第1話 旅の始まり
「今日も雨は降らないな。」
自室の窓の外に広がる雲ひとつない空を見て、エスタリス国王太子アルディオンはため息をついた。
最後に雨が降って、一体どれほどの日が経っただろうか。天文学者達も1000年に一度の旱魃だと言っており、河川の干上がりの報告も日に日に増えている。このままでは、王国存亡の危機だ。
アルディオンが物思いにふけっていると、ドアをノックする音と従者の声が聞こえた。
「アルディオン殿下。陛下がお呼びでございます。」
「父上が?分かった。すぐ行く。」
一体、なんの用だろうか。アルディオンは、また一つため息をついて座っていた椅子から腰を上げた。外の天気と違って、心はどんよりと重い。
王太子である自身の部屋から王の部屋までは、そう遠くない。しかし、彼の足取りは重く、父王の部屋まではいつも距離を感じる。王の部屋の前に着き、従者に声をかけさせて中に入る。
現エスタリス国王カルディアンは正面の椅子にゆったりと腰掛けていた。目の前にある机には羊皮紙がいくつも置いてある。おそらく、この旱魃による各地の報告書であろう。
アルディオンは父の前まで歩みを進めた。
「お呼びでしょうか。」
「ああ。」
父の目がアルディオンを捉えた。エスタリス国21代王カルディアン。暗い茶髪に赤銅色の瞳。右頬から顎にかけては初陣の時に受けた刀傷がある。エスタリスは西の砂漠を挟んでウルターナ王国、北の大山脈を挟んでトリミア皇国、といった他国に囲まれており、戦争の絶えない国であった。特に先代の王は無能だった為、トリミア皇国の侵攻に合い危険な状態であったが、当時の王太子であったカルディアンが次々と敵を蹴散らし戦を終結させた。その時の戦いぶりは今日まで語り継がれており、他国からはエスタリスの赤獅子と恐れられている。
アルディオンもまた、幼い頃から父の事を恐れていた。父としてではなく、常に王として振る舞う目の前の人物の事を。自分とは全く違う王という人種を。
「お前に密命を下す。東のギナムの森に行き、精霊の愛し
「はい??」
おっと…、思わず変な声が出てしまった。
「精霊の愛し子とは、あの建国神話に出てくるティオナンの事ですか?」
「正確にはティオナンの子孫だ。この旱魃を止めるには、精霊の力が必要だ。だが、我々は精霊の声が聞けなくなって久しい。ギナムの森には、精霊と共に暮らす森の民達がいる。彼等を頼る他にあるまい。」
「それは、その…本当に実在するのでしょうか?神話の類いだと思っていましたが。」
「実在する。何しろ、古からの契約だからだ。お前も即位の儀の時に知ることになるだろう。今はこれ以上話せぬ。出発は明日の未明。供は余が選ぶ。また、これは密命だ。誰にも話すな。お前は東の要塞へ視察に出たという事にする。話は以上だ、行け。」
何が何やら分からぬままに、アルディオンは父王の書斎を後にした。
(精霊、ティオナン、古からの契約…)
アルディオンは先程の王の言葉を頭の中で反芻していた。建国神話によると、太古の昔、我々は自然の意思である精霊の声を聞き生活していたと伝えられているが、これまで自身が精霊を身近に感じた事はないし、周囲の人間からも話を聞いたこともない。それに古からの契約が何の事かもさっぱりである。
(王太子でありながら、何も知らないな。それに、もしかしたら私だけ精霊を感じてなくて、それに対して周りが気を遣っているだけなのかもしれない。だって私は…)
俯きながら考えていたせいか、アルディオンは前から歩いて来る人物に気がつくのが遅れてしまった。
「何を考えているのですか、王太子殿下。」
その聞き慣れた柔らかい声音に顔を上げると、そこには3つ年上の兄テルシウォンが微笑んで立っていた。
「兄上!いえ、実は明日視察に出る事になりまして…。」
「それは、また急ですね。」
「ええ…」
「ですが、王太子殿下も16歳。不安かもしれませんが、見聞を広めるのに良い機会かもしれませんよ。」
「そう…ですね。そうかもしれません。」
「はい。ご無事のご帰還をお待ちしています。是非、視察のお話をお聞かせ下さい。」
テルシウォンは、そう言うと笑顔で通り過ぎて行った。側室の子ではあるが、父と同じ茶髪と赤銅色の瞳。剣の腕も国一番で、若かりし頃の父王とよく似ていると噂される憧れの兄。
自分とは全く違う。自分は剣の腕も身を守る程度。なによりも、アルディオンはこの国では珍しい白銀の髪と青い瞳を持っている。何故なら、アルディオンの母親は隣国トリミア皇国の皇女だったからだ。母は両国の和平の為に、エスタリスに嫁ぎ王妃になった。しかし、その母はアルディオンが6歳の時に病気で急死している。それ以降、父は新しい王妃を迎える事はせず、アルディオンがそのまま王太子の地位にいる。
だが、アルディオンは知っている。自分よりもテルシウォンの方が王に相応しいと言われている事を。また他国の皇女に似た容姿で非力な自分よりも兄の方が良いと言う事は、自分が誰よりも分かっている。
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