第29話 出発

 翌朝、早くに目が覚めたセレナは王宮の回廊を歩いていた。早朝特有の澄んだ空気が辺りに充満している。

 一日の始まりの空気を思いっきり吸いながら、セレナは昨晩のアルディオンの提案と話し合いを思い出す。


 『1000年に一度の旱魃』『父王の不在』『ウルターナの進行』『アルディオンのトリミアとの内通疑惑』

 どう考えても、何者かがアルディオンを嵌めるために動いている。こちらの動きを悟られない為にも、行動は迅速かつ内密にしたいとの事だった。


「なぁ、アル。お前が、その黒幕として一番怪しいと思ってるのは、誰なんだ?」


 誰もが思っていたが、聞けなかった言葉をジエルが発した。いつもジエルやデュオの言葉を窘めるダンでさえ、この時は何も言わなかった。


「兄上ではない…と私は思っている。」


「なんでだ?」


「たしかに兄上は、何かを隠していると思う。だが、黒幕だとは思えない。上手くは言えないが、全てが。それに、何よりも…私は兄上を信じたい…。」


 最後の言葉はまるで祈るかのように、絞り出されたものだった。


「答えになっちゃいねぇが、まぁ、出来過ぎだってのは頷けるな。」


 ジエルは頰を掻きながら言った。


「俺も王宮事情には詳しくねぇ。旦那は?」


「影は表の事には関わらない。その点においては、貴様と同じ様なものだ。」


 ダンは渋面を作りながら応じた。結局のところ、情報が少ないのだ。相手の予測を裏切るような行動をして、出方を探るのは悪い事ではない。

 こうした話のもと、深夜に出発する事が確定したのだった。


(自分から提案するなんて、びっくりしたなぁ。ちょっと前まで、全然覇気のない顔をしてたのに。)


 皆の顔を見ながら話をしている時のアルディオンは、以前と比べて堂々とし見えた。ほんの少しの変化ではあるが、あの無気力を絵で描いたような、森で会った時とは大違いだ。

 また、セレナも一緒に王宮を出る事になっている。見方によれば、反逆とも取れない行動をするアルディオンが連れて来たセレナを、テルシウォンが今後優遇するとは思えないからだ。

 セレナは昨晩のテルシウォンとのやり取りを思い出して、頭に血がのぼるのを感じた。


(なんなのよ、あの男!偉そうに!)


 どこに向かってる訳でもないが、足取りが早くなる。やみくもに歩いていると庭園から何やらくうを切る音がするので、セレナは自然とそちらに足を向けた。すると、そこにはテルシウォンが整えられた草花の間で剣を振るっていた。


(げ…)


 セレナは内心で呻く。今ちょうど腹を立てていた男が目の前にいる。

 そんなセレナには一切目もくれず、テルシウォンは稽古を続ける。前後左右と規則正しく動く足捌きに連動しつつも、流れるように剣を繰り出すその姿は、まるで舞でも踊っているかのようだ。


(綺麗…)


 そのまま踵を返そうとしたが、ついその動きに目を奪われた。怒りも時間も忘れて見入ってしまう。


「何か用か?」


 いつの間にか、テルシウォンが動きを止めてこちらを見ていた。セレナは慌てて首を振る。


「ごめんなさい。邪魔をするつもりはなかったの。つい見惚れちゃって…」


 テルシウォンは一瞬驚いた顔をしたが、ふと表情を和らげた。


「別に邪魔ではない。もう、ひと通り終わった所だ。少し話さないか。」


 セレナは言われるままに、テルシウォンに近付いた。テルシウォンは目の前に立ったセレナを見て剣をしまうと、その目を真っ直ぐ見ながら口を開いた。


「昨晩は失礼な事を言ってしまって、すまなかった。」


「え?いえ…」


「ひとつだけ、質問をしても構わないだろうか?」


「どうぞ…」


「弟を妬んだ事はないか?」


「え?」


 セレナは何を言われたのか分からず、目を丸くする。


「森の民のしきたりは知らぬが、何故自分ではなく弟が選ばれたのかと思った事はないか?」


(ああ…、そういう事。)


 セレナは眉を寄せて一瞬考え込むが、首を左右に振った。


「ありません。私は私ですから。精霊王のお考えは分かりませんが、私には私の役割があるはずです。それに…それを他者に決められたくはありません。」


「そうか。そなたは強いな。」


 テルシウォンはそう言うと、セレナから視線を逸らして遠くを見た。そのどこか寂しげな表情に、セレナは胸が苦しくなるのを感じた。


「あの…、アルディオン…殿下は、テルシウォン殿下の事を大切に思っています。余計なお世話かもしれませんが…」


 テルシウォンはそれには答えず、セレナに背を向けた。


「そろそろ朝食の時間だ。部屋に戻るといい。」


 セレナは、去って行くその姿を無言で見つめた。テルシウォンとアルディオンは全然似ていないと思ったが、一瞬だけ見せた和らいだ表情は、アルディオンによく似ていた。胸の奥に残る苦しさを感じながら、セレナも今度こそ踵を返した。


 そのまま時間はあっという間に過ぎ、時刻は深夜。アルディオンの部屋に全員が集まっている。


「準備はいいな?」


 アルディオンが一人一人の顔を確認すると、寝台を両手で押した。存外、軽く動くものだと皆が見守っている中、床に取っ手の付いた扉が現れた。


「隠し通路か?」


 デュオが声を落としながらも驚いて聞いた。


「ああ。経路は違えど、王族の部屋には必ずある。その為に、寝台も特殊な設計になっていて、見た目よりも軽くなっているんだ。さぁ、急ぐぞ。」


 そう言うと、アルディオンは扉を開いて中に入る。壁に立てかけてある松明に火を点けて数段の階段を降り、全員が降りてくるのを待とうと、顔を上げた時だった。


「甘いですよ、殿下。」


 すでに、そこには男が待ち伏せていたのだった。

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