Episode.2 テディベアには程遠い(2)

 浩がリビングの戸を開けると、ソファに体育座りをするイリヤがいた。タオルケットを頭からかぶり、耳には大きなヘッドフォン。眼前のテレビだけが唯一の明かりで、独特の青白い光がイリヤの瞳を煌々と照らしていた。これだけ明るい光を浴びているにも関わらず、イリヤの目は死んだ魚のように濁っている。


 しまった。

 浩は思った。これは遭遇してはいけないである。今までそれとなく避けてきたけれど、真正面から現れたらさすがのイリヤも己の存在に気づいてしまうではないか。


 寝起きの頭でよく考えたほうだと思う。水の存在は諦め、素早く戸を閉めようとしたところ、肝心の戸をイリヤの手ががっちりと抑え込んだ。イリヤがいた場所からは少々距離があったはずなのに、この男は目ざとくこちらの姿に気づいてしまったという訳だ。しかも動きが速い。速すぎる。


 困惑して、浩はイリヤを仰ぐ。

 イリヤは今もなお『かみさま』の表情をしていた。言葉もなく彼は浩をじっと見下ろしたのち、片手でその細い体躯を抱き上げた。まるで米俵でも担ぐかのように。


 ――終わった。

 こういうときは抵抗しないに限る。もう自分の睡眠時間は諦めることにした浩である。どうせこのあといいようにされて気づいたら朝パターンだ。できるだけ体力を減らさないようにしよう。

 そう考えている浩をよそに、イリヤは元の場所に座り込んだ。浩は自分の膝の上に前を向くように座らせる。


 浩は瞠目した。

 何を観ているのかと思ったら、スプラッタ映画だった。

 それは去年放映された成人指定付きのもので、巷の映画レビューではあまりにグロテスクすぎる内容であることでから高い評価を得ていた代物である。浩は放映当時観に行けなかったので、詳しい内容はよく知らない。


 ――なんだ、別にこそこそする理由などないではないか。

 互いに映画鑑賞が趣味なのだから、時間さえ考えてくれればまったく問題なかったのに。


 困惑した浩が背後のイリヤの気配を探ると、イリヤは無言のままじっとテレビの液晶を眺めていた。そのまま浩を後ろから抱きかかえている状態でがっちりホールドするものだから、浩は自分がテディベアかなにかになった気分になっている。人形にはなってみたかったので、これはこれで悪くはないが。


 すると、突然、がぶりと左耳に何かが噛みついた。


「っ、」

 驚いた浩の口から小さく悲鳴が洩れた。イリヤが噛んだのだということは嫌でも分かる。だが、当の本人はそんなことはお構いなしに歯を耳朶に突き立ててゆく。甘噛みを通り越した本気の噛み付き、視界には言葉に言い表せない血みどろの動画。ついでに言えば、腰の後ろあたりに若干の違和感もあり。


 浩は唐突に理解した。

 たぶん、こいつは自分と同じ人種なのだ。

 人とは違うところに、妙な性癖スイッチを隠し持っている。そういえば、どうして先に確認をしなかったのだろう。思い起こせば、この男には変だと思うところしかなかったのに。


 とりあえず猛烈に腹が立ったので、そのまま頭を強めに左に倒し、頭突きをお見舞いしておいた。

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