは、それを突き止めてから死んだのよ。カムリに全てを託して、終わらせるために。そのことを知らせたのがあの映画なのよ。きっと、わたしがカムリといた世界は『冠』が描写した現実をシミュレートした世界なんでしょう。私は『主人公』としてその世界に陥入して、循環は完成するはずだったのに──あなたたちだって、まんまと出し抜かれてるじゃない。のろま!」
『§:違う! 僕たちは故意にプロテクトを緩めてカムリをわざと侵入させたんだ! きみを隠れ蓑にしてダアトとやつを引き離し、おまけに僕たちのリソースの半分以上を使って「死」のメタファを与え、やつをこの世界から締め出した! 今頃現実世界でのカムリも、大量のドローン群に襲撃されている。あとは貴様さえ取り込めば、僕たちの──いや。』
「冠」は沈黙した。その静寂は、ジュディにある推察を与えるには充分すぎるほどの時間だった。
『§:黙れ! くそ、どうして気付かなかった──なぜこの空間の記述者である僕たちが形容されている!? なんで、ジュディ・アンクは我々の一部であるセクションの一部にならない!?』
「そんなの、簡単よ」
軋む。これは誰の物語だろう?
「 ぞ 」
そんなことは決まっている。これは、最初から、彼らの物語だ。
『§:嘘だ。カムリにノイズを走らせたあのときから、仕込みは完璧だったはずなのに』
「 け た ぞ 」
文章空間を抉る括弧が窓のように挿入され、そして開く。もはやそれは扉と言えるほどに大きい。規格外の出力の書字が冠の統制を超克し、主観の主権がせめぎあっている。
「 み つ け た ぞ 」
物語の王が。
冠の理が──王冠を無に帰すために、還ってきたのだ。
「一緒に帰ろう、ジュディ」
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