第35話 知恵者の秘密

 アルディオン達は早朝、リアンの家を後にした。


「なんだぁ。そんなに、あの先生とやらを連れてかれるのかと心配だったのか?」


 ジエルの声にアルディオンが後ろを振り返ると、昨日、リアンの家を教えてくれた村の男が、心配そうな顔で家の前まで来ていた。

 アルディオンはそれを一瞥いちべつすると、ふと近くにある井戸に目を留める。この村の井戸は木材を使って蓋をされている。おそらく、井戸が干上がっているのだろう。子どもや年寄りが誤って転落しないように処置している。

 このテドス村とて、旱魃の被害はあるのだ。それを、ここまで持ち堪えさせているリアンは、村人にとって救世主に違いない。


(本来であれば、私がそうあるべきなのに。)


 不甲斐なさで吐き気がしそうだと、アルディオンは思ったが、すぐに切り替えるように頭を振って前を見る。

 カイ達を倒してから追っ手はないが油断できない。早くウェルストに着くべきだ。テドス村からウェルストへは数日で着く。


(私は今、自分のやるべき事に命をかける。リアンのように。)


 リアンのように…?そこで、ふと違和感を感じる。リアンは何故、この村に留まっているのだろう?


「行こう。」


 アルディオンはそう言うと、馬を駆け出した。


 ※


 その日の夜、リアンはいつものように家の前で空を見上げていた。昨日と違うのは、旅支度を整えているということ。


(あーあ。せっかく、この村も居心地が良くなって来たところなのに。まぁ、試せる事は全てやりましたし、潮時ではあったかもしれませんが。あまり王族に居場所を知られているのは、心地良くありませんしね。)


 アルディオン達が去った後に来た男、ドンには引き継ぎを終えている。彼なら、今後も上手くやってくれるだろう。

 リアンは視線を空から戻して足を踏み出したが、すぐに左側に意識を向けた。


(何かいる…)


 すぐさま、背負っていた筒から矢を引き抜き、身体を捻って放つ。狙い通り、暗闇に潜む何者かの頬をかすめ、相手が息を呑むのが分かった。リアンは、次の矢をつがえて相手に尋ねた。


「忘れ物ですか?」


「ちぇっ。マジかよ。」


 そう言って出て来たのは、早朝、アルディオンと出て行ったはずのデュオだった。


「まさか、この俺が全然近づけねぇなんて。」


「夜目が効くもので。」


「いや、それだけじゃねぇだろ。」


 デュオとて傭兵だ。暗闇の中、気配を殺して相手に近づく術を心得ている。それを意図も簡単に感知し、素早く、そして正確に矢を射てきた。只者ではない。

 デュオは、槍を地面に突き刺し、降参だと言うように両手を挙げた。


「相当なもんだぜ。アル。」


「そのようだな。」


 そう言って、デュオの背後からアルディオンが出て来た。


「試して悪かった。私は、やはりそなたが欲しい。」


 リアンはため息を吐きながら、矢を下ろした。


「何度も申し上げておりますが、私は…」


「井戸の中を見た。」


 アルディオンの言葉に、リアンは目を細めたが何も言わない。


「この村を出る前に、近くにあったものを調べた。少し気になってな。」


 中にあったのは、穀物などの食糧。別に井戸の中に食糧を入れてはいけないという法はないが、不自然だ。


 リアンを慕う、細身ではあるが血色の良い村人。星読みの技術。少し考えれば分かること。


「脱税だな。」


 そもそもリアンは、あの切れ者の宰相ルシェルが推薦した人物だ。星読みで旱魃の兆候を見逃すはずがない。だとしたら、事前に村に対策の指示を出していたはず。王宮からも勧告が出るが、王宮の星読み士が数名で議論した後に、王に天気の兆候を伝える。それから街の役人を通して、村々へと伝達されるので、かなり時間がかかってしまう。その時間を省いて、既に対策をとっていたのだとしたら?

 そして、エスタリスの村は、近くの街に税として小麦などを納める。当然、役人が食糧庫を確認しに来たはずだが、王宮から税の負担を軽くするよう通達があったり、各地の日照りの報告のためか、食糧庫の穀物が少なくても、特に不審には思わなかったのだろう。それか、上手いこと役人を丸め込んだか。

 この村は、村ぐるみで食糧を隠していた事になる。そして、その指揮をしていたのは、おそらくリアンだ。だから、村人もリアンの事を心配していたのだろう。


「それで、どうします?王太子殿下なら、私を直接罰する事が出来ますが、今のお立場で、そのような事は、なさらないでしょう。役人に匿名で訴えますか?」


 リアンは、特に不安がる事もなく、平然と言ってのけた。


「いや、そなたが私に味方してくれるのであれば、その功績によっては不問に処す。」


「は?」


「私は、私と仲間の為に、そなたの力が要ると判断した。これは取り引きだ。」


「ひとつ聞いても?」


「ああ。」


「どうして、井戸の中に食糧があると?」


井戸に蓋がしてあったからだ。井戸に落ちないようにする為かと思ったが、今はそんな必要ないだろう。水が干上がっているのなら、誰も近づかない。蓋をする必要がない。」


「なるほど。」


 存外、よく見ている。人間は、たいてい物事を自身の経験や情報を通して見てしまうものだ。少し考えれば、おかしいという事も、そのせいで見落としてしまうという事は、よくある。それにしても…


「そこまで分かっていて、なぜ取り引きなのですか?命令すればよろしいでしょう。」


「私は、そなたの知恵だけが欲しいのではない。信頼出来る仲間が欲しい。そして、それは命令ではダメなんだ。」


 そうして、右手をリアンの前に出す。


「そなたが選べ。」


 リアンは差し出された手を、しげしげと見下ろした。未だかつて、こんなふうに自分を欲してくれた人物はいただろうか。幼い頃から、学ぶ事が好きだった。いつかは、この学んだ事を生かして国の役に立ちたいと思っていた。それが叶わないと分かった時の絶望感は、今でも忘れられない。適当に村々を回って、知恵を授けたりしているが、所詮は対症療法。こんな事をしたかった訳ではない。でも、自分ではどうしようもない。いつだって孤独だった。自分は、どこに向かうのだろうかと。


 ふっと軽く息を吐くと、リアンはアルディオンの手を握った。


(まぁ、不問に処してもらえるのであれば悪くありませんね。事が終わったら、さっさと離れれば良いわけですし。)


「交渉成立だな。これまで見た事のない世界を、共に見ていこう。」


 その言葉に、リアンが驚いて顔を上げると、真っ直ぐな瞳とかち合った。


「そなたが、私に命をかけてくれるのであれば、これぐらいは約束しないとな。」


 少し照れたように微笑むその姿は、まだ少年そのものだが、言葉には力強さが宿っていた。いつも空の星ばかり見上げていたリアンだったが、この時、地上に星を見つけたような気がした。自分だけの一番星を。

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