行かないで

 次第に夜も更けていき、世界は闇に包まれていった。深瀬も帰って今の時刻は午後9時。


 皿洗いを終えた僕は食卓の椅子に座って、また華村と会話をしていた。


「それで華村……今のところ親から連絡とかあったりした?」

「はい。さっきからずっと電話がかかってきてましたけど、鬱陶しかったので電源を切りました」

「あ、そうなの?」


 結構思い切ったことをするんだな。……まぁ意外と華村はいい子ちゃんではないからな。


 ホームルーム中は勉強しているし、僕の腹を思いっ切り殴ったりしたこともあるし。(あれは僕が悪かったからそうしたのだろうが)


 それにゲーセン店員に景品を確実に取れるところに配置させたり、自転車も2ケツしたしな。


 ……ん? これって僕らが華村をどんどん悪い色に染めていってるだけじゃないか?


 大丈夫? ……大丈夫だよな。うん。


「あと普通に気になったんだけどさ、華村って家ではどんな感じなんだ?」


 ふと疑問に思ったので尋ねてみた。すると華村は考える仕草をしながらこう言う。


「うーんそうですね、家では基本自由は無いですから……」

「はぁ!?」


 反射的に僕は叫んだ。


「え、自由が無いって……どういうことだよ! 基本的人権は!?」

「まぁまぁ落ち着いて相馬君。大したことじゃありませんし」


 華村は両手を前にして、まぁーまぁーとジェスチャーする。


「いや大したことだよ!! 詳しく教えてくれ!」


 すると華村は「んー。本当に大したことじゃないんですけどね」とボソッと呟いてから語りだしてくれた。


 ──


 私の家ではスケジュール通りにこなすことがルールとして決まっていてですね、私にも毎日びっしりとスケジュールが組まれるのですよ。


 ピアノのレッスンだとか、家庭教師と勉強だとか。習字や華道なんてのもあります。


 それらは楽しくない訳ではないのですけれど、拘束時間が長いのでとっても疲れてしまうのですよ。


 それで母に何度か習い事を辞めたいと相談したのですけれど、母は「貴方を立派に、まともにしたいから」の一点張りで、聞く耳を持たないのですよ。


 ……前はそんな人ではなかったのに。


 黒川もあんな感じですから頼れるわけがないのですよ。


 ……と、まぁ。そんな感じです。言う通りしていれば何も言われないのでそれはそれで楽なのですけどね。


 ──


 ふーむ……なるほど。親に強制されてピアノとか勉強とかをやらされているのか。まぁまぁな毒親だな。


 というか、話を聞いて思ったんだけどさ……華村が感情を表に出せなくなった理由ってこのことも関係してるんじゃないのか?


 華村は普段と変わらず話してくれたけど、感情オーラはやっぱり暗かったし……


 まぁ何にせよ、この問題を解決しないといけないよな。


「華村。ならもう一度親にお願いしてみないか? 今度は僕も協力するからさ」


 僕はそう華村に提案してみた。


「……」

「真剣に話せば少しは考えてくれるかもしれないだろ。僕がいるから大丈夫だよ」


 僕は言う。可能性は限りなく低いけれど、大丈夫なわけがないけれど、とにかく僕は華村のために何かをしてあげたかったのだ。


 そんな僕の思いが通じたのか、華村は頷き「分かりました」と言ってスマホの電源を入れるのだった。


「とりあえず今から電話をしてみま……」


 ……と、そこまで言った所で華村は急に喋るのをやめた。


 華村は目をパチパチさせて、スマホの画面をじっと見つめる。まるで何かに吸い込まれているかのように。


「どうした華村?」

「……」

「おい、大丈夫か?」


 呼びかけても華村は目を離さなかったので、僕は席を立って華村の後ろに回り込んだ。


 そして華村のスマホを覗き込むと、Limeのトーク画面が開かれているのがちらっと見えた。


 すると華村はスマホを僕から見せないように手で隠した……が、隠し通せないと判断したのか、すぐに手を除けてスマホの画面を僕に見せつけるのであった。


 そこには。


『貴方が帰ってこないので警察へ連絡しました。大事になる前に早く帰って来なさい』


 と書かれていた。


「おいこれって……」

「母からです。流石に怒らせすぎましたね」


 そう言って華村は席を立つ。


「ごめんなさい、相馬君。今すぐ帰らなきゃいけなくなってしました」

「華村……」


 何か言いたかった。続けて言いたかったけど、これ以上言葉が出てこなかった。


「これ以上相馬君にも、警察の方にも迷惑かけられませんから」

「華村……でも……」


 引き止めたかった。行くなって言いたかった。


 だけれどもこれ以上僕が関わったら更に面倒なことになるのが容易に想像できたから、止めることができなかった。


 クソっ。何もできないのか……僕は。


 何も言えず立ち尽くしている僕の手のひらに……ふと暖かい感触が。華村が僕の手に触れたのだ。


「華村……?」

「そんな顔しないでくださいよ。私は楽しそうな顔をしている相馬君が好きなんですから」

「……」


 華村から放たれた「相馬君が好き」という言葉に吃驚したが、僕は上手く反応することができなかった。


 続けて華村は言う。


「約束もしましたし。それにさっき相馬君が大丈夫って言ったじゃないですか。ならきっと大丈夫ですよ」

「華村……」



 ねぇ僕さっきから「華村……」しか言ってなくね? 華村BOT?


 ……なんてクソツッコミを脳内で繰り広げているのにも理由があった。


 考えたくなかった。


 こうやっていつものように。さっきと同じように明るく振舞っている華村が、深い海の底のように暗い青色のオーラを放っているなんて思いたくもなかった。


 華村の心の中はとんでもない恐怖や不安に襲われているのに、僕を心配させないように平静を装っているのだ。


 そんな彼女に……僕は何もしてあげられないのか。何も言ってあげられないのか。本音を言わせてやれないほど僕は弱いのか。


 自分の無力さにイラついて、唇を噛んだ。これが鉄の味か。……鉄なんて舐めたことないけどな。


 華村はそんな僕の手をゆっくりと離して、華村は置いていた荷物を持つ。


「……それでは、もう行きますね。本当に今日はありがとうございました」


 そう言って華村は玄関の方へとスタスタ歩いて行った。待ってくれ。その一言が言えない。


 どんどんと離れていくその距離は、僕と華村の心の距離のようなものを彷彿とさせる。


 やめろ。やめてくれ。待って。行かないでくれ。


 沢山言葉が溢れ出てくるけど、声に出せない。手を伸ばすけれど届くわけがない。


 ついに玄関にたどり着いてしまった。


「……パスタ、とっても美味しかったですよ」


 華村は僕の方を振り返らずにそう言った。そしてドアを開く。


一瞬だけ外の冷たい風を感じた。


 ……バタンと無機質な音が耳に残り、ついには風も感じなくなった。


「華村……ごめんな」


 しばらくの間、僕は動くことができなかった。

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